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Jazz Right NowInterviewsNo. 327

#290. 【トークイヴェント】エクストリーム・フリーな彼らにとってのアヴァンギャルド・シーン~ マーティン・エスカランテ+ウィーゼル・ウォルター+テテ・レギア

Text by Akira Saito 齊藤聡
Photos by Akira Saito 齊藤聡 and Everardo Felipe (noted)
2025/5/31(土) 13:00~ 月花舎にて(東京・神保町)

ハードコア・ドラマーのウィーゼル・ウォルターが待望の来日を果たした。ノイズ/アヴァン・シーンへの影響力は絶大なものだ。一方、メキシコのサックス奏者マーティン・エスカランテの個性はまったく異質で唯一無二。サックスのネックを取り外してマウスピースを直付けし、ときに床に楽器を叩きつけもして、首の動きや全身の痙攣も駆使してひたすら吹き続けるエクストリームなプレイヤーである。2019年の初来日時には観た者を笑うほど驚愕させた。そして、さらなる共演者として日本初登場のベーシスト/ギタリスト、テテ・レギアは、ペルーのエクスペリメンタル・シーンを作り上げてきた。北米から中南米、さらに世界を旅するかれらに、現在進行形のインプロヴィゼーションやエクスペリメンタルの状況について話を聞いた。

Artists
Martín Escalante マーティン・エスカランテ (ME)
Weasel Walter ウィーゼル・ウォルター (WW)
Teté Leguía テテ・レギア (TL)
Moderators
Akira Saito 齊藤聡 (AS)
Takeshi Goda 剛田武 (TG)
Audiences
Everardo Felipe エバラード・フェリペ (EF)
Nicole Abboud ニコール・アブード (NA)

AS 私たちは2018年にニューヨークの音楽シーンの人名マップを作ったのですが(*1)、「Avant/Noise」の中心にウィーゼルさんの名前を位置付けています。もう7年も前ですけれど。

WW ああ、その宇宙から来たんだよ。まあね、このへんの人たちのほとんどと一緒に演っている。2018年のシーンに関してはかなり正確だね。でも過去のことだし、もう存在しない世界だ。一部の人たちはまだ存在しているけれど、関係性は変わっているかも。当時大きなシーンだったけれど、私に関していえば伝統的なジャズなんかではなくて間違いなく反逆的なパンク寄りだった。別にカオスが好きなんじゃないけれど、音楽で破壊的なことをするのが好きで、おそらく多くの人が演りたいものよりずっとカオス的であったかもしれない。気に入った人もそうでない人もいたし、ほとんどの人は気にも留めていなかった。まあ難しい問題だよね。

AS なぜそのあとシカゴに戻ったのですか。

WW 個人的な理由。ニューヨークは経済的にも、もしかしたら社交的にも、住みにくい場所だと感じた。それにシカゴでやらなければならない仕事もあった。別にシカゴでなければならないわけじゃないし、実際、20年前には絶対に戻らないと誓ったんだけれど。もしかしたらまた新しい場所に行くかもしれない。

AS このころクリス・ピッツィオコス(サックス)はどうでしたか。

WW かれがまだ若いころに知り合った。20歳か21歳で、大学に通っていた。ノイズロックグループみたいなところ(*2)で演っているのを見て、すごくいいと思った。だから頼んで、デュオで多くの演奏をするようになり、そのあともいろいろ一緒に演った。最初にアルバムを出したのは2012年だったかな(*3)。間が開いてしまったけれど、最近また共演したよ。最高だった。

AS 私がクリスを最初に観たのは2015年、ブルックリンのShapeshifter Labでした。驚くべきものでした。

WW ああ、あそこでもいろいろな組み合わせで演った。クリスのパンクジャズのグループ・CP Unitでティム・ダール(ベース)、ブランドン・シーブルック(ギター)とも一緒に。当時のニューヨークはこういうのに向いていた。演奏する場所もたくさんあったし、いい演者もたくさんいた。いい意味で競争が激しかった。ときどきそういうシーンがあらわれるんだよね。(最初のデュオを聴いて)うん、たしかに一緒に演ったのはこれが初めてだと思う。本当に最高だよ。かれはもうこんなふうに演奏しないよね―――成熟したんだろうね。いまはもっと言いたいことがあるんだろうし、表現力も豊か。すごくいい。だから8年ぶりくらいに共演したけれど、すぐにノリが合ってまったく問題なかった。じっさいすぐれたインプロヴァイザーならすぐに決めて演奏し、それがよければ勝ちだ。だれもが上手いわけではないけれど、下手なのもその人の自由だし、人前で下手な演奏をする自由だってある。私にだって誰かがそう言ってくる可能性がある。美学の問題かもしれない。あなたがそれを好きでも他の人は嫌うかもしれないんだし。主観的なものだ。

AS 2009年にシカゴからニューヨークに引っ越したんでしたっけ。

WW いや、その前の2003年にシカゴからカリフォルニア州オークランドに引っ越した。デーモン・スミス(ベース)や多くの人たちと演奏した。ニューヨークに越したのはそのあと、2009年だ。それまでにもニューヨークではしょっちゅうギグに行っていて、メアリー・ハルヴォーソン(ギター)の家のソファで1週間寝泊まりしたり、ドアギグばかり演ったり。だから、いいか悪いかわからなかったのだけれど、最終的にニューヨークに越すと決めたわけ。しばらくはよかったかな。

AS そうそう、そこに座っている溝辺隼巳さん(ベース)はデーモン・スミスがお気に入りだそうです。

WW デーモンがどんどん大きくなる一方でベースはどんどん小さくなっていった。かれはいま本当に素晴らしい演奏をしている。私たちは一緒にたくさんのギグを演ってたくさんのレコードを作った。じつは私を引退から引き戻してくれたのはデーモンだ。だって、その時点では即興演奏をやらなくなっていたし、シカゴのシーンも好きじゃなくてつまらないと思って、即興には参加していなかった。即興がたんに悪いものかもしれないと思っていたんだ。でもオークランドに移ってから、デーモン・スミスとも他の人たちとも共演した。いや即興は素晴らしいんだよ。いい人たちと演ればいいんだよ。街や人によって即興演奏のスタイルはちがうんだよ。

AS シカゴではニコール・ミッチェル(フルート)などAACM(Association for The Advancement of Creative Musicians)の人たちやケン・ヴァンダーマーク(サックス)らとも共演なさっていますよね。

WW AACMでいえば、ロスコー・ミッチェル(サックス)との演奏はごく最近のこと。この10年で3、4回のコンサートをやって、CDを2枚出した(*4)。音楽的にはとても変わったグループで、とても点描画的な感じ。4人全員が同時に演奏することはめったになくて、コンサートの時間の半分もない。立って自分の出番を待つ。だから、濃密なフリージャズとはちがっていて、点描画法、ピエール・ブーレーズ、室内楽のイメージ。ロスコー・ミッチェルはまちがいなく20世紀モダニズムの影響を受けていると思うし、私もそうだ。デーモン・スミスもそうだし、サミー・ユアンはすばらしいギタリストだ。ケン・ヴァンダーマークとは1996年以来話も共演もしていない。当時私たちはまだ若かったし、他にだれもいなかったから、しばらく共演していた。かれは明らかにシカゴに新しい創造的な音楽の波を起こした立役者だし、成し遂げたことも多いけれど、私とはあまり意見が合わなかった。まあこのへんでやめておくよ。

AS 共演者たちについてなにかコメントはありますか。

WW もちろん。即興では常に個性的な声を求めるし、とても独自的な音で演奏している人を聴くと、一緒に演る自分の姿を想像するのが常だから。このトリオでも同じことが起きた。数年前、サックス奏者のサム・ワインバーグがやってきて、マーティンの音を10秒くらい聴かせてくれた。私は「これだ、一緒に演らないと」と思ってしまった。テテもベースに対して非常に個性的なアプローチをしている。だから、このトリオのおもしろさは皆がとても独自的な声を持っているということ。一緒にいると本当に力強いものになる。かれらは好きなように表現すればいい。そして3人の声が合わさると、他に誰もやっていない独特なサウンドが生まれる。誇らしいことだよ。目標は、とても力強いサウンドを持っている独特な人たちを見つけ出し、そこから新しい音楽を作ることだ。

AS ニューヨークではメアリー・ハルヴォーソン(ギター)、ヘンリー・カイザー(ギター)、マーク・エドワーズ(ドラムス)、ピーター・エヴァンス(トランペット)といった人たちと共演してきましたね。

WW マーク・エドワーズは大好きだよ。セシル・テイラーのアルバムなんかで聴いていた(*5)。ニューヨークに住んでいたころ、マークに電話して「ライヴをやりませんか」と訊いたところ「うん」という返事。それで、私のバンドのセルラー・カオスで演奏してくれて、そのあともたくさん共演した。かれは素晴らしいし旧世代の偉大なミュージシャンのひとりだ。マークとのデュオ盤(*6)で私はベースを弾いている。最初はふたりともドラムだったんだけれど、クラブではちょっとやりすぎてしまったから。70年代からいまなお活躍している、最高にエネルギッシュなドラマーのひとりだろう。いまもものすごくパワフルで速いし、まあ伝説的な人だね。

AS このトリオはいつ結成したんでしたっけ。

WW 2021年に、ニューヨークでライヴを何本か演ろうって話になって。その前からそれぞれ別々に共演したことがあって、互いをある程度は知っていた。マーティンと私はすでにデュオ盤を出していたし(*7)。ここに来る前にもマーティンとデュオを演っていたんだけれど、3人目のメンバー、3つめのテクスチャー、3つめの声が加わると音楽が大きく変わる。3人だととても簡単に感じるところもあって、2人ではもっとチャレンジングで埋めるべきスペースが増える。

AS あなたにとってマーティンの独自性はなんですか。

WW 10秒聴いただけで、他に類をみない声の持ち主だと解った。私はいつも「マーティンは他のサックス奏者が終わるところから始まる」と言っている。解るかな?かれのアプローチは非常に個性的で、オーケストラ的でもあると思う。かれが演奏すると倍音がすべて聴こえる。倍音とかれの声が管を通して響き、すべての要素が合わさって、まるでオーケストラみたいなんだ。私にとってはサックスだけよりもはるかに大きい。だから、マーティンと共演する方法は本当に無限大だ。さまざまな音色を聴くことができるから語りつくせないね。いつもかれのことを自慢している。

AS マーティンが私に言ったことを覚えています。サックスのネックを取り外して、何らかのピースを介してマウスピースを直接取り付けるんでしたね。そしてピースがないと管が狭くなる、と。

ME うん、そう言った。サックスの本体を3.5センチほど延長し、ゴムホースでマウスピースとの間で密閉性と柔軟性を高める。普通のサックスのように管をマウスピースの中に入れるのではなく、マウスピースの周りを取り囲むようにするんだ。つまりサックスがマウスピースに入るのではなく、マウスピースがホースに入る。それが音に影響を及ぼしている。

AS ここに辿り着くまでにどれくらいの時間が?

ME 何年も。最初はマウスピースを外して演奏し、小さな音を出していた。即興演奏を続けていてサックスに飽きてしまったから。でもすでに多くの人がそれをやっていたし、マウスピース自体も好きだったから、そんなにおもしろいとは思わなかった。あるとき、音を増幅できるかもしれないなと思いついた。いろいろ試してみたり、自分の音を録音して聴きなおしてみたりして、あらゆるところからもっともエクストリームなレイヤード・サウンドを引き出そうとしたり、喉の音をできるだけ増幅したり。ネックを外すと喉で起こっていることがサックス本体にずっと速く送られるから大きく聴こえる。だから、少しずつ色々なものを積み重ねて、面白いと思ったものを加えてゆく―――まあ、やっているのは私だけじゃない。

WW だから私は、ほとんどのサックス奏者が終わるところから始めればいい、と言っているんだ。もちろん、特にアメリカには、アルバート・アイラーやフランク・ロウといったエクストリームなサックス奏者の歴史がある。マーティンのサウンド世界は、こういったタイプのプレイヤーの最も極端な点から出発し、そこからさらに先に進んでいるように感じる。これは視点の問題だけれど、かれらもまた異なる伝統に基づいて演奏しているから、それぞれの声は異なる種類の極端な感情を帯びているように感じる。

ME 一方、私はノイズミュージックを作ろうとしていて、多くのハーシュノイズのミュージシャンの音を出そうとしている。そこが、いま名前の出たプレイヤーたちとは全く異なる領域に踏み込んでいる点だ。つまり、ジャズの要素は少なくなっている。けれども、若いときジャズを演奏しようとしていたころは、エリック・ドルフィーなどを真似しようとしていた。だからジャズは避けられなくて私の中にずっと残っている。

TG あなたはどれくらいこのスタイルで演奏しているのでしょうか。

ME 2012年頃からだから、13年間くらいかな。今年私が作った新しいCDのタイトルには「ハーシュノイズ」を付している(*8)。ハーシュノイズを演奏することはできるけれど、もう私のサックスは全部壊れている。ネックとかのピースがどこにあるかわからないし、音漏れしている。普通のサックスを吹きたいなら修理するか新しいのを買わないといけない。でも大丈夫、必要ない。ときどき、ああいくつかメロディーを吹けるかなって思うことがあるんだ。ライヴじゃなくて、自分の部屋でひとりで吹く感じだけどね。そんなときはピアノを弾けばいいし、それでいいと思う。

TG あなたに大きな影響を与えたノイズ・アーティストは誰でしょうか。

ME 半分は日本人だよ、クラシックのね。最初はもちろんメルツバウで、そのあとはジャズカマー、ジョン・ウィーゼ。それからジョン・ダンカン、ルドルフ・イーバー、マゾンナ、非常階段、インキャパシタンツ。そう、インキャパシタンツのようなエレクトロニック・ミュージックを作りたいけれど電子音楽の知識は全然ないなって思っていた時に、サックスでやってみようと思い立ったんだ。彼らのサウンドに近づけようと。そう、ときどきは大変な作業になるんだよね。

TG ボルビトマグース(サックスグループ)のことも思い出します。

ME 私がそういう風に演奏し始めて何年も経ってからかれらのことを知ったんだけど、素晴らしいね。比較してみるといいね。

AS T.美川(エレクトロニクス)のことは、共演する前から知っていたんですか。

ME かれの音楽は知っていたよ。だから素晴らしいコラボレーションだった。驚いたしすごくよかった。大好きだ。昨夜共演したふたりのミュージシャン(※沼田順、中村としまる)と演奏するのはとても自然な感じで、すぐに理解し合えた。私たちに共通しているのは、勢いをつけたい、音楽を前に進めたいという気持ち。それから、いつもではないけれど、エネルギーがまずトップから始まって、そこからダイナミックになっていく感じ。私が即興演奏を始めた頃は、インプロヴァイザーはいつも少しずつ音を出して演奏を始めようとしていた、いつもだ。でも、私はそれに飽きてしまった。形を作ることは悪いことではないし、たまにはそういうことをすることもある。でも、いつもそうしようとするのがとても退屈になった。私がソロで演奏するときはいつもトップから始めて、水を飲む必要がある時、疲れている時、といった状況に応じて自然にダイナミクスが生まれる。意図したダイナミクスではなく、ただ起こる。構造が考えずに生まれるということだ。たとえば昨夜の私たちの演奏のように、ひとりが何かを演奏すると、ほとんど一瞬のうちに自動的に変化するポイントがある。別のひとりが何かを聴き、それがチャンスになるから。たしかに思慮のない行為だ。なぜなら、予期しているのではなくまさにその瞬間に反応しているだけだから。意識的には部屋の中で人々と演奏しているとさまざまな影響を受けている。だけど、計画したり「よし、2分で止めよう」と言ったりするよりも、あるいはなにかを期待するよりも、潜在意識に任せた方がいい。お互いの声がどんなものかはある程度分かっているつもりだけど、長さだとか、こうしてほしいとか、そういうことを期待して演奏に臨もうとは思わない。なにかが、ただのノイズ以上のなにかが、そこにはあるはずだ。つまり、なんらかのダイナミクスがなければならない。

AS (マット・モッテルとの共演盤(*9)を流す)ニューヨークのサウンドはどんな感じですか。

ME ニューヨーク、ああニューヨーク。ニューヨークは楽しかった。素晴らしい人たちに出会い、一緒に演奏した。訪れる価値のある美しい街だ。でも、ミュージシャンを見つけるのに、ニューヨークと同じかもっといい場所は他にもあると思う。日本もそのひとつだ。リマやペルーもそうだ。あちらに行った時も、とても気が合い、私のことを理解してくれるミュージシャンがたくさんいた。もう4年くらいニューヨークで演奏していないと思う。ロサンゼルスに行って、グループ・インプロヴィゼーションを一緒に演った。一度も会ったことがなかったのだけれど、マットが「ああ、君の演奏がすごく気に入った」と言ってくれた。それで、数週間後にマットがロングビーチでセッションを予約してくれて、レコーディングをした。最高だった。私はシンセサイザーが好きなんだよ。マットは本当に容赦ないし、エネルギーに溢れていて、一緒にいるといつも楽しい。それに率直で気取ったところがほとんどない。ロックもファンクミュージックも好き。他のインプロヴァイザーたちはすぐに心を閉ざしてしまい、その方がいいと思っているようなことが多いから、マットのことはちょっと新鮮に感じるよ。本当に楽しい。

TL マーティンに初めて会ったのは2014年だったと思う。だから10年くらい前だね。8月、メキシコかリマでの映画祭に行ったんだ。そのときルイス・アルバラード(Luis Alvarado)が私に電話してきた。即興音楽の界隈で影響力のあるゴッドファーザーのような存在で、リマのBuh Recordsを運営している人だ。曰く、メキシコ人のサックス奏者がいるから、ミゲル・フローレス(Miguel Flores)(リマのドラマー)とトリオを組まないかと言ってきたんだ。すごく変わったトリオだったし、クールだった。マーティンとのデュオ『BR80』は出会ってから半年くらいで録音したと思う。すごく熱いよね。

AS 『BR80』はノルウェーで録音?

TL そうそう、マーティンとの演奏が心に残っていた。私がリマからバルセロナにちょっと引っ越していたときで、マーティンが「ノルウェーに来たらレコーディングしようよ。仕事でノルウェーに来ているから」と言ってくれた。マーティンは映画『触手』(2016年、アマト・エスカランテ監督。ヴェネツィア映画祭銀獅子賞(監督賞)を受賞)のサウンドトラックの仕事で来ていて、ノルウェーのノイズのラッセ・マーハーグ(Lasse Marhaug)、グロ・モー(Guro MoE)との共作。

AS 一般的に言って、私たち日本のリスナーは南米のアヴァンギャルド・ジャズ・シーンについてあまり知らないんですよね。

TL ペルーには、ジャズ、アヴァンギャルドはもちろん、即興音楽、実験音楽、ノイズ音楽があるし、リマではノイズ音楽がさかん。でも、即興音楽のようなものはリマでは比較的新しいものでとても多様だし、個々の要素があまりないからすべてがひとつに混ざり合っている。エクスペリメンタルに焦点を当てたセッションも多いけど、バラバラの要素が詰まったコンサートになる。昨夜のコンサートみたいに、日本では同じコンサートで多くのものが入っていて、ノイズだらけのヒップホップって感じ。ニューヨークやロサンゼルスではそんなことは起きない。私は2016年にフリー・インプロヴィゼーションのコンサートのシリーズを始めたんだけど、そういうことを中心に演っているミュージシャンはさほど多くなくて、結局は、ノイズ、サイケデリック、ジャズなど色々な人が集まってミックスされるものになった。

AS 金属板を使ったり膝の上に楽器を置いたりする、あなたの独特なスタイルはどうやって見つけたのでしょうか。

TL リマでマーティンと演奏したあと、バルセロナに引っ越してから始めた。マーティンについて「サックスであんなこともできるのか」と自問自答し、ベースでなにができるのかを考えた。エフェクトを使わないというアイデアも気に入った。バルセロナですばらしいサックス奏者のドン・マルフォン(Don Malfon)に出会ったことも大きい。共演もして、ベースであんな音を出せるようになりたいと思ったんだ。それでホームセンターに行って、いろんなものを買い集めて、何ヶ月もかけて様々な組み合わせを試した。そして何年もかけて、今使っているものに辿り着いた。発泡スチロールを見て、ナイフを使えばいいのかと考えた。それが金属定規になった。その前は爪切りとか電気シェーバーとかも使った。以前はテーブルにいろいろ置いて演奏したけれど、昨夜はシェーバーと爪切りと金属定規の3つだけになってしまった。

AS あなたは絵も描いています。アートと音楽になにかちがいはありますか。

TL どう答えていいのかわからない。何年もかけて互いに影響を与えたのだと思うけど、どのようにかはよくわからない。ただエネルギーの面で言えば、演奏中に起こることを時々絵の中に感じることができる。その逆もある。

TG 学校ではアートを学んだのですか、それとも音楽を学んだのですか。

TL 音楽院で音楽を勉強した。奇妙なことに私たち3人とも音楽理論については知っているんだけれど、特定の方法で表現しなければならないと証明することにはこだわっていない。楽器の通常の役割を解体するという考えの一部なんだ。私たちにとってはそうする自由があるのがおもしろい。

AS マーティン、あなたも写真家だけれど音楽と写真の関係性は?

ME 広い意味ではすごく似ている。お金のころを心配しているときは、誰かの真似でシーンに合わせようとして、いつもイライラすることになる。そんなことを気にするのをやめて、自分の内側にあることをして、それを表に出す機会を与えるのが、どんな成功も達成できる唯一の方法だよ。そうでなければ、自分ではコントロールできない力に翻弄されるだけになるからね。

AS 今回、ウィーゼルとテテははじめての来日でしょうか。

TL 私ははじめて。

WW 20年近く前に、僕がいたハードコアバンドで来たことがあるんだけど、あれはロックンロールのツアーみたいなものだった。即興音楽じゃなかった。

AS ウィーゼルっていうのは本名?

WW 本名じゃない。11歳の時に名前を変えた。まあ、ダダ、ナンセンス、シュルレアリスムだ。警察は私をクリストファーと呼ぶけど、あなたがたはウィーゼルやミスター・ウォルターと呼んでくれ。私の名字と同じ頭文字でWWになる。それ以上のことは特にない。みんなはそれを何か略称か何かだと思っているようだ―――例えば「ワッキー・ウォルター」とか。でも私の本名とは何の関係もない。ただの名前だ。

AS 日本のインプロヴァイザーたちと演奏するのは、あなたにとって新しい経験でしょうか。

WW 何人かと共演したことはある。例えば、もともと不失者にいた白石民夫(サックス)とはニューヨークで共演した。素晴らしいし大好きだ。今回マーティンが共演する吉田達也(ドラムス)はルインズなんかで知っていたし、フライング・ルッテンバッカーズ(The Flying Luttenbachers)のマグマ(Magma)のカバーのとき参加してくれた。でも、一緒に演奏したことはない。私は、特に70年代の日本のフリージャズ・シーンが大好きなんだ。高柳昌行(ギター)、山下洋輔(ピアノ)、富樫雅彦(ドラムス)といったタイプのプレイヤーのレコードは本当にラディカルで、アメリカのフリージャズを倍増させたような、日本流のシュルレアリスムみたいな感じ。日本って、なんというか、次のレベルに引き上げた感じがある。だから、90年代のノイズ・シーンも知っていた。つまり、こういう音楽に対する日本という視点は私にとってつねに重要な意味があった。

AS あなたはジム・オルークの家で高柳昌行の音楽をはじめて聴いたと言っていましたね(*10)。

WW そうだね。もう百回くらいは話した有名な話だけれど。1997年にジムの家でフライング・ルッテンバッカーズのレコードを制作していたときのことだ。ジムはかなり早い段階でコンピューターを持っていた。編集作業の途中で、「ウィーゼル、このレコードを買ったんだ。200ドルも払ったんだぞ。これを聴いてくれ。この音楽を聴いてくれ」と言った。それが『インスピレーション&パワー14』の2枚組LPだった。高柳の音を聴いて、私はすぐに「わあ、これは本当に聴きたかった音楽だ」と思った。それで、すぐに反応してちょっとしたトリビュート・レコードを作った(*11)。でもそのときアメリカ人の多くは高柳のことなんて知らなかった。カルト的に人気があったからなかなか手に入らず、だからジムは200ドルも払ったんだよ。いま再発盤が出ているのは素晴らしいよね。

AS 私は阿部薫の本に寄稿した中にあなたやマーティンのことを書きました。

WW そういう音楽が好きなんだ。ただ始まって終わるっていう感じ。高柳にはマス・プロジェクションのスタイルもあって、10で始まって10のまま。あのコンピレーション・アルバムからの曲のアルバム(*12)は大友良英がフルコンサートのテープを復元したもので、とても素晴らしい。だって、ほとんどの人が終わるところで始まるんだから。すごくパワフルに始まるんだけど、そこからどんどんどんどん高くなっていく。それを人前で演奏して10分も経つと、みんな「わあ、まだ半分も終わってないじゃないか。ちょっと待って」って感じになる。音楽ってこういう感じになるんだって思うんだ。これはある意味では第二次世界大戦への反応だったと思う。広島とか原爆みたいな。ただのパワー、つまり制御できず頭を使わないパワー。こういう音楽を真似て演奏するわけではないんだけど、勢いがあって、すごく速いものが好きなんだよ。そうだ、若松孝二の映画『エンドレス・ワルツ』のことも知っている。灰野敬二も出ていたのが興味深かった。

AS 昨晩のあなたがたの演奏もすごくパワフルでエネルギーに満ちていました。あなたが「動脈の破れから一挙に噴出する血液」を好きだと言っていたことを覚えています。

WW ありがとう。ドラムはある意味でとても限られた音域しか出せないし、私にはいろいろなテクニックがあるんだけど、それはそれとしてドラムは曲の構成を整えるための手段みたいなものだと思っている。だから、私が演奏を止めるのは疲れているからとかじゃなくて、他のプレイヤーに新しい機会を与えたいからなんだ。私がずっと演奏し続ける必要はない。―――いや、そうじゃない。これはオーケストラなんだ。オーケストラ曲って、各パートがソロ、デュオ、トリオ、カルテットで構成されていることもあるよね。私が貢献しているのは構成の部分なんだ。もし私が、とにかく狂ったように超高速で演奏したいと思ったらそうすることもできるけど、それはちょっと退屈だし機会を逃してしまうと思う。だから、演奏を始めたり止めたりする。それに、観客やバンドメンバーにサプライズを提供したいとも思っている。

AS 昨夜の沼田順と中村としまる以外に、日本人のインプロヴァイザーを知っていますか。

TE ペルー系日本人はいるけれど、日本人はいないかな。河端一(ギター等)がAcid Mothers Templeのツアーで2019年に南米に来たとき、共演したことはある。

ME アメリカやメキシコでは大友良英や吉田達也なんかは有名だし、中村としまるも知られている。たとえば大友や吉田とのレコードを人々に見せると、わあ知っている、素晴らしいプレイヤーだ、とくる。けれど、竹下勇馬(セルフメイド楽器)、大上流一(ギター)、武田理沙(キーボード、ドラムス)など若い世代の人たちはまだ知られていない。だからクールだ。これまでいろいろな人がかれらを紹介してくれた。空間現代も知っている。そんなふうにして大友良英とも知り合うことができた。2017年だったか、かれがブラジルでコンサートをやったときに手紙を書こうとしたんだけど、向こうも忙しいしうまくいかなかった。そのあと友人がつないでくれて、2019年の京都での共演につながった。レコードにするとき、ラッセがサウンドメイクとパッケージングを手伝ってくれた。楽しいプロセスだった。

TG ペルーやメキシコでは70年代フリージャズのような伝統があったのでしょうか。

ME 父はサックスを演奏していて、80年代か70年代後半には演奏していたし、叔父たちもそうだった。レコードはオンラインでも見つかると思うけど、叔父ふたりと他のミュージシャンが演奏している。70年代後半か80年代、82年頃のものだったと思う。祖父もメキシコでベースとサックスを演奏していた。別になにか柱があると言いたいわけじゃない。子どものころから、父が偉大なアメリカのフリージャズ・ミュージシャンたちのレコードをたくさん聴かせてくれたから、それを通じてスティーヴ・レイシーなどのプレイヤーを知った。

TG お父さんはフリージャズのような音楽も演奏していたのでしょうか。

ME はい。サックスの他に、スオナという中国のダブルリードの楽器やバグパイプなんかも演っていた。私と父とモーとでアルバムも作ったんだよ(*13)。

TL ペルー・ジャズ(Perujazz)という、マノゴ・ムヒカ(Manongo Mujica)(ドラムス)、エンリケ・ルナ(Enrique Luna)(ベース)、フリオ・チョコラテ・アルヘンドネス(Julio “Chocolate” Algendones)(パーカッション)、ジャン・ピエール・マグネト(Jean Pierre Magnet)(サックス)が70年代に結成したバンドがある。ペルーにはカルロス・エスピノーザ(Carlos Espinoza)(サックス)のようなプレイヤーもいた。アンドレス・プラド(Andrés Prado)(ギター)のようにアフロ・ペルーのリズムを取り入れたフュージョン・ジャズの大きな流れがあるけれど、これはフリージャズではない。ペルーではフリージャズはかなり新しくて、おそらくは2000年代以降、若いプレイヤーたちが興味を持っている。

TG 即興演奏するときはどんなふうに感じているのでしょうか。

WW できるだけ速く演奏しようとはしているけれど、同時に他のことにも気を配って、音楽をおもしろくしようともしている。でも、それはマーティンがさっき言ったようなことじゃない。準備する必要なんてないと思う。ただやるだけ。

ME 何を考えているかっていうと…、まあ、クリシェ過ぎなければいい。瞑想とかヒーリングみたいな感じかな。ときには技術的なことや喉や身体のことを考える。エネルギーを節約して、セット全体に分散させるようにしているんだ。すぐに喉を痛めたくはない。だからバランスを取っているんだ。時々、少しそういうことを考えてもいる。意識的な思考と無意識的な思考の中間みたいな感じ。

WW 忍耐力も間違いなく必要だね。テクニックに関しても同じで、最初は大音量で始まってだんだん退屈な時間を経て徐々に消えていくようなクリシェの即興音楽は嫌だしよくない。

ME セット全体を通して、ある意味で同じエネルギーを維持しようと努力する。身体はそういう風に考えようとするんだけど、なんにせよそんなことは無理。水を飲んだり、息継ぎをしたり…。変化のないフラットなラインで演奏することに固執しているなら別だけど。エレクトロニクスじゃないし、ハーシュ・ノイズ・ウォールなんて作れないんだ。

WW できるかもしれないし、やってみたらちょっとクールかも。まあ、1時間ずっと同じドラムを叩き続けてもいいような気がするけれど、私にとってはすごく退屈だと思う。観客にとってどれだけ退屈になるかは想像に難くない。何度かやってみたことはあるけど、もう一度やってもおもしろいと思えるかどうかはわからない。

TL 前にそういうスタイルで演ったことがあって、できるだけ弛緩するようにしている。そうすると、何かが支配し始めるのが見える―――まるで誰かが何かの実体について話しているみたいに。私にとってはまさにそんな感じだ。それから、自分が決断を下している論理的なプロセス全体を見ることができる。どこから湧き上がってくるかわからないものを維持するために、できるだけ情報を与えないようにしているだけだ。それを何度も繰り返していけば、より早く感覚をつかむことができ、維持もできることが分かる。

WW 一種のアクション・ペインティングのようなものかもしれない。壁のあちらに緑、こちらに青の絵の具を投げつけたり、立ち止まって大きな赤い線を引いたりするような感じ。ある意味、それと似たようなものだと思う。つまり、それを行うという行為そのものが重要なんだ。

ME 音楽が始まるとすぐにこれから何が起こるのかを感じることができる。

WW まるで明晰な夢を見ているような感覚だ。少しは意識もあって、起こる全てをコントロールできるわけではないけれど、それでもできる限り楽しもうとする。スピード感には、ある瞬間からまるで何も考えずに引き込まれていくような感覚がある。高速道路の車線か何かに乗って、まるで波に乗るかサーフィンをしているかのように。

ME スポーツ選手はこれを「ゾーンに入る」と言うよね。

WW 錬金術みたいな感じかな。セットの前とかにちょっと疲れていても、一旦動き出したらほとんど楽になるから。波に乗ったら、ただ乗るだけ。

ME 私はそれをサムシングと呼んでいるんだけど、それが特定のサムシングにならなければならないと感じている。そして昨夜は、身体がすごく変な感じになっていったのを感じた。疲れ果てているような感じだったけど、それでも続けなければならない。そういう限界が来ると、すごくクールになる。音楽でよく起こることだよね。

WW みんなそういうことに遭遇すると思うんだけど、ある意味スポーツのようにとてもフィジカルなものだ。スポーツ選手がゾーンという言葉を使うとき、あまり考えずに衝動に身を任せてそのゾーンに入っている状態だと思う。それは私たち個人が長年培ってきた技術や、もう何も考えなくていいものにも関連している。もっと比喩的に言えば、車のギアチェンジみたいなもの。人が一生をかけて音楽制作に取り組む理由の一つは、ある程度のテクニックとヴォキャブラリーを身につけて、表現したいアイデアが湧いてくると、どんどん上達していくからだと思う。若い頃が最高の作品でその後は下降していく、なんていう必要はない。

ME うん、どんどん上達していく。その大きな理由は、物事を達成するために費やすエネルギーが少ないということだ。年を取ると身体の機能が少しずつ衰えるので、怪我をしないようにして、何かを達成するために使うエネルギーを減らそうとする。もっと若い頃は、こんなことを5分くらいしか演奏できなかったのに、それが10分、そして15分できるようになった。これは練習量が増えたからじゃなくて、同じことをより少ないエネルギーでできるようになるからだ。ただ練習をしているだけじゃなくて、舌の使い方、口の使い方、呼吸法を学んでいるんだ。すべては、同じことをより長い時間続けるためのもの。

TL だから実践的で、いろんな要素が混ざり合っている。

WW ドラミングもときにはダンスのようなものになる。ときにはジョークを言ったり、ユーモラスな演技をしたり、そういうくだらないことをしたりするために、エネルギーをもっと使えるようになるんだ。人生よりも大きな何かを作ろうとすることだと思う。それは自分の身体を使ってもできる。服装やドラムの演奏、そして自分の態度でね。この音楽をドライで無機質なものにはしたくない。だから時々観客に話しかけたり、からかったり、物を投げたり、唾を吐いたりするんだ。真剣に、ものすごく真剣にやっている。そうでなければ、こんなこと時間の無駄だろうぜ。正直言って面倒くさいから。でも、ちょっと倒錯した形で、楽しくしたいと思っている。つまり、これは誰もが考える楽しいことじゃなくて、僕が考える楽しいことなんだ。できるだけ楽しくしたい。無機質なことじゃない。

ME 以前、演奏した後に、奇妙な演奏の合間に少しだけトークを入れるショーをやろうとしたことがあるんだけど、それも楽しかった。ボリビアでやったんだ。レコードを少し演奏して、自分なりの楽しみを見つけたんだ。

TL うんうん、少し物語を語って、演奏する。9番街で友達と演奏する、っていう感じだったかな。

WW 私たちがミュージシャンでみんなが向こうで見ているだけっていう感じじゃなくて、少しでも共感してもらえるようにしたい。これは若い頃に受けたパンクの影響の名残かもしれない。10代の頃は70年代のパンクを聴いていたけど、60年代のフリージャズなども聴いていた。そして、彼らには、何かをして、大声で、存在感があって、エネルギーに満ちているという似たような態度があると思った。同じだとは思わないけれど、かれらには共感できる同じようなエネルギーがあった。ある意味、私の即興にはパンクなアプローチのようなものがあり、それを好む人もいれば、そうでない人もいる。それが私の表現方法なので、ある意味では、パフォーマンスをして無味乾燥で臨床的な科学的な即興にしたくない。私が興味をもつのは、どれほど深刻にできるかということと、どれほどばかげたものにできるかということだ。

AS えっ、どれほどばかげたものに!

WW これをするのは死ぬほど面倒だけれど、私は大好きだ―――許さないでください、私は時々音楽のために自分を殺しているだけです。観客に好きな部分を選ばせましょう、って。即興だから何でも好きなことができるんだよ、なぜやらないのか。そしてやりたいことはすべて私の姿勢なのだから、私の服装やステージでの演技などは即興の一部だ。とてもシンプルなことだ。

EF なにを演奏するかのこだわりはありますか。

WW ある意味で私はメイン楽器だけど、別に自己満足で言っているわけじゃない。むしろ何でも即興で演奏できるって感じ。つまり、ドラムだけがメイン楽器ってわけじゃない。ドラムで自分の声を表現するのと同じように、ドラムや特定の楽器に制限されるわけでもない。

NA あなたたちはこれから何を達成していきたいと思っていますか。

TL 浮遊を始めたい(笑)。

WW 高い基準を維持すること。

ME 私はできるだけ長く同じことを続けるだけ。新しいことはあまりないと思う。つまり、おもしろさを保ち、退屈にならないようにすること。もし少し退屈になったら、少し新しいことに挑戦するかもしれないけれど、長く続けずに同じことを達成しようとする。

WW でも、それが即興の一部なんだ。新しいことに挑戦して、全く同じノイズを出さない方法を毎回見つけること。

ME 最近、何度かターンテーブルを使ってサックスにノイズを加えたんだ。まだよくわからない。ソロで何かやってみようかな。サックスとターンテーブルについてはまだ問題点を解決中。今後はそれに注目(笑)。要するにターンテーブルの音を圧縮してサックスと同じくらいの音量にするペダルを見つける必要があるんだ。試してみたときは、十分な音量が出なかったんだけど、とりあえずペダルについて知っている人がいればね。

(文中敬称略)

(*1) 齊藤聡、定淳志、近田恵多、細田成嗣「NYを中心に変容するジャズの現在を捉える人名マップ2018」(『別冊ele-king カマシ・ワシントン/UKジャズの逆襲』、Pヴァイン、2018)
(*2) Bob Crusoe:Richard Lenz (g, vo), Chris Pitsiokos (sax,electronics), Nat Flack (ds)
(*3) Chris Pitsiokos, Weasel Walter『Unplanned Obsolescence』(2012)
(*4) Roscoe Mitchell, Sandy Ewen, Damon Smith, Weasel Walter『A Railroad Spike Forms The Voice』(2021)、『One Head Four People』(2024)
(*5) Cecil Taylor『Dark to Themselves』(1977)
(*6) Mark Edwards, Weasel Walter『Blood of the Earth』(2010)、『Solar Emission』(2011)
(*7) Martin Escalante, Weasel Walter『Lacerate』(2018)
(*8) Martin Escalante『Playing Harsh Noise on the Saxophone Since 2012』(2025)
(*9) Martín Escalante, Matt Mottel『Chop Party』 (2018)
(*10) 齊藤聡「阿部薫の他国への伝播と影響」(『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、文遊社、2020)
(*11) Weasel Walter, Fred Lonberg-Holm, Jim O’Rourke『Tribute To Masayuki Takayanagi』(2000)
(*12) 高柳昌行『インスピレーション&パワー14 完全版』(JINYA DISC、2024)
(*13) MoE, Escalantes『Saint Vitus Dance』(2022)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。linktr.ee/akirasaito

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