Interview # 233 オルガニスト/ピアニスト 岩﨑良子
岩崎(小野田)良子。いわさき(おのだ)りょうこ。
1952年東京生まれ。
5歳よりピアノを始める。
1970年ウィーン国立音楽大学夏期講座に参加。
早稲田大学第一文学部入学後にジャズピアノ及び即興演奏を学び、在学中の1974年にソロ・デビュー。
ジャズ・ピアニストとして活躍する一方でオルガンに興味を持ち、1992年、聖グレゴリオの家宗教音楽研究所教会音楽科本科に入学、1997年修了。
2004年度、フェリス女学院大学音楽学部ディプロマコースで学ぶ。
現在、聖路加国際大学病院聖ルカ礼拝堂オルガニスト、日本オルガン研究会会員。
2021年、半年をかけて、聖ルカ礼拝堂にてオルガンと竹内直のテナーサックスとのデュオを録音、アルバム『メディテーション・フォー・オルガン&テナーサックス』(Somethin’ Cool) をリリース、大きな話題を呼ぶ。
Interviewed by Kenny Inaoka via e-mails in December, 2021
設置以来、聖路加の礼拝堂のオルガンを弾き続けてきた
Part1:
JazzTokyo:新作のリリースおめでとうございます。なかなかの意欲作ですね。タイトル「メディテーション・フォー・オルガン&テナーサックス」に込めた想いををお聞かせください。
岩崎良子:コロナ禍において、演奏家としての活動も普通に出来なくなり、同時に病院のチャペルのオルガニストの立場から見ても、病院が緊迫した様子だと感じました。今、自分に出来ることは人々を勇気づける、あるいは疲弊した心を癒せる音楽を作りだすことだと思いました。また、礼拝堂の天井のリノベーションがコロナのせいで時間的にも金銭的にも困難になり、CDの売り上げを病院に寄付したいとも考えました。
JT:ジャズ・ピアニストとしては岩崎良子、オルガニストとしては小野田良子として活躍されているようですが、オルガンのアルバムで岩崎良子名義でよろしいのですか?
岩崎:はい。今までは、そうすることで自分に何か区切りをつけようとしていましたが、今回のアルバムを作るにあたり、すべての境界線を外したいと考えました。クラシックとジャズ、聖なるものと俗なるものはボーダーを取り外して良いのだと。演奏家としては岩崎良子であることのほうが歴史的に長いのでこの先はこの名前でいきたいと思っています。
JT:オルガンとサックスの共演というコンセプトはいつ頃、どのように生まれたのでしょうか?
岩崎:同じ管楽器との即興的な演奏をしたいとずっと望んでいました。実際には2017年にミューザ川崎ホールでゲストにトランペットの日野皓正氏を迎えて行ったクリスマス・パイプオルガン・コンサートが、好評を頂き満席になったので(オルガンのコンサートで満席は珍しい事なので)さらにやっていきたいと欲が出ました。続けて岐阜県にあるオルガンのあるホールでサックスの竹内直さんとの共演が出来、今回のアルバムに繋がっていきました。
JT:オルガンとトランペットの共演では、ECMのプロデューサー、マンフレート・アイヒャーが70年代にキース・ジャレットのオルガンとマイルス・デイヴィスのトランペットを企てたのですが、マイルスとうまく調整ができず不発に終わった例があります。日本で岩﨑さんと日野さんの共演があったのですね。
新作では、バッハと聖歌、コルトレーンとゆかりの曲が交互に収録されています。
岩崎:普段礼拝堂で演奏しているバッハの作品と聖歌の他にいくつかジャズの曲を収録しようと始めたところ、ジャジーな曲がピアノで演奏している時のようにはいかずに悩みました。その時、直さんがコルトレーンの曲を「これ、オルガンと合うと思う」と言って持ってきてくれました。<Wise one> を弾いてみたら、すんなりとアドリブが出来、こうしてコルトレーンの曲が次々と仲間入りし、バッハと聖歌に違和感なく混ざりました。そして私がオルガン曲としてあたためてきたアントン・ハイラーの曲<Meditation >が全ての曲のつなぎになったのなら嬉しいです。
JT:共演者に竹内直を選ばれた理由は?
岩崎:いつも一緒に演奏していた仲間が「直さんて音も人もいいよね」って言っているのを聞いて、自分も一緒に演奏したいと願っていましたし、コルトレーンのバラードが入った彼のCDを愛聴していました。「オルガンのコンサートで、共演していただけますか?」とお願いに行ったとき、「パイプオルガンに凄く興味があります。是非やってみたい。コルトレーンはきっとパイプオルガンと共演したかったと思う。」と快諾してくれました。バッハの曲も熱心に練習してくれて、難解なハイラーの曲も単に即興で加わるのではなく、楽譜のペダル部分を担当してくれました。演奏だけではなく全てにおいてエネルギッシュな人です。
JT:聖路加国際大学の礼拝堂が選ばれた理由は?
岩崎:30年以上前、まだオルガンが設置される前から私はこの礼拝堂で祈り、オルガンが設置されてからは、ずっとオルガンを弾いてきました。人が生まれ、死んでいく全ての過程を感じる空間。延べ時間にしたら、家にいるより長くここに居たかもしれません。ここでの録音は良くも悪くも天に向かっていくのだと思います。音楽を通して天と繋がれたら嬉しいです。
JT:選曲とアレンジはどのように?
岩崎:バッハの2曲とアントン・ハイラーの曲、聖歌は私が、コルトレーンの曲は竹内さんが考えました。バッハの前奏曲のアレンジは私がしました。ハイラーの曲はペダルの部分をサックスで演奏してもらいました。コルトレーンの曲は、アレンジというより、簡単な取り決め、メロディーはどちらが弾くか、イントロ,エンディングはどのようにするか、ソロは何コーラスかというような事を事前に決めました。その他は、自由に演奏しました。
JT:録音はいわゆる一発録り(オルガンとテナーサックスを同時に録音する)でしたか?
岩崎:一発録りでした。
JT:いちばん苦労した点は?
岩崎:オルガンの音は、演奏中、演奏している音がどのように響いているのか判断が難しいです。自分の音とサックスの音がどのように交じり合っているのか聴く耳が必要です。それは、想像にも近いとも言える。でも、段々と交じり合った音を捕らえることができるようになると、凄く気持ちよくて楽しかったです。録音された音を聞いて、オルガンのバッキングが意外にうまくいっていると思いました。
JT:リスナーには何を聞き取って欲しいですか?
岩崎:サックスの音とオルガンの音の融合、ぶつかり、対話。ある時はサックスが先行し、ある時はオルガンが前に出てサックスを誘いこむ、微妙なかけひきを楽しんで頂けたら嬉しいです。
JT:アルバムの出来には満足されていますか?
岩崎:私にとって奇跡のような気がします。これまでの人生と音の集大成が出来上がり、このような立派なアルバムになったのですから。感謝の気持ちでいっぱいです。立派な遺品が出来て嬉しいです。これは変な言い方ですが、ヌード写真集を出した気分でもあります。つまり、自分をすべてさらけだしたと思います。
ピアノとオルガンの演奏は相乗作用があると思う
Part 2:
Jazz Tokyo:ジャズ・ピアノではどのようなレパートリーを演奏されているのですか?
岩崎良子:究極はモダンジャズ、あるいはちょっとアグレッシブな曲を演奏していきたいのですが中々難しい。実際には、オリジナルもモントゥーノのリズムを使ったり、ラテン的な乗りの曲を演奏しています。チック・コリアは随分影響を受けて、レパートリーにも入れています。また最近はバロックの舞曲をジャズ風にしたりしています。
JT:オルガンを始められたきっかけは?
岩崎:1986年に三女安奈を聖路加病院で出産し、その子が先天性異常であったため、一月半で亡くなりました。ちょうどその年にパイプオルガンが設置されると知り、興味を持ちました。その後、ボストンからいらしていた首席オルガニストの林佑子氏が「あなた、ジャズピアニストならオルガンを勉強しなさい。即興のできるオルガニストになりなさい」と言われ本気で勉強を始めました。
JT:ピアノとオルガンを演奏することが双方に影響し合っている感覚がありますか?
岩崎:オルガンのタッチの技術を身に着けることによってピアノの音色が良くなりました。一般的にはピアノとオルガンは両立しないと言われていますが、私はむしろ相乗作用があると思います。オルガン曲も時代によっては、レガートに演奏することを要求されます。その時は、ピアノの難曲をこなしたテクニックが役立ちます。
JT:オルガンでジャジーな演奏をする時にいちばん難しい点は?
岩崎:立ったリズムを出すこと、アフタービートでのアドリブはオルガンの楽器の性質上難しい。また礼拝堂という「祈りの場」でグルーブ感を出すのも難しい。しかし、コルトレーンの曲は、不思議とすんなりと、ジャジーな感じで演奏できた気がします。
JT:新作の録音ではストップは固定でしたか?
岩崎:大体の曲は、3段の鍵盤を駆使して、音色の組み合わせを自分でストップを変えながらやりました。メモリーがないので、バッハは弾きながらアシスタント無しで音色を変える個所があったのでスリリングでした。音色を変えた効果は出ました。
JT:ピアニストとしてはどのような活動をされていますか。
岩崎:大学在学中から、ホテル、キャバレーなどで、ピアノソロ、ベースとのDUO、歌の伴奏などを始め、卒業後も就職をせずにピアノ弾きをしていました。結婚後も同じペースで続け、今日に至ります。現在は自己のトリオ、フラメンコギターとパーカッションでのライブや、竹内直さんとのライブを中心に、活動しています。クラシックの分野の方とのコラボも沢山しています。
JT:オルガニストとしてはどのような活動をされていますか。
岩崎:スタートが遅かったのですが、即興的な作品を多く取り上げたり、実際に即興演奏をすることでプロとして段々と認めて頂き、オルガンのある教会のコンサートから、大きなホールでのコンサートなど多岐にわたって演奏する機会を与えて頂いています。初めから素晴らしい楽器で修行できたことも大いに恵まれています。
夢はオルガン人生の小説化、映画化、音楽を担当すること
Part3:
Jazz Tokyo:お生まれはどちらですか?
岩崎良子:東京の文京区です。
JT:音楽的なご家庭でしたか?
岩崎:母の伯父は、作曲家、指揮者の尾高尚忠であり、音楽家が周りにいる生活だったようです。常に音楽家が周りにいて、音楽を身に着けることが苦痛だったそうですが、私には、自由に音楽的な素養を身に着けて欲しいと願っていたようです。11月30日に亡くなるまで、私のピアノのソロのアルバムを毎日かかさず聴いてくれ、私の音の良き理解者でした。この新作の発売が母の亡くなった翌日なのが嬉しいです。
JT:初めて音楽に興味を持ったのはいつ、どんな音楽でしたか?
岩崎:クリスマスには、オーケストラを聴きに連れていってもらいました。小学生の頃聴いた小澤征爾さんが指揮した<くるみ割り人形>が印象的でした。オーケストラの響きが好きでヴァン・クライバーンの弾くラフマニノフのピアノ協奏曲を良く聴いていました。
JT:初めて演奏した楽器はいつ頃、何でしたか。
岩崎:最近、2歳のころ住んでいた大阪の家にオルガンがあって、なんとなくそれをいじっていたと知りました。ピアノは5歳の時に習い始めました。
JT:専門教育はどうですか。
岩崎:5歳からピアノを習い始め、練習が好きな子だったようです。その後、音楽大学を目指して中学の時から、尾高節子先生(尾高尚忠の奥さん)に師事。高校の時にウイーン国立アカデミーの夏季講座に参加。ウィーン留学をすすめられましたが、周りに音楽家の像や生家などがある、芸術的な雰囲気が好きになれませんでした。芸術大学を目指しましたが一浪して、二年目は音大は諦めて早稲田大学文学部に入学しました。
JT:初めてジャズに興味を持ったのはいつ頃どのように?
岩崎:先ほどのピアノの先生(尾高節子先生)が、高校生の時「あなたのバッハはジャズだわ」と言いましたので「ジャズって何だろう」と気になり、日本ジャズ学校という所へ行きました。ティーブ釜萢という先生が「君、音楽大学を受験するんなら今、こんなところに来ないで、大学生になったらいらっしゃい。」と言われ、結局音大には行かなかったのでそれっきりになりました。
JT:クラシックとジャズの素養のある佐藤允彦さんと加古隆さんに師事されたようですが、お二人からは何を中心に学ばれましたか?
岩崎:佐藤允彦さんには、基本的なコードや、スケールの事、(おそらくバークリー音楽院のやり方)を学びました。加古隆さんはメシアンのお弟子さんでしたがパリから帰ったばかりで、12音技法について習った記憶があります。何やら難しかったけれど、加古さんがパリ帰りなのにもろに関西弁だったのが印象的でした。
JT:ピアニストとして、またオルガニストとしてのプロ・デビューはいつでしたか?
岩崎:ピアニストは、大学生の頃、仲間のピアニストと交代で演奏していた、赤羽駅にあった「うさぎや」という喫茶店。オルガニストは、聖路加礼拝堂で月一回行われる「夕の祈り」での演奏。その日のためにボストンのオルガンの先生、林佑子さんのところまでレッスンを受けに行きました。
JT:それぞれ最も好きなあるいは尊敬する演奏家をあげてください。
岩崎:ピアニスト、日本人では菊地雅章、外国人ではグレン・グールド。オルガニスト、日本人では林佑子、外国人ではアントン・ハイラーです。
JT:それぞれもっとも印象に残る(ご自身の)演奏をあげてください。
岩崎:ピアノでは、2007年にリリースしたアルバムの中の<ひまわり>、オルガンでは、このアルバムの中の<久しく待ちにし主よとく来たりて>。
JT:それでは最後に夢を語ってください。
岩崎:あくまでも夢ですが、自身のオルガンとの関りを小説にして、映画化し、その中の音楽を担当する事。
JT:ありがとうございました。
♫ CDレヴュー
https://jazztokyo.org/reviews/cd-dvd-review/post-71931/