#167 【日米先鋭音楽家座談】クリス・ピッツィオコス×美川俊治×橋本孝之×川島誠
2017年9月30日(土)秋葉原IKEBECK Bar Space
Questionnaire by 剛田武 Takeshi Goda and 齊藤聡 Akira Saito
Translated by 剛田武 Takeshi Goda
Photos by 齊藤聡 Akira Saito
ニューヨーク即興シーンの新鋭クリス・ピッツィオコスは、来日前のインタビューでニューヨークやヨーロッパの前衛音楽シーンへの憂慮、「前衛」音楽の在り方、SNSへの抵抗感など、かなり衝撃的な発言をしていた。あくまでも彼の意見が一般論ではなく、個人的な捉え方だとしても、その熱い語り口には音楽シーンの今後を占うヒントがあるように思える。
今回の来日の機会に若手を含めた日本のミュージシャンと知り合いたいという彼の意向もあり、座談会風インタビューを企画した。JAPAN TOURの最終日、秋葉原Club Goodman公演のリハーサル前に集まってもらったのは、橋本孝之と川島誠という個性的な二人のサックス奏者と、ノイズ・シーンのベテラン美川俊治。奇しくも20、30、40、50代各世代が揃った対談は、単なる音楽談義ではなく、今この世の中で音楽活動を続ける各自の姿勢と思想を分かち合い、本音が見え隠れする交歓の場となった。
●参加者プロフィール
美川俊治 Toshiji Mikawa(electronics)
1960年8月17日生まれ、57歳 。1980年ノイズバンド「非常階段」に参加。ソロ・プロジェクト「インキャパシタンツ」も開始。80年代半ば仕事に集中したためライヴ演奏を休止。90年代に東京でライヴ活動を再スタート。現在「インキャパシタンツ」「非常階段」、ソロやコラボで活動中。
twitter @incapatm
橋本孝之 Takayuki Hashimoto(as, g, hca, etc.)
1969年4月21日生まれ、 48歳 。2009年、コンテンポラリー・ミュージック・ユニット「.es(ドットエス:橋本孝之&sara)」結成。現代美術画廊「ギャラリーノマル」をホームに活動。2016年「グンジョーガクレヨン」のレコーディングに参加。現在は「.es」「kito-mizukumi rouber」をはじめソロやコラボで活動中。
川島誠 Makoto Kawashima(as)
1981年4月10日生まれ、36歳。2008年からアルトサックスの即興演奏をはじめ、2015年、P.S.F. Recordsからソロ・アルバム「HOMOSACER」を発表する。自己のレーベルHomosacer Records(ホモ・サケルレコード)主宰。
Makoto KAWASHIMA Homosacer Records homepage
クリス・ピッツィオコス Chris Pitsiokos(as, etc.)
1990年8月23日ニューヨーク生まれ、27歳。2012年コロンビア大学卒業と同時にブルックリンの即興シーンに登場。ソロやセッション、さらに「Chris Pitsiokos Quartet」「CP Unit」といったリーダー・グループを率いて活動中。
●ツアーについて
剛田武(以下JT):クリスさんは14日間休みなしのツアーで、大半は吉田達也さんと演奏しましたね。まだ最後の公演が残っていますが、いかがでしたか?
クリス・ピッツィオコス:素晴らしかったです。
美川俊治:日本は初めてですか?
クリス:実は14か15歳の頃、高校生ジャズ・バンドの日本ツアーで東京や京都、その他いくつかの都市でコンサートをしたことがあります。
美川:今回ブッキングは誰がしたのですか?
クリス:大半(11公演)は吉田達也さん、札幌の大友良英さんとのライヴは吉田野乃子さん、JAZZ ARTせんがわは巻上公一さんです。本当に素晴らしい経験でした。僕の経験が典型的なものかどうかはわかりませんが、あらゆる面でアメリカやヨーロッパより良くオーガナイズされていると感じました。
昨日の夜、ニューヨークの友人とメールをしていて、日本ツアーの調子はどう?と聞かれたので「ビタースウィート(ほろ苦い気持ち)」と答えました。なぜなら、ニューヨークでは、バンドは演奏が終わると次のバンドを観ないで帰ってしまうのです。とてもネガティヴで、極端に競争心が強く、お互いに批判的な態度なのです。おかしな話ですが、実はジョン・ゾーンは、ニューヨークで最も批判され嫌われているミュージシャンの一人なのです。彼の音楽が好きになれないなら、それは仕方がないでしょう。でも彼は自分のお金を使って、実験的な音楽家がニューヨークで演奏出来る場を作っています。何万ドルもかけて何百人ものミュージシャンを集めて、The Stoneのような会場を作って、演奏の機会を与えているのです。例えばメアリー・ハルヴァーソン。彼女の音楽は好きですし、コミュニティーの中で誰に批判されることもありません。しかし、演奏の場を企画し運営する立場となれば話は違ってきます。ジョン・ゾーンはかつて僕にこう言ったことがあります。「もし敵を作りたければ、演奏の場を与えることだ。彼らを仲間として迎え入れた途端に、“おれを仲間扱いなんかしてくれなくて良いから、十分にギャラを払ってくれ”、と言い出して、批判的・否定的な関係になるぞ」って(笑)。でも日本ではライヴが終わると打ち上げに行って皆仲良く楽しんでいます。 どこの会場でもそうでした。ニューヨークではそんなことは絶対ありえません。だから、とてもポジティヴな印象です。今回の僕の経験が普通かどうかは判りませんが、日本は文化的に、ニューヨークよりずっと前向きで、お互い協力し合うところが素晴らしいと感じました。
JT:皆さんはツアーやコンサートで印象に残った経験はありますか?
美川:昨年非常階段のメンバーとしてアイドルグループの「あヴぁんだんど」と一緒にアメリカでフィラデルフィア、ボルチモア、リッチモンドの3都市をツアーしました。ライヴが終わった後、ホテルへ戻るために真夜中にメンバーが車を運転するはめになったりと、まあ珍道中でした。
クリス:会場や演奏、観客の反応はどうでしたか?
美川:どの街でも観客はクレイジーで、モッシュが起こったりしました。あヴぁんだんどはとても人気がありましたね。
JT:川島さんは今年1月末にニューヨーク公演をされましたがいかがでしたか?
川島誠:初めての海外公演でしたがとてもスムーズでした。Gallery 456で初日(1月28日)にマイケル・フォスターとデュオで演奏しました。
クリス:何回ライヴをしたのですか?
川島:全部で3回。同じ日に白石民夫さんと地下鉄のスプリングストリートで演奏しました。次の日にDowntown Music Galleryでソロ。Gallery 456では、クリスさんと対バンでしたが、簡単なあいさつしかできませんでしたね。
JT:演奏してみてどう思いましたか?
川島:イメージしていたニューヨークとは良い意味で違いましたね。精神性よりも技法が重視されていると思っていたのですが、オーディエンスもちゃんと聴いてくれるし、素直に自分の感性が伝わっていると感じました。
クリス:人にもよりますが、テクニックばかり重視しているわけではなく、基本的にニューヨークはオープンだと思います。例えばピーター・エヴァンス(tp)は物凄く高度なテクニックを持っていますが、共演相手はテクニックとは関係ない視点で選んでいるようです。そして白石民夫さん。彼はテクニックとは無縁ですが、みんなからとても歓迎されています。
JT:橋本さんは印象に残っているライヴはありますか?
橋本:2012年に美川俊治&ドットエスとして大阪の難波ベアーズとギャラリーノマルで、二日連続で共演させていただいたことがとても印象に残っています。JazzTokyoのロングインタビュー(234号掲載)でも詳しくお話させていただきましたが、私にとって美川さんとの出会いはとても大きな転機でした。活動をスタートした頃、音楽と仕事の関係性について悩んでいたのですが、偉大なミュージシャンでありながら音楽と仕事の二足の草鞋を履かれている美川さんに直接お話をうかがえたことで、自分の活動のスタンスを決めることができました。ですので、共演していただけたことは、とても感慨深いものがありました。
クリス:ニューヨークのミュージシャンの殆どは他の仕事をしていますよ。例えばトランペットのネイト・ウーリーは、普段はDRAM (注1) という現代音楽アーカイヴ機関のスタッフとして働いています。月極で公立の学校や大学と契約し、アメリカの20,21世紀の現代音楽のデジタル・アーカイヴを公開しているのです。
橋本:クリスさんのインタビューでは、政府からの助成金をもらっているミュージシャンについての話が興味深かったです。
クリス:それはたいへん議論の余地がある問題です。世界中で多くの左翼的傾向の政治家がアート基金を支援しているからです。その一方で、少なくともヨーロッパの場合は問題があるように思います。政府がミュージシャンにお金を払うと、それが演奏する理由になりがちです。時には両者にとって有益な関係が結べる場合もありますが、偏るケースが多いのです。ヨーロッパのシーンはとても保守的です。古いスタイルの音楽を演奏することに問題はありません。アルバート・アイラーのように演奏したければすればいいのです。しかしそれが「新しい」というふりをしてはいけません。だって決して新しくはないからです。ヨーロッパのミュージシャンが60/70年代のフリー・ジャズ的な演奏をすることはよくありますが、聴いた人はそれが前衛的だと思い込んでしまいます。しかし前衛ではなく過去の音楽です。バッハのビオラ・ダ・ガンバやハープシコードと同じです。50年前の音楽なのですから。
橋本:すでに評価が確定している音楽ということですよね。
クリス:同じことが黒人音楽にはいつも起こってきました。白人が黒人の音楽を少しマイルドに演奏して金儲けをする(笑)。もちろん、彼らの演奏のすべてがそのようなものだとは思いません。本当に新しいこともやっていますが、特にヨーロッパには、過去の音楽の再演が多いことは確かです。
●音楽と仕事について
JT:日本でいろいろなミュージシャンと共演してみていかがでしたか。
クリス:全体的にとてもポジティヴで素晴らしい経験でした。上の世代の、日本のみならず世界的にパイオニアと呼ばれるミュージシャンと共演できたことは光栄でした。
JT:他の国との違いはありましたか?
クリス:さっきも言ったように、個人的な経験だけで文化全体を語ることはできませんが、吉田さんは僕の知る限り世界の誰もやっていない音楽をやっています。彼が日本の文化や音楽を代表するとは言えないでしょうが、彼の個性は際立っています。大友良英さんやSachiko Mさんも同様です。それぞれ単独でユニークな演奏家です。説明しにくいのですが、個性的であることを、僕は重視しているのです。吉田さんの音楽はいつ聴いても新鮮です。50歳を超えても常に新しいことに挑戦する姿勢にとてもインスパイアされます。20年、30年もやってきてさらに先を目指し続けることは簡単なことではありません。
JT:美川さんも30年以上続けてらっしゃいますね。
美川:僕はプロフェッショナルなミュージシャンではありませんが。20年くらい前、吉田さんから、当時やっていたグラフィック・デザイナーの仕事を辞めて音楽活動に専念しようと考えているのだがどう思うか、と訊かれたことがあります。具体的にどういう話をしたかは忘れましたが、「考え直した方が良いんじゃないの?」と言ったのははっきり覚えています。でも彼の決心は固かった。今になってみれば、彼の決断は正しかったと言えます。
クリス:なぜ思いとどまるように言ったのですか?
美川:たぶん彼が経済的に困るだろうと思ったのです。そしたら彼は「1ヶ月間ヨーロッパをツアーして、もらったギャラは出来るだけ節約して、食事は会場の賄飯で済ますとかして最小限の出費に留める。日本へ戻って数日過ごして、またヨーロッパへ行く(笑)。それで何とかなると思う」と言ったのです。
橋本:クリスさん、ご家族はいらっしゃいますか?
クリス:いいえ。
橋本:結婚のご予定は?
クリス:わかりません(笑)
美川:秘密なんだ(笑)。僕はこれまで、多くの才能のある若者が、就職して音楽を止めてしまうのを見てきました。僕自身はプロのミュージシャンになるつもりはなかったし、そもそも自分のやっているような音楽で食える訳がないのも分かっていたので、銀行に就職しました。でも、僕が思うに、日常生活の基礎を固めて経済基盤を構築することが、音楽をやるための基本だと思うのです。要するに、ちゃんと仕事を持って生活のベースを固めて行けば、好きなことを続けていけると思ったんです。
クリス:僕の場合、純粋に個人的な話ですが、仕事を持つと気が狂いそうになるのです。実は子供の頃、ADHD (注2)と診断されたのです。注意散漫な子供だったので、コントロールするためにずっと薬を飲まされていました。今は大丈夫ですが、言ってみれば世の中の仕組みに馴染めないところがあるのです。特に学校の規則を守ることが出来なくて薬が欠かせませんでした。アメリカでは子供に薬を与えすぎるのが大きな問題になっています。僕も10年くらい薬漬けでした。
とにかく定職を持つことは僕には大きな問題なのです。生死にかかわるほどではありませんが。だから僕はできるだけ働かないようにしています(笑)。僕にとっては、音楽こそが最大の喜びであり、音楽だけが理想のライフスタイルなのです。もちろん個人的な話であって他の人にお勧めはしません。でも一日中デスクワークをしていると、文字通り頭がおかしくなってしまうのです(笑)。
JT:でも生活のために仕事はしていますよね?
クリス:いまはMusic For Japanという日本の現代音楽を紹介する組織で週に2日間だけ働いています。
美川:週に2日だけとはうらやましい。
クリス:でもとても貧乏ですよ。1人でアパートを借りられないので、友人3人とシェアしています。
橋本:ニューヨークで生活するのには、とてもお金がかかりますよね?
クリス:はい。家の周囲もあまりいい環境ではありません。
JT:川島さんにとって日常の仕事と音楽の関係は?葛藤とかありませんか?
川島:僕の仕事は身寄りのない人の支援する仕事です。他人の人生に家族の代わりとなって踏み込んでいく仕事なので、時には亡くなった後まで面倒を見るのです。
クリス:英語ではホスピスですね。
川島:そういった日常的な生活が、自分の感性に影響を及ぼし、音楽にも反映しているので、音楽だけの生活になってしまう事はできないですね。
クリス:僕はまだそんなインスピレーションのある仕事に巡り合えていないんですね。
●共演について
JT:初めての相手と共演する時のスタンスは?
クリス:僕は何も予測したり期待したりしないようにしています。無心でやってみて、何が起こるか見るのにいい機会です。演奏がどんな方向に進んだとしても常に前進する勇気を持って挑みます。驚かされたり、奇妙なことが起こったりしても。時には思いもよらない何かに取り憑かれたように、とんでもなく奇怪でクレイジーな状態になることもありますが、そういうやり方のほうが、事前に予測し準備した通りのことをやるより面白いでしょう。つまり僕は「瞬間」を受け入れるようにしているのです。他の人との共演だけではなく、ソロでも同じです。ソロ演奏をしている最中に自分自身で驚くことがよくあります。奇妙なことが起こったとしても、そのままやり続けることで新たな発見があるのです。
JT:今までの共演で最も「奇妙」だった経験は?
クリス:そうですね・・・、初めてウィーゼル・ウォルターと共演した時がそうでした。究極的にエキサイティングでエネルギッシュな演奏で、途轍もなくケイオティックでした。ウィーゼルとはそれ以来何度も共演していますが、最初のときは特別でした。まるで昇降機に乗っているように2人の気持ちが上昇したり下降したりして最高の演奏になりました。それが僕の最初のレコードになったのです。
JT:美川さんはいかがですか?もっとも印象的な共演は?
美川:非常階段が他のアーティストと「○○階段」と名乗ってコラボすることがよくあります。ハードコア、アヴァンギャルド、アイドルなどジャンルを超えたコラボレーションです。そのすべてがとても面白い経験でした。特に80年代半ばにハードコア・パンク・バンドのS.O.B.と合体した「S.O.B.階段」は完全なカオスでした。ライヴ中のステージは物凄く危険で究極の混沌でした。とにかく危なかった。自分でも驚愕しました。
クリス:ポジティヴな意味でですか?
美川:両方です。
クリス:怖かったですか?
美川:ええ。だから2回目のライヴには僕は参加しませんでした。いや、流石に危ないと思ったんで。
クリス:銀行の同僚はあなたがそういう音楽をやっていることを知っているのですか?
美川:なにか音楽、ノイズとか言うものをやっていることは知っていますが、ライヴを観に来るようなことは滅多にありません。まあ今ならYouTubeで簡単に観られるでしょうが(笑)。でも趣味の一環だと思っているようです。だから問題ありません。最初期の非常階段は本当に非常識なライヴをやっていました。客席に生魚を投げ込んだり、ステージで放尿するメンバーがいたり。何でもアリ。
クリス:会社にばれたら首になりますか?
美川:そもそも今はそんなおかしなことはしてないですから、問題ないでしょう。歳をとってそれなりの立場もありますしね(笑)。
クリス:若い頃は?
美川:まともに伝わっちゃったら、ちょっとヤバかったかもしれませんね。キャリアの上で(笑)。今はまあいいかなという感じです。
JT:仕事ができるから首にしたくてもできないのでしょう?
クリス:(笑)
美川:簡単なことです。余暇にノイズのような音楽をやっていたとしても、するべき仕事をちゃんとやっていれば首になったりはしない訳です。尤も、今、私のことを首にしたがってるとは思いませんが(笑)。
クリス:日常生活の中で、クレイジーな演奏をした翌日に銀行でデスクワークをすることで精神分裂気味になりませんか?
美川:そんなこと考えたこともありませんが、もし何かそういうことが気になったとしても、自分でコントロールできます。長年の経験がありますから。
クリス:でも個人的に自分の生活の2つの面を合致させるのに苦労しませんか?
美川:うーん。。。
橋本:以前に美川さんから「もし過激な音楽をやっていたとしても、それはあくまで、その人の一面であってその人の全人格ではない」というお話をうかがったことがありましたが。
美川:僕に言えるのは、もしノイズ・ミュージックだけに専念したとすれば、多分飽きてしまうということです。それだけだと、さすがに退屈でしょうからね。平日には仕事をするし、土日には小学生のドッジボールチームのコーチをしたりもします。(笑)。平日の仕事、土日のドッジボール、そして月に2、3回ノイズや即興演奏をする、それが僕にとってはとてもいいワークライフバランスという感じなんですね。
JT:橋本さんは?
橋本:私も同じように感じています。
JT:橋本さんは、普段は広告代理店の営業マンとしてクライアントにプレゼンしたりして、夜はサックスをキーーーイイィ!っと吹いています。でも仕事柄でしょうか、誰に対しても礼儀正しいですね。
美川:大切なことです(笑)。
JT:橋本さんは、人前で演奏するようになる前は、10年以上、自分1人で練習ばかりしていたそうです。人前で演奏するためにはいろんな音楽を学び上達しなければならないと信じていたそうです。クリスさんは練習とライヴ演奏を同時にしてきましたよね
クリス:幼いころから人前で演奏していましたよ。「もろびとこぞりて」とか(笑)。
JT:さっき言っていたように演奏中に新しいことを発見する。それがあなたの練習方法でしょうか。
クリス:僕が思うに発見のプロセスは、実際の演奏をするうえでとても大切です。個人的にはいつでも驚きを求めて演奏しています。でも、皆さんが普段の仕事に満足できているのが羨ましいですよ。
美川:ライヴの最中に発見があるのは正しいと思います。練習とかしないので、僕は。
橋本:私も今では、成長する為に人前で演奏することの方が、一人で練習するよりも大切だと思っています。
クリス:僕も毎日サックスの練習をしています。でも、僕はドラムも演奏するのですが、ドラムは一度も練習したことがありません(笑)。最近脱退したのですが、僕がドラムを担当していたバンドは、超超暴力的でした。数回ギグをした後はとても危険な精神状態になってしまって、監獄送りになりそうなほどです。ステージから客席へ向かってフットボールのタックルのようにダイヴしてしまうのです。勢い余ってロケットのようにまっしぐら(笑)。自分で自分を痛めつける危険があるから脱退したのです。
美川:僕がバンドを始めたときはパンクがあったから、とにかくやるって感じでしたね。うまい下手に関係なくやるって感じ。
JT:クリスさんがブルックリン・シーンにデビューした当時は、最年少の世代でしたね。10、15歳年上の人たちと一緒に演奏する気持ちはどうでしたか。
クリス:僕の印象では年上のミュージシャンの方がもっとハードコアだと思います。僕の世代のニューヨークっ子はすっかり弱虫(wimps)です(笑)。年上の世代は音楽だけでなく、ライフスタイル自体がエクストリームなのです。90年代のニューヨークの音楽シーンでは、ミュージシャンは今よりももっと生活にリスクを負いながら活動していました。例えば、80,90年代のイーストヴィレッジで、道路を歩くときは暴漢に襲われないように道の真ん中を歩いていたような頃には、ロバート・ラウシェンバーグ (注3) のように水上生活をする人や、ウィレム・デ・クーニング (注4) のように毎日酔っぱらって溝の中で目を覚ますような生活をしているアーティストもいました。自堕落な生活やアルコール中毒は褒められたものではありませんが、その時代に比べると現代はクレイジーさが足りません。その意味で年上の世代は今でもストレートかつハードでエクストリームな生活スタイルを守っている人が多いのです。
JT:あなたの世代はもっと融通が利く(flexible)のですね。
クリス:というより気楽(easy going)ですね。普通の仕事をしていて当たり前という感覚。日本では有り得ないと思いますが、ニューヨークには定期的な仕事を持つことを良しとしないカルチャーが厳として存在しています。定職を持たず貧困生活をするボヘミアン主義です。
それはともかく、僕の場合、音楽で自分の“ボイス”を確立するのに時間がかかりました。周りのミュージシャンはみんな自分自身の“ボイス”を持っていましたから。
JT:個人的な感想ですが、あなたの初期のアルバム、例えばウィーゼルとのデュオは、あたかも楽器によるバトルのような激しさを感じます。でも最近の演奏はもっと気楽で穏やかな印象があります。
クリス:そうですね。昔のようにハードな演奏はもうやりません。当時はとにかくもっともっとエクストリームに演奏しようとしていましたが、今では飽きてしまいました。
●音楽の場について
JT:最後に「音楽の場」について話し合いたいと思います。美川さんは京都の「どらっぐすとぅあ」という音楽ファンの集まるカフェで学生時代を過ごしましたね。
美川:70年代後半に京都にあったとても変わったスペースでした。紫の絨毯が敷いてあって靴を脱いで上がるのです。1階は天井が低くて立ち上がれなくて、2階も同じで立ち上がれない。僕はスタッフをしていました。お客は多くはなくて、カンパで運営されていました。カンパニア・スペースと謳ってましたね。そこでかかるのはとても変わった音楽ばかり。白石民夫さんの当時の音源や、ジャーマン・ロックのグル・グルの1stアルバムなど、レアでヘンテコな音楽。嫌な感じの来訪者があると、ルー・リードの「メタルマシーンミュージック」やスロッビング・グリッスルをかけて追い出したものです。時々ミュージシャンがライヴをやりました。非常階段の最初のギグはそこで行われたんですね。JOJO広重さんと頭士奈生樹さんのギターふたり組の時代です。
JT:その場所で変わった音楽が生まれたのですね。アヴァンギャルドな音楽が生まれた場所。それは音楽の場、源流と呼べるでしょう。橋本さんは大阪の現代アートギャラリーをベースに活動していました。
クリス:ニューヨークにはThe Stone等のいい会場がありますが、インタビューでも言いましたが、「インキュベ」と呼ばれる、演奏を孵化(incubation)させる場所です。もっと小さい会場は3か月周期で泡のように出来たり消えたりしています。
美川:1988年に6か月間ニューヨークに住んだことがあります。Knitting FactoryやThe Kitchenといった有名な会場に行ったのは勿論、ABC No Rioというギャラリーで、ボルビドマグースを観たのが印象的でしたね。
クリス:ABCはスクワッド(不法占拠)の会場でした。ニューヨークにはスクワッドがたくさんありましたが、最終的に正式に所有権を与えられた場合が多いです。。
橋本:ギャラリーノマルについて言えば、単なる演奏会場ではないです。例えば、現代美術作家と対話して彼らの展覧会のコンセプトにのっとった、コラボレーションとしてライブイベントを行ったりしています。
美川:シルクスクリーン工房もある不思議なところですね。
橋本:坂口卓也さんや美川さんとトークショーをしたこともあります。
JT:川島さんは山猫軒という山の中のコテッジをベースに活動していますね。
川島:宮澤賢治の童話に出てくるような建物で、Liveやレコーディングをしています。僕は、単純に都会の雑踏が苦手でして。山猫軒のような環境の方が、自然体で演奏できるし、インスピレーションが高まって良いですね。僕が演奏する時、なぜかよく雨が降るのですが、そういう自然の音が録音に入るのも気に入ってます。
JT:誰にでも「音楽の場」があって、それがとても大切だということですね。クリスさんはインタビューで「ニューヨークにはアンダーグランドがなくなってしまった」と語っていましたね。
クリス:出来ては消える、蜉蝣のような会場ばかりです。逆に考えると、自分で個人的な場を創るとか、または共同の場を創り出すことでうまく機能する可能性があるでしょうが、簡単なことではありません。
日本のライヴ文化で気づいたことのひとつは、人々がとても献身的だということです。ニューヨークの人たちはライヴハウスがちょっと遠くにあると「行くの止めた~」という感じです。気分が乗らないから行きたくないなあ、とか。悲観的にはなりたくありませんが。たとえば70・80年代のニュ-ヨークのクラブ「ロキシー」(注5) のことを考えてみましょう。着飾った人たちが毎晩集まり朝までバカ騒ぎするクレイジーな場所でしたが、みんなが情熱を注いで革新的なカルチャーを創りました。またはジョン・ゾーンが初期に活動拠点にしていた自分のアパートや小さなクラブ。そこから様々な新しい動きが生まれました。それが今では、出来てはすぐ消える泡のようになってしまったのです。僕が初めてニューヨーク・シーンに来たときはいろんな「場」があってエキサイティングだったのですが。
JT:日本でも似たように出来たり消えたりです。
齊藤聡:ブルックリンにBushwick Public Houseなどが出来て新しい動きが生まれていました。クリスも今度演奏するのですね。
クリス:まだ行ったことはないのですが。8ヶ月前くらいに出来たのでしたっけ。ニューヨークの会場の多くをバーのオーナーが経営していることも問題です。お客さえ来れば音楽などどうでもいい。日本では例えばBar Issheeのイッシーさんは音楽の大切さを常に考えています。また、ニューヨークではオーディエンスが減りつつあります。とても有名なアーティストでも客が5人に満たないことが多いです。
JT:日本でも似たような状況ですよ。特に実験的な音楽については。
美川:向かうところ客なし(笑)(注6)。
クリス:たぶん世界的に厳しい状況なのかもしれません。
JT:そのためにも自分の音楽の場を作ることが大切ですね。
クリス:僕にはベッドルームがありますよ。
(一同笑)
脚注
注1 Database of Recorded American Music
注2 Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder =別名:注意欠陥多動性障害
注3 Robert Milton Ernest Rauschenberg, 1925年10月22日 – 2008年5月12日 ネオ・ダダ、ポップアートの代表的美術家。
注4 Willem de Kooning, 1904年4月24日 – 1997年3月19日 抽象表現主義の画家。アクション・ペインティングで有名。
注5 Roxy NYC:1978年にローラー・ディスコとしてオープン。ヒップホップ・カルチャーの震源地となり、90年代には一躍NY一の人気ゲイクラブとなった。2007年閉店。
注6 サックス奏者、坂田明氏の名言。
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