JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

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InterviewsNo. 288

Interview #243 鈴木良雄 bassist/composer

Interviewed by Kenny Inaoka 稲岡邦彌 via Google Document, March 22, 2022

Part 1
新宿ピットインでの演奏をそのままCDに収録した

Jazz Tokyo:新作の完成おめでとうございます。Disk 1とDisk 2を一気に聴かせていただきましたが、素晴らしい出来でした。

鈴木:ありがとうございます。

JT:ピットインでの 1st set と 2nd set をそのままCDに収録したのですか?

鈴木:そうです。曲順もライブと全く同じです。

JT :曲のシークエンスも内容もすばらしくとても充実していました。一音も聴き逃さないように真剣に耳を傾けていると、聴き終わったあとはしばらく放心状態でしたね。

鈴木:嬉しいです。このバンドはライブ録音が一番いいと思ったので、成功してよかったです。

JT:身体でいうといわゆる体幹がしっかりしている。バンドで言うとリズム隊ですね。ピアノ、ベース、ドラムス、もちろん役目はリズムだけではありませんが。その中心に鈴木さんがいて体幹に安定感をもたらしています。

鈴木:ありがとうございます。音楽的なベースの立ち位置にはいつも気を使っています。

JT:その安定した体幹に乗って、フロントのふたり(峰厚介と中村惠介)が何の憂いもなく自由に吹きまくっている。

鈴木:この体幹を作っているのはベースだけでなく、ハクエイと珠也のコンビネーションが素晴らしいのでフロントが自由になれるんだと思います。

JT:The Blend というバンド名はそのベテランのふたり(鈴木と峰)と脂の乗り切った男盛りの3人(本田珠也、ハクエイ・キム、中村)がバランスよくブレンドされているところに由来しているのですね

鈴木:珠也とハクエイの音空間がすごくブレンドしていること、いぶし銀のような厚ちゃんと、溌溂として輝いている若い恵介がこれまたブレンドしていることに由来しています。僕はその場を後ろから支えているという事でしょうか。

JT:近年、ドラムを使わずにメロディを生かしたチェンバー・ミュージック的ジャズを中心に演奏していた鈴木さんにどういう心変わりがあったのでしょうか。

鈴木:今まで自分の曲を練りに練ってアレンジもしっかりして隅々まで神経を張り巡らしてきたんですが、ジャズの本質である自由という事に重きを置いたものをやりたくなったんです。

JT::しかも、いきなり本田珠也ですからね。案の定、彼は <モーニン>などでも思いっきり発散していますね。しかし、しっかりコントロールされているところが素晴らしい。

鈴木:珠也は全く新しいタイプの個性的なドラマーですよ。彼によってバンドも僕もずいぶん触発されています。

JT:男盛りの3人(珠也、ハクエイ、中村)がいい意味で抑制された内容のある演奏をしている、これはやはり鈴木さんのリーダーシップと峰さんが手本になっているのでしょうね。

鈴木:手本というより過ごしてきた時間が他の3人より長いという事と、違う時代を生きてきたという事が彼らに影響を与えているのかもしれませんね。

JT : <Five Dance>が特に僕のフェイヴァリットなのですが、これはメンバーの5人を指しているのですね。ライヴでよく演奏しているのですか。

鈴木:今はフリーなリズムで演奏していますが、最初作ったときは曲が5拍子なので<Five Dance >と名付けました。5人のダンスという意味もあります。もちろんライブで毎回演奏しています。

JT:<Moanin’>で思い切り弾けたあと、鈴木さんが大声でメンバーをひとりずつコールしますが、息が全然乱れていない。あれだけの演奏をしたあとに。たいしたものですね。アンコールの <Stay Home Blues>への流れも絶妙ですね。

鈴木:ありがとうございます。演奏したあと息が切れたという事は一度もないです。

JT:何れにしても鈴木さん、というか日本のジャズを代表するアルバムになると思います。できれば、1枚にまとめて海外でもリリースして欲しいですね。

鈴木:いやー、僕もこの音は紛れもなく日本の音だと思うので、できれば世界中に発信したいです。

JT:このあと、全国を回る予定ですね。各地のジャズ・ファンはぜひThe Blendの生に接し、CDで確認して欲しいですね。

鈴木:そうですね。東京と近郊も入れれば40か所くらいになるので本当に楽しみです。

Part 2
日本のジャズの音空間を作り続け、日本から世界に発信したい

JazzTokyo:鈴木さんは早大のジャズ研(モダンジャズ研究会)のOBですが、在学中の仲間でプロになったミュージシャンも多いと思いますが。

鈴木:そうですね。増尾好秋(g)と僕がきっかけとなって今まで40~50人のプロミュージシャンが出たようです。

JT:卒業して渡辺貞夫さんのバンドに入り、ピアノからベースへの転向を指示されるのですね。そんなに簡単に転向できるものですか?

鈴木:その時は卒業後プロのピアニストになって半年くらいの頃で、、貞夫さんからベーシストとして彼のバンドに入らないかというオファーを頂き、もちろんしばらく悩んだのですが、せっかくのチャンスだと思いベーシストに転向することに決めました。ジャズ研ではピアニストとしてスタートしましたが部室にあったベースに触ったら割と簡単に弾けたので後輩のバンドで時々弾いてました。

その要因には子供の頃バイオリンを8年ほどやっていたこと、その後ウクレレ、ギターをやり、弦楽器に親しむ時間が長かったことがあったと思います。直接弦に触れて演奏する弦楽器が好きです。

JT:渡辺貞夫さんをひとことでコメントすると。

鈴木:偉大なミュージシャンであり僕にとっては親父のような存在。

JT:菊地雅章さんのバンドにも所属していました。菊地さんはどんなミュージシャンでしたか?

鈴木:知的で理論派の作曲家ですね。

JT:1973年に渡米しますが、何を期待していましたか?

鈴木:何も期待していません(笑)。流れで行っただけです。

JT:渡米翌年からスタン・ゲッツ、アート・ブレイキーのバンドで演奏しますが、ボスとしての彼らはどうでしたか?

鈴木:この二人は白人と黒人という事もあって対照的なミュージシャン。その音楽性と人間性を学びました。ボスとしてはスタンはクール、アートは親分肌で太陽のような人。

JT:彼らから学んだものは何でしょう。

鈴木:スタン・ゲッツからは緻密性、アートからはグルーブと情熱ですかね。アートからは何も言われたことはなく、ただひとつ言われたことは「リラックスして演奏しろ」でした。あとは言葉ではなく音で教えてくれました。いつも褒めてくれて自信が付きました。ジャズ学校の校長先生です。

JT:NYでは学校でクラシックを学んだのですか?

鈴木:作曲法というか、西洋音楽の歴史を学びました。そのことで自分が居る立ち位置がはっきりしました。

JT::自分のバンドは結成しませんでしたか? 日本人のグループでは演奏しましたか?

鈴木:レギュラーバンドではなかったんですが Dave Liebman、Bob Berg、Tom Harrell、Adam Nussbaum、Andy LaVerne 等と自分がリーダーでやっていました。日本人のグループを組んでのバンドはありませんでした。

JT:12年間の滞米生活で学んだことは何だったのでしょう。

鈴木:一番大きいのは違う国の文化に接し、そのことによって日本の文化が浮き彫りになったという事です。日本人としてのアイデンティティーをしっかり持てるようになりました。

JT::帰国後、MATSURI、EAST BOUNCEを経て、2001年にBASS TALKを結成、19年間続くわけですが、BASS TALKでやりたかったことは?

鈴木:最初からベースが前に出てメロディーを弾きソロをやる、という発想はありませんでした。作曲によって自分の世界を作ろうと考えての結果が BASS TALK でした。

JT:2005年にはEUツアーを敢行しました。どんな成果が得られましたか?

鈴木:EUで自分の音が出せたのは嬉しかったのですが、具体的な成果はなかったように思えます。

JT::2019年に BASS TALKを解散し、THE BLENDを結成しますが、THE BLENDの目標を教えてください。

鈴木:ジャズの発祥はアメリカですが、これからは日本のジャズの音空間を作り続け、日本から世界に発信したいと思います。

JT:NYでの凱旋公演を仕掛けてみませんか?

鈴木:もちろんやりたいです!それには誰かスポンサーがいないと難しいですね。文化使節としての選択もありますが。

Part 3
夢は、オーケストラと、ジャズ・コンボとの共演での自作曲の発表

JazzTokyo:音楽環境に恵まれたご家庭で育ちました。

鈴木良雄:そうですね。生まれた時からバッハ、モーツァルト、ベートーベンの音楽が身の回りにあふれていました。

JT:ヴァイオリンの鈴木メソッドの開発者も係累のおひとりとか。

鈴木:伯父の鈴木鎮一が鈴木メソッドの創始者です。

JT:高校までの学生時代には音楽クラブやサークルで音楽活動を楽しんでいたのですか?

鈴木:はい、中学の時初めてポピュラー音楽に出会いウクレレをやりました。高校3年間はギターにのめりこんで弾き語りや色々な曲を弾いていました。

JT::ジャズに興味を持ち出したのはいつ頃、どんなきっかけでしたか?

鈴木:高校3年の夏、喫茶店で聴いた「Take Five」がジャズに初めて触れた時です。

JT:ジャズ・ピアニストでは誰がフェイヴァリットでしたか?

鈴木:Wynton Kelly、McCoy Tyner、Herbie Hancockです。

JT:ベーシストに転向してからは誰が目標でしたか?

鈴木:Paul Chambersです。

JT::ジャズとクラシックをどのように融合させようと考えていましたか?

鈴木:両方の音楽の良さを引き出したいと思っています。単に表面的な融合でなく奥深いところでの融合を考えているところです。ジャズのリズミックなところとクラシック音楽のハーモニーの美しさ、日本の旋律の強さが融合できればいいと思ってます。

JT:「​​人生が変わる55のジャズ名盤入門​​」(2016年 竹書房新書)のなかで、キース・ジャレット・トリオのゲイリー・ピーコックとジャック・ディジョネットのリズムについてネガティヴな発言をされていますが、その理由について改めて説明してください。

鈴木:良くわからないけどベースとドラムのグルーブ感が合ってない。ビート感に相違があるのと、キースがゲイリーにハーモニーの面でのアプローチ、ジャックにはリズミックなフォローを期待したんじゃないかな。

JT::昨年刊行されたロン・カーターの評伝「最高の音を求めて」(2021年 シンコーミュージック)のなかで、ロンがビル・エヴァンス・トリオのスコット・ラファロとポール・モチアンのオープン気味のリズムについてネガティヴな発言をしていますが、このふたりのリズムについてはどのように評価されますか?

鈴木:うーん、ロンにとってはこの二人の出すリズムにグルーブ感を感じないからだと思う。

JT:理想的なリズム隊を組むために古今東西、どのドラマーと組んでみたいですか?

鈴木:今の若いドラマーの事はよくわからないけど、ジャック・ディジョネットかなあ?

JT:上記の「名盤入門」のなかで、菊地雅章さんのロフトにマイルス・デイヴィスが来訪した時のことに触れられていますが、まじかに接するマイルスについて印象をお聞かせください。

鈴木:すごいオーラ、部屋中に張り詰めた緊張感があった。

JT:先日、ベーシストの鈴木勲さんがなくなりましたが、交流はありましたか?

鈴木:まだアマチュアのピアニストの頃に1回と、ジャズフェスでフロントに二人並んでオマさんはピッコロベース、僕はチェロを弾いて共演しました。

JT:鈴木勲さんのニックネーム「オマさん」は渡辺貞夫さんがゴッドファーザーと聞きましたが、「チンさん」も貞夫さんですか?

鈴木:いえ、名付け親は増尾好秋 (g) です。

JT:由来はどこにありますか?

鈴木:大学一年の時にパーティーの仕事の帰りボーヤをやってて先輩の高価な大事なサックスをタクシーのトランクの中に置き忘れた。こっぴどく怒られて「チンタラやってんじゃねー!」と言われ、「チンタラ」が2年になって増尾が入部してきて「チンさん」と言い始めた。

JT:最後に夢を語ってください。

鈴木:オーケストラと、ジャズのコンボとの共演で僕の曲を発表してみたい。

JT:ありがとうございました。

*最新作『鈴木良雄 The Blend / Five Dance』の詳細については;
https://jazztokyo.org/reviews/cd-dvd-review/post-75282/

 

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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