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InterviewsNo. 264

Interview #205 平野剛 Go Hirano
簡素な中に豊かなものが響き合う、あるがままの音楽

Based on the interview by Justin Simon for Black Editions.
Additional interview by 剛田武 Takeshi Goda / 2020年2月20日 鎌倉にて

Profile:
平野剛 (Go Hirano) / 音楽家

鎌倉市在住。音楽家。橋本一子氏に師事。90年より活動を始める。ピアノ、ピアニカ、声、パーカッション等により、日々や自然の中の静かな輝きを、音のかけらのように集めた小品集『Reflection of Dreams』(1996) 、『Corridor of Daylights』(2004)をPSFからリリース。
2015年1月~2018年3月フクモリ マーチエキュート神田万世橋店にてマンスリーフリーコンサートを開催、2017年にライヴ・アルバム『Go Hirano』をリリース。最新作はBlack Editionsよりのカセット作品『Live March 18, 2018』。


PSFレコードの他のアーティストの多くと同じように、平野剛の音楽は遍く幅広いリスナーに聴かれてきたとは言えない。地下音楽を掘り下げる愛好家を中心とした一部の人々の間で熱狂的に評価されてきた。しかしながら近年のアンビエント/環境音楽の再評価の動きの中で、特に海外で平野の音楽への関心が高まっている。今回Black Editions から3rdアルバム『Corridor of Daylights』がアナログ盤で再発されたのは、そういった動きと直接関係があるわけではないが、偶然ともいえるタイミングのリイシューで、日本の隠された秘宝(Hidden Treasure)が少しでも多くの人に知られることになれば幸いである。実はこれまで海外はもちろん日本国内のメディアでも平野はインタビューを受けたことはなかったという。Black Editions用にアメリカ人ジャーナリストJustin Simonが行った世界初インタビューをもとに、2020年2月20日に鎌倉の自宅兼職場にて追加インタビューを行った。寡黙な印象のある平野は丁寧に言葉を選びながらじっくりと独特の音楽観を語ってくれた。

Black Editions Group Website

Go Hirano Interview

 


Q: お生まれを教えてください。

A: 1968年東京生まれです。

Q: 子供の頃、音楽に興味を持つようになったキッカケは何ですか?

A: きっかけは特にありませんが、とにかく小さい頃から家のラジオやテレビで聞く音楽が大好きでした。小学校の終わり頃11歳か12歳の時に、洋楽やもっと昔の音楽に興味を持つようになりました。中学の頃80年代の洋楽は、例えばブライアン・イーノ、トーキング・ヘッズ、CANなどの個性的なアーティストがいたり、新星堂やWAVEが洋楽レーベルを作ったり、いろんなものが入り乱れていて面白かったです。友人にレコメン系やチェンバーロックなどマニアックな音楽に詳しい友人がいて、一緒に東京の輸入盤店まで出かけ、他の誰も知らないようなレコードを探そうとしていました。高校に入った84、5年頃から新しいレコードの音が皆同じように聴こえるようになって面白くなくなった気がして、時代をさかのぼって古い音楽を探して聴くようになりました。

Q:音楽演奏を始めた経緯は?

A:幼稚園の時、親戚からアップライトピアノをもらったんです。最初は妹が弾いていたのですが続かなくて、自分が弾きたくなって小1から習いはじめて中学まで続けていました。大学に入ったころから自分の音楽をやりたいと思うようになりました。でもどうしていいかわからなくて、専門的な知識を身に着けようと、音楽スクールを探しました。ジャズ・スクールにも行きましたが、ジャズ全般が好きなわけではなく、少し違和感を感じていました。その時に橋本一子先生に出会い、レッスンを受け始めました。ピアノのレッスンの中では、実際にピアノを弾くことは僅かで、殆どは話し合いの中で、テクニックではなく、音楽に対する立ち位置、考え方や姿勢を学びました。「あなたはジャズとかクラシックとか、決まったことをやる必要は無い。」と言われ、音楽に対する厳しい姿勢、音を出すことについての内的な視点に基づきながら、そこから、既定のジャンルへ移行するのではなく、より自由な感性を伸ばすには何が必要かを学びました。私は何もない水平線の位置に立ち戻って、音を”探し”始めました。それぞれの自由な音楽のために感覚を修練する基本を学ぶことは、私が音楽を始める前に最も必要な事でした。私は自分が必要だと思うことを繰り返し、その数年後、大学時代に自分の音楽をデモテープに録音し始めました。

Q:その頃モダーンミュージックで生悦住英夫さんと出会ったのですか?

A: 千葉の中学高校時代に取り寄せて読んでいた音楽雑誌『Fool’s Mate』にモダーンミュージックの広告が載っていて、”なんか怖そうな店で、ここだけは行けない”と思っていました。ところが大学に入学して通学する最寄り駅の近くにモダーンミュージックがあったのです。「あの店だ!」と思って恐る恐る入ってみたのが最初です。足しげく通ううちに店長の生悦住さんと話すようになりました。当時モダーンミュージックはPSFレーベルをもう始めていて、既に3~4作品くらいは出していたと思います。当時は自分の作ったテープを持ち込んでくる人が多くて、私もよく生悦住さんに聴いてもらって話をしたりしました。

Q: 生悦住さんからアドバイスは有りましたか?

A: ええ、そうですね、アドバイスは有りました。お店で買うレコードで薦められるのもPSFの傾向に近いものが多いっていうか(笑)、生悦住さんの好みは、いい意味ではっきりしていました。すごく幅広く色々な音楽を聴ける方で…。ただ、少し変わったものとか、実験的な音楽をやる人には、薦める音楽も、生悦住さんの方向性や指向性が少し独特なので、それにちょっとだけ、持って来る人持って来る人の音楽が同じ方向に行ってしまうのはあったかもしれないですね。例えばPSFが初期に出していたのは、うーん、何て言ったらいいのか、激しい何か、それを求めるノイジーなもの。生悦住さんが私に直接そう言ったかは覚えていません。一種の狂気やパッション、薦めてくれる音楽にしても、やる音楽にしても、生悦住さんはそういう指向性があったと思います。そして、そういう新しい音楽を探していました。

Q: PSFからリリースすることになるような音楽はどのような経緯で生まれたのでしょうか?

A: 大学を卒業した頃に、友人が参加していた舞踏グループのために音楽を作り始めました。初めて他の人とコラボレーションして音楽を共有したのです。当時は世界的な舞踏ブームで、彼らもカナダとアメリカのツアーをすることになり、89年か90年頃にニューヨーク、トロント、モントリオールその他幾つかの場所に同行しました。音楽は僕一人で他はダンサーです。音楽は即興で攻撃的でした。彼らが踊っている間、時々私はステージ上でパフォーマーとしても参加しました、様々な楽器を即興で演奏したり、録音済みのテープを演奏したりしました。当時は激しい音楽をダンスのグループの中に実践していましたが、そのスタイルは少し生悦住さんの影響もあるかもしれません。

Q:  生悦住さんの影響とは具体的になんでしょうか?

A: 生悦住さんは高柳昌行、阿部薫、AMMなど極端に激しい音楽を教えてくれました。だからその方向で実験してみたのです。ダンサーの動きのように、視覚的要素を取り入れ身体の動きで音を出そうとしたのです。激しくて強い音楽を演奏するための楽器として、最初はアコースティック・ギターをアンプで増幅して演奏していたのですが、バイオリンにエフェクターを繋いだほうが適していることを発見したのです。実はバイオリンは弾き方も知らなかったのですが。

Q: それがPSFからリリースされたわけですね?初めて聴いたとき、当時のジャパノイズや即興作品と違い、儀式や祭礼を思わせる禍々しい印象を受けました。

A: はい、その頃カナダで録音した曲が1stアルバム『Distance』(93)になりました。当時のPSFの傾向に近いアルバムです。舞踏公演に使用することも踏まえた録音なので、音だけではない要素があるのは確かですね。

Early 90’s with Butoh Group

Q: カナダに行って、印象に残った体験はありましたか?

A: ええ。舞踏グループとは本当にアグレッシブな音楽を制作していましたが、それと全く別に、既に『Reflection of Dreams』や『Corridor of Daylights』の素材や一部になる曲を録音していました。私は舞踏グループのための激しく実験的な音楽を作ろうとしていたのと同時に、もっと自然に生まれた全く違う音楽にも取り組んでいました。

カナダのモントリオールのツアーの時にBoreal Multimediaというグループに出会い(後にBoreal Art Natureに改名しましたが、今も存在するかどうかわかりません。) 、彼らは「ランドアート」の様に自然を取り入れたパフォーマンスや作品作りをしていました。彼らは私たちが自然界と対話する方法に焦点を当て、そこには自然の眼と輝きが息づいていました。それを私は素晴らしいと思い、私の中に強い印象を残しました。舞踏のツアー以外でもカナダに行く度に彼らに会い、92年に共同でキャンプをした時に、『Initiation』と題した映像作品を制作しました。グループのJeane Fabbさんが、私のピアノ、メロディカ、パーカッションで作った音楽をとても気に入ってくれ、テープを編集して作品に使用しました。私はそれらの楽曲を個人的に作っていただけだったので、それが誰かにアピールするものとは思ってませんでした。初めて客観的に他人にアピールできるということを知ったのです。そしてそれは、私に何かを与えることになりました。そこに収録された楽曲は『Reflection of Dreams』の1~4曲目にそのまま収録されています。

Q: 違うスタイルの音楽を同時にやっていたわけですね。

A: 音楽の興味がいろいろなところにあったので、最初はいろんな楽器やスタイルを実験していたのです。シンセサイザーを使った電子音楽、舞踏グループとやるようなノイズや実験音楽、ピアノによる静かなメロディーのある音楽。そのうちにエレクトロニクスではなく、ピアノ、ピアニカ、パーカッションによるアコースティックな音楽が自分にとって自然に感じられるようになったのです。

Q: 当時、違うものを聴いて、新しい音楽に影響を受けたんじゃなくて、ただ、考え方が変わったんですか?「この激しい音楽は自分らしくない」と・・・。

A: そうですね・・・。もっと直感的なものです。逆に、そもそもなぜ音楽を作りたかったかと言うと、・・・ジャズやクラシック、ポピュラー音楽にしても、好きなものは有りましたが、自分ならこうやりたいとピンとくるようなものに出会わず、それをやってみようと思いました。例えばクラシックはすごいとは思いますが、ドラマティックで感情的なピーク、巧みで華麗なパッセージ、起伏やドラマは私の好みではありませんでした。そしてテクニックを積むものでもなく、もっと単純なもの、もっとハミングするメロディーのようなものを探していました。そして、ジャズはあまりにも手法と技術の熟練が、それ以外の音楽からの隔絶と、そして風や空気から感じる感覚よりも先に、まずは修練されたパッセージ、ジャズ以外の何物でもないサウンドが逆に刃となる気がしました。私はジャズの音色が大好きですが、それで、クラシックとジャズの要素を持っていても技術的にはそうではなかった音楽があったら素晴らしいと思いました。

Q: じゃあ、ジャズとかクラシックのニュアンスがある、もっとシンプルなものを求めたんですか?

A: ええ。それもどうでもいいと言うか、私はジャズとクラシックがジャンルの要求にきつく詰まっているように感じました。私はクラシックとジャズの要素は単純なアプローチの中に必要に応じて自然に掠る程度に出るくらいで良いと思っています。その一見簡素なものの中に、どれだけ豊かなものが響き合うでしょうか。それで充分だと思います。また、多くの音楽家がその音楽を完成に近づけようとしますが、完成に近づけようとすればするほど音楽は魅力を失います。完成は故意に肉付けされた単なる体裁に過ぎません。彫琢とは別のものです。それだったら逆に下手くそとか、うまいとか関係なくてもっと、最初の時点でむき出しでいいじゃないか、そこにあるがままでいいじゃないか、と思います。私にとって最も重要なことは、演奏が技術的に印象的であったかどうかではありません。それは『Reflection』を編集した時既に私の思いでした。

Q: 『Reflection of Dreams』を生悦住さんに聴かせた時、びっくりしていましたか?

A: ええと、カナダの友達が作品に使ってくれたこともあって、少し勇気を出して生悦住さんに聴いてもらいました。でも、生悦住さんが気に入らなくても、それとは関係なしに自分でLPにしたいと思っていました。自分がやりたいことが見つかったので、それを形にしたいと思いました。それで私は生悦住さんに、自主でLPを作りたいから、プレス工場とグラフィックデザイナーを教えて欲しいと頼み、デモテープを渡しました。生悦住さんが聴いて、「あ、これはうちではダメだよ」って言うだろうなと思っていたら、「え、これ、うちで出せば」と言われて、逆にびっくりして、それで結局PSFでまた出すことになったんですね。それからは、自分はこのスタイルでいいかなと思うようになりました。

Q: ジャケットがとても印象的ですね。

A: ジャケットのデザインを担当した友人からの紹介です。最初に見た作品はシュールで抽象的なイラストだったのですが、音を聴いてもらってから出来上がったイラストが思いのほか具体的で牧歌的だったので驚きました。でも逆に僕の音楽の世界観に合っていると思います。

Q: その頃ライヴはやっていたのでしょうか?

A: ライヴはカナダでのコラボレーションくらいしかやっていません。自分の音楽はライヴで聴かせるよりも、自分で録音して断片で集めるほうが相応しいと思っていました。

Early 90’s with Piano

Q: PSFの3作で共演しているRoderick Zalamedaさんとはどういう風に知り合ったんですか?

A: 89年か90年のカナダ・アメリカ舞踏ツアーの通訳をした友人の更に友達がRoderickでした。92年ぐらいから97, 98年ぐらいまで頻繁にカナダを訪れ、彼と一緒にライヴをやりました。二人の時も多かったのですが、彫刻家やダンサーも含めて4、5人でやることもありました。 90年代はカナダでのパフォーマンスが殆どで、日本では数えるぐらいほどしか演ってないです。カナダでは先ほど述べたBoreal Multimedia企画によるパフォーマンスにも参加し、彼らの殆どはモントリオール郊外の山岳地帯に住み、私たちは山の麓の湖でパフォーマンスをしたり、山の中の教会でピアノのライヴをしたりしました。

Q: Zalamedaが参加している曲はカナダで録ったんですか?

A: そうです。

Q: あ、じゃ、日本に来た訳でもないですね。

A: 日本には一回だけ遊びに来ましたが、その時は録音していないですね。彼と演っているのは殆どカナダで録ったものです。

Q: 『Corridor of Daylights』を作った時の経緯を聞きたいのですが。

A:  生悦住さんに「そろそろ次のを出したら?」って言われました。(笑)で、少しずつ録りためていたものがあったのでその中から作ったのが『Corridor』です。

Q: スタジオで録音したのですか?それとも自宅ですか?

A: スタジオは一切使っていません。自宅が多かったですね。

Q: 曲によって雰囲気がかなり変わってくるのがすごく面白いです。後ろに聞こえてくる風の音とか。それぞれの曲を違う場所で録ったりしたんですか?

A: ええ、まず、それぞれの場所の空気をスケッチとして提示するように、それぞれの曲は異なる時間、異なる空間で録音されました。一つ一つ違う場所や違う時間。それらが囁き合い、響き合う、それが『Reflection』と『Corridor』両方に対する私のコンセプトでした。ただ『Reflection』の時はもっと無意識的にやっていたような気がしますが、『Corridor』の方が、自分のやりたいことを少し意識しながら作っているので、そこの所で、聴いた時の印象が少し違うかもしれないですね。意識しようと思ったというより、『Reflection』と『Corridor』の間に少し年月があったので、自然にそういう風に変わってきた、ということだと思います。

Q: 作曲するときに基本的に即興で作るのですか?それとも即興もあり、伝統的な作曲プロセスも交えたりしたのですか?

A: 個人としては、完全な即興に関しては否定的です。音楽にとって何が大切か考えた時に即興であることが大切だとは思っていません。そうは言っても、即興で出てきたメロディーが美しいものであること、それが自然に出てくることは私のアプローチにとって不可欠です。 それが自分の中から出てくるように必要な手の感覚や体を保ちます。そして、即興で出てきたものが、歌のように記憶や何かに残るようなものであってほしいと思います。『Reflection』と『Corridor』のマテリアルの半分は即興で、半分はそれをベースにしてその上に少し音を重ねたりして作るというスタイルです。私のアプローチは純粋な即興と楽曲の中間にあります。楽曲は必要だと思っていますが、それを完成に近づければ近付けるほど瑞々しい魅力が失われると思っているので、その境界線を探しています。

Q: そのちょうどいいポイントで止めなきゃ行けない。

A: そうですね、だから、ちょうどいいポイントで止め続けるにはどうすればいいかということですね。

Q: 2枚目からそういう考え方でずっと作ってきているんですか?プロセスはあれから変わらないですか?

A: 今は全く違います。今話したのは『Reflection』を作った時と『Corridor』を作った時の考え方です。

Q: アプローチはいつ頃変わりましたか?

A: 『Corridor』が出てからはあまり音楽をやる機会がなくて、『Corridor』で使っていた全ての録音機器が壊れたので、新しいのを幾つか買ってみたものの、使い物になりませんでした。空気感がもっと今風の録音になってきているんですね。それが苦手で・・・。まだ1990年代初めぐらいまでの録音機とかマイクは安いものでも、それなりにいい空気感が録れていました。最近の録音のものは、空気感がないと言うか、ダイレクトに音がなっている感じがして息苦しくて・・・。本当は、自分が気づかないでも空気や風や光、自然とか、それがあって音が出ていると思うんです。私達を取り巻く自然や環境は必然的にその録音に影響を及ぼします。私は、録音した音にその要素がなければ、それが「私のもの」のように感じることはできません。日々の中で感じたことが自然に自分の中でフィルターを通って、流れるような音楽にしたいのですが、それが叶わなくなってしまいました。それから暫く音楽の制作をやめていましたが、音に対する感覚だけは失わないように練習はしていて、5,6年前から、今度はライヴを中心に活動を始めましたが、その頃から作曲の仕方もまた変わってきました。

Q: どう言う風に変わったのでしょうか?

A: 姿勢は以前と基本的に変わりませんが、年月と共に自然に変化してきた何かは作風や全てに影響を及ぼします。その中でも作曲における顕著な変化は、即興と作曲の比率が逆転し、8割くらい完成されたものが中心になってきました。即興の部分を毎回入れ替える位の自由さは持った曲。最近は曲も『Corridor』の頃とは比べ物にならない程書き溜めて、ライヴも数をこなしました。逆に自分が一番活動していたのは5年前から去年くらいまでかも知れません。

Q: 2017年に出したソロ・アルバム『Go Hirano』の曲をライヴで演奏したときに、即興の部分も入れましたか?

A: 完全なフリーというのは自分の中にはないですね。一曲の中にフリーな部分があっても、いわゆるフリーミュージックとかフリージャズになることは避けています。即興も、あくまでも曲の一部として響くものであってほしいので、その部分が毎回全く違う、瑞々しく新鮮なものであってほしいと思っています。私は即興の要素がより大きな構成の一部として共鳴することを望んでいます。

Q: 去年までライヴ活動していたと言っていましたが、今は休憩というか・・・。

A: 本当は作品も作りライヴも続けたかったのですが、それまで演奏していた場所に今はピアノが無くなってしまいました。アコースティックのピアノでないと演奏は出来ません。其処で演奏する度に私は必ず新曲を1、2曲書くようにしました。そして、その4、5年間の間に多くの新曲が出来、それを作品にしたいという思いが今もあります。

Q: 最近ライヴはしていないのですか?

A: していないです。仕事も忙しくて。

Q: お仕事としてサイケデリックやアンダーグラウンドな音楽専門のレコード店をされていますが、自分が演奏する音楽との関係はありますか?

A: 自分の音楽とは関係ありません。自分の音楽に関しては、他の音楽からの影響はないのです。サイケデリックということも意識していません。その点ははじめからブレていないと思います。商業的な音楽やエンターテイメントから離れたもう一つの音楽。資本主義の中で育まれたものだけではなく、音楽の原初のあるべき純粋なかたち。本来、そうした音楽もそれぞれ多様に存在すべきだと私は思います。しかし、商業的ではない音楽が価値の無いものと捉えられやすいこの世界では、そうした音楽が純粋に存在し続けるのは困難な事です。音楽でも絵画でも映画でも心に響き共感するものは同じように、その中には何かが浮かび上がります。どこまでも世界は広がっていて、私たちはそのフロンティア(地平の前衛)を求め続けます。音楽自体に言葉は必要はありません。ただ目を瞑って耳を傾けながら、私たちが気付かず取りまく空気のようなもの、人との関わりのなかで息づくそれらの輝き、それが聴く方にとって自然に何か感じるひと時であることを願っています。

Black Editionsレーベルから、2018年のライヴカセット(*)がリリースされました。そちらも是非聴いてみて下さい。

*『Corridor Of Daylights』LPの限定セットに付属しているカセット『Live March 18, 2018』。Black Editions Websiteで購入可能。

Q:  Black Editionsから『Corridor』の再発リリースと同時期にライヴをやる話は出たりしていますか?

A:  それは特にないと思いますよ。向こうでライヴするのは中々大変です。

Q:  興味はないですか?

A:  いや、もちろん興味あります。

Q:  国内でもライヴ活動を再開されることを祈っています。ありがとうございました。

剛田武

剛田 武 Takeshi Goda 1962年千葉県船橋市生まれ。東京大学文学部卒。サラリーマンの傍ら「地下ブロガー」として活動する。著書『地下音楽への招待』(ロフトブックス)。ブログ「A Challenge To Fate」、DJイベント「盤魔殿」主宰、即興アンビエントユニット「MOGRE MOGRU」&フリージャズバンド「Cannonball Explosion Ensemble」メンバー。

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