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Jazz and Far Beyond

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Interviews~No. 201

#109 ジョン・サーマン John Surman (composer/ multi-instrumentalist)

photo above:Paolo Soriani

Interviewed by Atzko Kohashi 小橋敦子 at Universitetes Aula in Oslo, Norway
August 17, 2012

1944年、イングランド南西部、デヴォン州タヴィストック出身。作曲家、マルチ・インストルメンタリスト(バリトンサックス、テナーサックス、 ソプラノサックス、バスクラリネット、ハーモニカ、シンセサイザーetc.) モダン・ジャズ、フリー・ジャズをはじめ、ダンス音楽、映画音楽制作に携わるなどジャンルを越えた音楽活動で知られる。60年代、マイク・ウエストブルックのビッグバンドでバリトン奏者を勤める一方、ロック、ブルース、アフリカ音楽のミュージシャンらと共演。ジョン・マクラフリンとのExtrapolation (Polydor/1969), Where Fortune Smiles(Dawn/1970)を始め、自身のHow Many Clouds Can You See (Dream/1969), バール・フィリップス、ステュ・マーティンとのトリオThe Trio(Dawn/1970), Conflagration(Dawn/1970) が注目されヨーロッパ・ジャズ界に衝撃を与える。70年代後半からECMアーティストとして現在までに36作品をリリース。幅広い音楽性と卓越した才能によって創り出された数々の作品は、従来のジャズの領域を広げたと言われる。共演者も多岐にわたり、上記他にアレクシス・コーナー、ロニー・スコット、ジョン・テイラー、ケニー・ウィーラー、ジョン・ウォーレン、ギル・エヴァンス、ジャック・ディジョネット、ケニー・カークランド、 チック・コリア、トマシュ・スタンコ、ミロスラフ・ヴィトウス、ジョン・アバクロンビー、ポール・ブレイ、ポール・モティアン、ゲイリー・ピーコック、ドリュー・グレス、マーク・ジョンソン、ピーター・アースキン、カーリン・クログら(順不同)。
今年5月にソロ・アルバムSaltash Bells (ECM 2266)をリリース。現在、ノルウエー、オスロ郊外に居住。
http://johnsurman.com/


♪ 僕の音楽の好みは幼少時の鐘の音からきたのかもしれない

AK:最新作『Saltash Bells』(サルタッシュ・ベル ECM2266)がリリースされました。ソロ・アルバムということですが、今回の作品への引き金は?

John Surman(以下、JS): ノスタルジア。このアルバムは故郷の町の思い出からイメージを得た。僕はイングランド南西部、プリマスの近くのタヴィストックという町で育った。近くに川があって、毎週水曜日の夜に父親と一緒によく川の辺りを散歩したんだ。すると川の向こう側から教会の鐘の音が聞こえてくる。川向こうから丘を巡って響き渡る鐘の音、エコーするそのサウンドに子供だった僕は大いに魅了された。その鐘が、「サルタッシュ・ベル」だ。シンセサイザーを始めた頃にはこんなアイデアは全くなかったんだが、五十年経った今その教会の鐘の音がふっと思い出されて、こうして僕とまた繋がった感じだ。

AK:幼少時の記憶の中にインスピレーションを得たということですが、鐘の音は今までにも音楽的な影響を与えていましたか?

JS: 教会の鐘の調性、シンプルな音が何度も繰り返されるパターン、エコーする響き...こうして考えてみると僕の音楽の好みはあの頃の鐘の音からきたのかもしれないな。

AK:その当時から何か楽器を?

JS: 僕は教会の聖歌隊に入っていた。ボーイ・ソプラノだった、すごくいい声だったんだよ!ソロ・パートも任されるくらいだった。教会のあのパイプオルガンの厳かな響き、バオーン、ブオーン...その中で歌うのは最高に気持ちよかったな。そのうち変声期がやって来た。どんなに悲しかったかわかる? もうあの美しい声が出ないんだ...ボーイ・ソプラノとの別れ、本当にショックだった。それで、何か他の楽器をやらなくちゃって探している時に、楽器店に並んでいたクラリネットが目に飛び込んできた。何となく気に入ってその中古クラリネットを買っちゃった。それが、僕の楽器との出会い。その後ディキシーランド・ジャズなんかを聞き出して音楽の道に進もうと思うようになった。

AK: 教会の聖歌隊からディキシーランドとはずいぶん大きな変化ですね。

JS: 父は僕に物理をやるように勧めていたんだ。当時はミュージシャンなんて...と言う風潮だったからね。旅芸人の一座にでも入るような感じだったんだろう。「音楽をやるならせめて学校で教えるようになれ」と言われたのを覚えている。幸運にもロンドン・カレッジ・オブ・ミュージックに入学して4年間クラリネットを学んだ。結局クラシックの方には進まなかったが、その頃バッハを通じて学んだカウンターポイントだけはしっかり今も役立っている。バッハの美しい音楽をたっぷり聞いた挙句に、さあ今度は自分たちで三声の楽曲を書いてごらんと言われるんだから困ったものだ。僕は何でも時間がかかる方だからたいへんだったよ。

AK: 学校でクラリネットを習っていてもクラシックだったわけですから、ジャズはどのようにして学んだのでしょう?

JS: ジャズは独学だ。近くのレコード屋のオヤジがいい人で、これも聞いてみろ、あれも聞いてみろとジャズの名盤を僕にいろいろすすめてくれた。そのレコード屋でいろんなスタイルのジャズを聴いて育ったようなものだ。エリントンなんかもその時たっぷりと聞いた。15才でディキシーランド・ジャズのバンドに入ってすでにプリマスのクラブで演奏し始めていた。レモネードを飲みながらね。

AK: あなたのディスコグラフィーを見るだけでも、多様性、その幅の広さに驚かされます。昔からジャズに限らずロック、ブルースなど異なるジャンルのミュージシャンとの共演もたいへん多く、最近ではアコーディオンのリシャール・ガリアーノとのNino Rota (Deutsche Grammophon/2011)などもありますね。そういった多彩な傾向はどのようにして

JS: 60年代のロンドンの音楽シーンはメルティング・ポット、凄まじかったよ。フュージョンに溢れていた。ロック、ブルースはもちろん、ジャマイカ、カリプソ、アフリカ音楽、フリー・ジャズも盛んだった。当時のそんな音楽環境の中で僕は育った。ジョン・マクラフリンやアレクシス・コーナー、ジョン・テイラー、デイヴ・ホランド、ロニー・スコット、ジャック・ディジョネットたちともその頃に出会っている。メンバーが違えばできる音楽も違うし、自分の中の異なる面も引き出される。教会のパイプオルガンとなら厳かな雰囲気の音楽、ギターとなら全く違うスタイル、ビッグバンドなら、ドラムとのデュオなら、ソロだったら...と、どんどんイメージが広がっていくんだ。

AK:そんな中、70年代にはクラーク・ボラン・オーケストラのメンバーとしてヨーロッパ・ツアーに参加したこともあるそうですね。驚きました! ミュージシャンとしての活動の幅がこれほど広いと、リスナーからするとちょっと捉え難いといった部分もあると思いますがどうでしょう?

JS: もちろんマイナス面だってある。人から「What is your music?」「いったい何がやりたいの?」と聞かれることがある。僕にとっては、音楽にカテゴリーは必要じゃなくてサウンドが大切なんだけどね。プラス面としてはいろんな出会いがあること。ユニットが違えば話す言葉が違う、つまり創れる音楽が違ってくるということだからね。僕はその違いを楽しむタイプなんだ。音楽の最大の楽しみは、人と何かを分かち合えることだからね、もちろんリスナーも含めて。

♪ 「ジャズ」の魅力とは、インプロヴィゼーション。その驚きだ。

AK: こうして様々な音楽を取り入れながらも、根底にはジャズが流れているといわれています。カテゴライズした言い方でヘンかもしれませんが、「ジャズ」の魅力とはあなたにとって何ですか?

JS: インプロヴィゼーション。その驚きだ。それが譜面に書かれた音楽とは違うジャズの魅力。例えば僕はジャック・ディジョネットとデュオで何度もやっているが、いつも彼には驚かされる。「オーッ!そうくるか?!」とね。それが楽しさだし、僕の音楽になくてはならないものだ。

AK: 私が聞いたことのあるあなたの音楽は全体からみればほんの一部なのですが、不思議なことにメンバー、スタイル、楽想が違っていても、どの演奏からもどこかでサーマン語が聞こえてくる気がします。フリースタイルでバリバリとバリトンサックスを奏でる時、シンセサイザーがワワーンと鳴り響く時、詩的なフォークソングの調べの中でインプロバイズする時、カーリン・クログの歌のバックで...、ふとドアの隙間からニヤリと笑うあなたの顔が見えてくるような時があります。その瞬間とても懐かしい気分になる、そんな魅力があるように感じていますが...。

JS: アハハ...それは嬉しいね。僕の場合、今まで自分が聞いてきた音や音楽が一つの体験となって、そこから自分の音楽に繋がっていくんだ。ジャズやロックやブルースといった音楽だけでなく教会の鐘の音もそうだし、子供の頃に聞いた民謡(フォークソング)なんかもそのひとつだ。メロディーを耳にした瞬間、懐かしさや思い出を誰かと共有した気になる、音楽の魔法のようなものだね。

AK: モーツアルトの小品にも民謡をベースにしてできたような曲があって、聞いていて懐かしさを覚える時があります。単純な音の繰り返しが美しいメロディーに発展していたり、厳かな曲の合間にも子供っぽい彼の笑顔が垣間見えたり...、そして彼もオーケストラのシンフォニーから室内楽、オペラ、そしてピアノの小品に至るまで様々な編成で自分の世界を創り上げています。あなたとモーツアルトとどこか似ているところがあるように思いますけど...?

JS: ほんとかい? 昔からモーツアルトを演奏していると、天からモーツアルトが怖い顔して僕を睨んでるような気がしてたから、キミの今の言葉でちょっとホッとした気がするな。

AK: シンセサイザーのことを聞かせてください。シンセサイザーに興味を持つようになったきっかけは?

JS: 60年代後半にアメリカ人ベーシストのバール・フィリップスとベースのステュ・マーティンと一緒にロンドンでトリオを組んでいた。その後バールとはパリ・オペラ座のバレー・カンパニー(GRTOP)で仕事をするようになった。1972年~1979年頃だ。ダンス・カンパニーでのバレー音楽を担当していたんだが、当時はシンセサイザーが登場し始めた頃だった。信じられないほどたくさんの音が出せる楽器に僕がどんなにびっくりしたかわかるでしょ? シンセサイザーに興味を持つようになったのはその時だ。

AK: バール・フィリップス氏との斬新なトリオは当時大変な勢いだったと聞いています。その後、パリのオペラ座でバレー音楽を...その音を聞いてみたいですね。その後、バールとはECMから何枚かアルバムをリリースしていますね。

JS: バールが僕とECMを引き合わせてくれたようなものだ。1976年のバールのグループでの『Mountainscapes』 (ECM/1976) がECMへの僕の初吹き込みだ。そこでもシンセサイザーを多用している。

AK: ECMのオーナー、アイヒャー氏はシンセサイザーをどう思ったでしょう?おそらくECMで初めてのシンセサイザー使用例だったのでは?

JS: びっくり仰天したかもね。でも彼はルーティーンを嫌うタイプだから、新しいことは歓迎し理解してくれる人だよ。

AK: ECMからの第二作目が1979年のジャック・ディジョネット、エディ・ゴメスらとの『In Passing...』と、以来今回のサルタッシュ・ベルに至るまでの一連の作品が生まれ続けてるわけですね。

JS: 面白いことに1979年にリリースされた僕のソロ・アルバム『Upon Reflection 』(ECM/1979)は今回のサルタッシュ・ベルに結びついていくんだ。不思議な気がするよ。シンセサイザーもデジタルになってかなり変化したけどね。

♪ ECMはジャズの聴き方を大きく変えた

AK: そして1972年のあなたの初めてのシンセサイザーとフォーンのオーバー・ダブによるソロ・アルバム『Westering Home 』(Island/1972) とも繋がっているわけですね。ECMは当時から画期的なレコーディングをしてきましたが、今も世界中で大変な人気です。リスナーだけでなくミュージシャンにもファンが多いという理由はどんなところにあるのでしょう?

JS: ECMはジャズの聞き方を大きく変えた。楽器一つ一つの音をクリアにし、それぞれの間にスペースが生まれた。全体に開放感が加わった。その結果、リスナーがそれまでとは全く違ったジャズの聞き方をするようになったんだ。これはとても大きなことだと思う。

AK: 確かに、フロントにホーン奏者、そしてバックにリズムセクションといった聞き方はできませんね。耳だけでなく心もオープン・アップして聞くような印象もあります。Way to listen to Jazzが変わってWay to play Jazzも変わったようなところもあるのでは? ECMにデュオはもちろん、従来のトリオやカルテットとは違った編成が多いのもそんな理由からでしょうか?

JS: それぞれにスペースがあるというのが大きいね。それだけ自由にイコールにできる。

AK: そのECMから続々と作品がリリースされていますが、アルバム制作、常に曲を作り続けるのは大変な作業では?

JS: 僕の音楽は絵にたとえるとクイック・スケッチのようなものだ。アウトラインははっきりしているけど、細かい部分までしっかり塗り込むタイプじゃない。それが僕のスタイル。イメージがはっきり見えればスケッチはできるからね。フレーズにしても、僕の場合、一生懸命に難しいフレーズを練習して出来るようになっても、いざプレイしているとどこでそのフレーズを使ったらいいかわからなくなって、そのうちに曲が終わっちゃうんだ。

AK: アハハ...でも今のフレーズの話とは逆に、最近のミュージシャンは超絶技巧タイプが多いようですがどう思いますか?

JS: 僕らの頃は何でも耳で知った。昔、ベースのデイヴ・ホランドがうちにやって来ると、ピアノの前で「マッコイ・タイナーのサウンドはここのところがsus4で、ああなってこうなって...」とやる。すると僕が「あ、そうか、ここをこうすると、なーるほどマッコイの音だ!」なんて具合にね。どこにも書いてないから、そうやってレコードを聞いて耳で探っていった。楽しかったよ。ところが今はテキストがあるから簡単にわかる。だがそれは自分の耳で覚えたものとは違うんだ。

AK: なるほど、お料理と似ていますね。料理のテキストを見ながら大匙1杯、小匙2杯...と作るのに比べると、舌で覚えた作り方は、何度も失敗を重ねながらでも結局は一生自分のものになる。加減の仕方も舌で味わいながらその時々で...と。

JS: 何でも多くを与えすぎないことだね。学校のジャズ科が親切に教えすぎたのかもしれない。クラシックの教え方をジャズに当てはめたのがよくなかったのかな。

AK: 最近のダウンロード主流の傾向に関してはどう思いますか?

JS: 僕はレコード屋のオヤジにかわいがられた方だったからなあ。便利なのはわかるけれど、曲のシャッフルだけは嬉しくないね。僕らはレコーディングからアルバムを作る時、曲順に頭を悩ませて何時間もかける。キミもそうでしょ? ミュージシャンにとってとても大事なことだよね。あの曲順があってこそアルバムとして一つの作品になる。ピアノ・コンチェルトを聞く時に、一楽章をとばして二楽章から聞くとか、一楽章を聞いてから三楽章、最後に二楽章なんて聞き方はできないはずだ。その辺を理解して、忍耐強く聞いて欲しいなあ。それからね、インターネットでの音楽普及は仕方ないとしても、僕が悲しいのは、インターネット・ビジネスの人たちばかりが莫大な利益を得ている一方でミュージシャンがどんどん苦しい状況に追い込まれているということ。将来、ミュージシャン、そして音楽はどうなっていくんだろう? それを音楽の好きな人たちで真剣に考えて欲しい。

AK: 今お持ちのそのCD、『ザ・レインボー・バンド』というタイトルですが、オスロのあのレインボー・スタジオのことですか?

JS: そうだよ。レインボー・スタジオのエンジニアのヤン(Jan Erik Kongshaug) がある日こう言ったんだ。「昼間のレコーディングが終わった後、夜のスタジオは空いている。こんなにいい場所を空けておくのはもったいない。何かいいアイデアはないかな?」と。そこで僕が60年代にアレンジしたオクテットの譜面があるのを思い出して、これをやったら面白いんじゃない?と提案した。ヤンもそのアイデアが気に入って、メンバーを集めることにした。時々集まってリハーサルするようになって、その時にヤンが録音していたのがこのCDなんだ。レコーディングしていることは知ってたけど、後からみんなで聞いたら面白いだろうなというくらいで、CDになるとは誰も考えていなかった。CDのための録音って知ってたら、指が引き攣って簡単なスケールだってボロって間違えちゃったりするでしょ。だから、みんな余裕たっぷりの雰囲気だ。楽しく合奏しているのが聞こえてくるはずだから、ぜひ聞いてみて!


初出:JazzTokyo #179   (2012.9.30)

小橋敦子

小橋敦子 Atsuko Kohashi 慶大卒。ジャズ・ピアニスト。翻訳家。エッセイスト。在アムステルダム。 最新作は『Crescent』(Jazz in Motion records)。 http://www.atzkokohashi.com/

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