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Reflection of Music 横井一江Interviews~No. 201

アンドレア・チェンタッツォ Andrea Centazzo とIctus Records

text & photo by Kazue Yokoi  横井一江

アンドレア・チェンタッツォ Andrea Centazzo はイタリア人パーカッショニストで、現在はアメリカに住む。60年代後半から盛り上がったヨーロッパのフリー・ミュージック・シーンだが、イタリアのそれについて伝えられることはほとんどない。しかし、50年代後半に12音音楽をジャズに取り入れる試みを始めたジョルジォ・ガスリーニのような才人もいれば、ローマのマリオ・スキアーノのように1960年代初頭からフリージャズ的な演奏を始めた人物もいる。彼らとは世代的に下になるのだが、チェンタッツォはイタリアのローカル・シーン超えて活躍したパーカッショニストであり、自身のレーベルIctusには70年代から80年代にかけて各国の即興音楽家の演奏が残されている。とりわけ注目すべきなのは、70年代の後半にニューヨークへ行き、まだまだ無名だったジョン・ゾーンやトム・コラ、ユージン・チャドボーンらと共演し、その音源を録音していることだ。それらのレコードは、おそらくジョン・ゾーンらの最も初期の録音のひとつだろう。

70年代、ヨーロッパのフリージャズ第一世代といわれる即興演奏家の活動範囲はやはりヨーロッパという枠内であり、アメリカ人ミュージシャンとの共演にしてもヨーロッパに訪れた者との共演が主だった。その意味で当時ニューヨークの片隅で芽生えた若いミュージシャン達による即興音楽の次なる展開の萌芽をキャッチした嗅覚もまた才能だろう。チェンタッツィオのフットワークの軽さは、イタリアがヨーロッパ・フリーの世界では周縁の地でしかなかったゆえにもたらされたものかもしれない。当時の近藤等則の動きにも一脈通じるものがある。その近藤ともチェンタッツォはニューヨークで共演している。

チェンタッツォの音楽歴は、ジョルジォ・ガスリーニのバンドに抜擢されたところから始まったと言ってもいい。ガスリーニは、日本では過小評価されているとしかいいようがないが、イタリアのマエストロと言っていい存在である。初期の『テンポ・ジ・エラジオーネ』や『オルトレ』は音楽的な革新性を内在した作品だった。

「ジョルジォ・ガスリーニは私の師といっていい。私は小さな村に住む無名のドラマーだったけど、友人が私の送ったテープをガスリーニに聞かせた。私のパーカッション、そのコンセプションを気に入ってもらえた。それでオーディションに行って、彼のカルテットに加わり、2年間活動を共にしたんだ。その頃は月に20回コンサートがあってね。イタリアのジャズ、とりわけ前衛ジャズが一番活発だった時期だった。工場や劇場、オープン・スペースでも演奏したよ。音楽と政治的な結びつきも強かった。その頃は音楽的な革命も政治的なものも同義に捉えられていたから。工場でコンサートをした時には、家ではビートルズやローリング・ストーンズしか聞かないような人達も来て、静かに聞いていた。政治的な理由からね。でも、70年代終わりにはロックがそれに取って代わったんだ。

ガスリーニは個人的に重要なミュージシャンだ。ガスリーニはクラシック音楽の作曲や指揮もする素晴らしい技術を持ったピアニストで、12音音楽のシステムをジャズに取り入れた。彼のバックグラウンドはクラシック音楽だけど、それを初めてやったんだ。

ガスリーニはイタリアにいたということもまた重要。例えば、オーストリアの偉大なピアニスト、ジョー・ザビヌルはニューヨークに行ってしまっただろう。70年代に彼はミラノいた。彼はローカル・ヒーローだったよ」

70年代のイタリアでは前衛ジャズと政治的な運動が結びついていたことは、ガスリーニやマリオ・スキアーノも指摘していた。これは他のヨーロッパ諸国、イギリスやドイツ、オランダではなかった現象で、大変興味深い。

チェンタッツォのもう一人の師はスティーヴ・レイシーである。そして、彼との共演はまたIctus Recordsの最初の作品となった

ガスリーニはクラシック音楽出身のミュージシャンだから、どのように演奏すべきか、どのようにスコアを読みとるべきか、どこで即興すべきか教えてくれた。でも、作品をやはり第一義的に考えていた。でも、スティーヴ・レイシーは違う。もっとオープンで、自分の感じるままに演奏することを教えられたんだ。ガスリーニの教えも一方では貴重だったが、レイシーには即興演奏を学んだといえる。

Ictus Recordsの最初の作品はレイシーとのデュオ『Clangs』だ。レイシーとはベースのケント・カーターとのトリオでツアーもした。この録音も出しているよ。その時点ではIctusを続けていけるかどうか、自分では正直わからなかった。でも、IctusはドイツのFMP、オランダのICP、イギリスのIncusと並ぶヨーロッパのフリー・ミュージックのレーベルとなった。フランスにはBYGがあったが、アーチー・シェップなどアメリカ人ミュージシャンの録音が多かったね。でも、イタリアにIctusあり、だったんだ。運営面は妻がやっていた。利益が出るとそれを元手に次ぎのレコーディングにつぎ込んだ。そうやって、現在のカタログになったんだよ。でも、私の手元にはお金は残らなかったね」

Ictus Recordsはチェンタッツォの個人レーベルだが、その共演者には当時ヨーロッパ・フリーの最前衛だったデレク・ベイリー、エヴァン・パーカーなどがいる一方、ロヴァ・サキソフォン・カルテット、またニューヨークで当時まだ無名だったジョン・ゾーンを初めとするダウンタウンのミュージシャンに至る。これは70年代から80年代のポスト・フリージャズの流れそのものなのだ。

また、チェンタッツォはMitteleuropa Orchestraを結成し、その録音もIctusに残している。ヨーロッパならではの独自の方向性を持ったオーケストラといえば、グローブ・ユニティ、ロンドン・コンポーザース・ジャズ・オーケストラ、ICPオーケストラ、ウィーン・アート・オーケストラなどの名前がすぐ浮かぶが、イタリアにも彼のMitteleuropa Orchestraがあったのだ。そのメンバーには、日本にも度々来日していたカルロ・アクティス・ダト、ジャンルイジ・トロベシなどイタリア人の他に、ドイツのアルバート・マンゲルスドルフ、オーストリアのフランツ・コーグルマンやラドゥ・マルファッティ、ポルトガルのカルロス・ジンガロもいた。短命に終わってしまったのが残念である。

1976年の最初のリリースから8年、Ictus Recordsは1984年にいったん活動を休止する。その理由は運営面を仕切っていた妻との離婚であった。その後、事故で重傷を負ったこともあって演奏活動を休止し、1991年にはロスアンジェルスに移住するが演奏活動は行わず作曲に専念する。

1997年になって演奏活動を再開。ボルチモア在住の須藤伸義(p)、ペリー・ロビンソン(b)とのトリオ、加藤英樹(b)とマルコ・カッペリ(g)とのトリオ、またガムラン・アンサンブルとの共演、ビデオを用いたマルチメディア・プロジェクトとその活動範囲は以前にも増して多彩である。一時Robi DroriからCDで再発されたもののそれも短命に終わり、市場から消えていたIctus Recordsだが、iTuneストアでのダウンロード配信を薦められ、それを始めたことをきっかけに息を吹き返した。旧譜の再発、未発表音源のリリースだけではなく、最新録音も次々と発表している。不思議なことに新生Ictus Recordsのジャケット・デザインはオリエンタル趣味。その理由はチェンタッツィオの現在のガールフレンドが日系人だからだった。「日本人のほうがその繊細さにおいて、アメリカ人よりはヨーロッパ人の感性に近い」という。彼の最近の共演者には須藤や加藤に加えて、若手日本人ミュージシャン、モトコ・ホンダ、カイ・クロサワの名前が出てくるのはそのせいだろうか。

チェンタッツォのパーカッションにおける師はピエール・ファーヴルである。ファーヴレはドラム・セットにゴングを持ち込んだ最初のドラマーだという。確かにチェンタッツィオのパーカッション・サウンドや拡張したセットにその影響がちらほら見える。実は彼はスイス、ベルンにあるジャズ・スクールで学んでいたのだ。その理由は「当時バークリー・メソッドをヨーロッパで教えていたのはそこだけだったから」だと。現在のチェンタッツィオの音楽性からは意外に思えるが、多くのヨーロッパ・フリー第一世代の多くが若い頃はジャズ・プレイヤーだったことを考えるとあながち不思議でもない。

フリージャズの時代以降、スイスのピエール・ファーヴル、ドイツのポール・ローフェンス、イギリスのトニー・オクスレー、ポール・リットンなどヨーロッパには素晴らしいパーカッション奏者がいて、ジャズのドラム・セットの概念を超えたパーカッション・サウンドの可能性を拓いてきた。チェンタッツィオもまさにその一人といえる。

チェンタッツォはいう。「イタリア人はゴシックで情熱的である。だから、その音楽が素晴らしいのだ」。彼もまさしくその一人だ。

*Ictus Recordsの国内流通状態は不明だが、下記HPからCDを購入できる。iTune Storeでもダウンロード可能。
http://www.ictusrecords.com/


2008年に彼が観光で来日した際にインタビュー、JazzTokyoのコラムに書いた記事を再掲載。
初出:No. 93, 2008年5月18日

写真は2014年来日時、9月16日キッドアイラックアートホールでの公演で撮影したもの。

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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