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InterviewsNo. 306

Interview #270【色彩の記憶と風合い、身体に宿る音。米寿記念演奏会を前に~舘野泉インタヴュー】

interviewer: Kayo Fushiya 伏谷佳代
取材協力:株)ジャパン・アーツ
写真提供:(株)ジャパン・アーツ/山岸伸
2023年9月28日(木)東京都・舘野泉邸にて

音にこの世界を見、彼岸も見、それを具現していくことに喜びを感じる―舘野泉
(『ソリストの思考術第8巻・舘野泉の生きる力』(六耀社)P.189より)

「別荘は良いのだけれどね。街は壁だらけで、居心地が悪くなっちゃう」と巨匠は笑う。
フィンランドから帰国して1か月あまり(取材時)。フィンランドの森は最高の居心地だが、演奏会などでヨーロッパの大都市に滞在するたびに息がつまることもあるという。子供のころから育った東京都内の自宅は木造で築90年、悠然とした時を刻んでいる。1972年、東京の自主リサイタルで弾ききれなかった曲を聴くため、300人ものファンが詰めかけた伝説の「ホームコンサート」の舞台となった家だ(結局、100人ずつ3回に分けて実施)。
5都市で米寿記念演奏会のただ中にある舘野泉に話を聞いた。

― 現在進行中の米寿記念演奏会ですが、とりわけ11/10の東京公演、プログラムの充実ぶりに目を見張ります。ヤナーチェクの『カプリッチョ』(ピアノ、フルート、トランペット2本、トロンボーン3本、チューバ)、平野一郎(※1)『鬼の学校」(弦楽五重奏)、そしてパブロ・エスカンデ(※2)の世界初演曲もピアノと管楽器4本、という編成。ヤナーチェクとエスカンデの作品では、ブレス楽器、すなわち息が主体、そして平野一郎の作品ではもはや楽器演奏の枠を超えたパフォーミング・アーツです。「楽曲と表現すること」のあいだにより強固な一体感を感じます。まずは、このプログラムについてお願いいたします。

舘野:1年前に決めてたんですよ。『カプリッチョ』は、チェコから来た、ヤナーチェクフィルのメンバーと僕とで金沢の音楽祭でやる予定だった。でもその少し前に家内が亡くなってしまってね。叶わなかった。
それから平野さんの「教育的五重奏」(『鬼の学校~左手のピアノと弦楽の為の教育的五重奏』)。ほんとにユーモアの溢れる方でね。東京もふくめてもうすでに8か所くらいで演奏しているのだけれど、是非またオペラシティでやりたい、と。そういうわけでこの2曲は決まってたわけです。
そして、もう1曲はパブロ・エスカンデに依頼。これはヤナーチェクのカプリッチョと全く同じ楽器編成で、と。最後のトリに、ワーッと解放して、米寿記念ということでパーっとやるから、と(笑)。まあ、今回の3曲はこういった形で初めから決まっていました。

アーティストの魅力はひとえに「熱量」につきる。舘野泉の熱量と表現者としての強度は増す一方だ。彼を慕い楽曲を提供する作曲家は後を絶たず、その演奏会は毎回優れた現代音楽に触れる絶好の機会ともなっている。

― その平野さんが舘野さんを表現した言葉に「樹の内に隠れた佛を起こす佛師」というのがあり、膝を打ちました。譜面を掘り起こすことの意味。楽曲そのものには名作も駄作もなく、人間という鉱脈をそこに掘り当てる。こういったご自身の「パッション」や「信念」はごく自然に備わったものなのでしょうか。

舘野:意図は全くなく、本当に自然と生まれてきた。若い時からっというか、もっと前。DNAのレベル。まあ、そんな感じでしょうか。
父も母もここでピアノを教えていたのでね。生徒が毎週100人くらい来るんですよ。父は本当に子どもが好きで、小さい子から大きい子まで沢山習いに来ていてね。ある程度弾けるようになった子には、今度は母が教える。僕のところも4人兄弟全員が音楽をやっていた。それで、生徒が家に溢れてくるとね、僕たちは行くところがないから外で遊んでこいと(笑)。当時のこのあたりの道路は舗装もされていなくて。泥だらけで帰ってきて、足を洗ってそのままピアノへ、というような(笑)。
本当に音楽は生活のなかに溶け込んでいて、特別なことをやっていたという記憶もないんですよ。

舘野泉のキャリアを振り返ると、クラシック音楽でありながら、とりわけ1950~60年代の日本という土壌において、いわゆる西洋的なオーソドックスとは趣を異にする。ごく若いころからグラナドスやムソルグスキーに傾倒したり、移住先にフィンランドを選んだり、日本人作曲家の同世代の音楽を積極的に紹介したり。

― そのあたりの選択もやはり自然に?

舘野:当時の日本はバッハとかドイツもの一辺倒でね。そんななか小学校4年生の学生コンクールではすでにドビュッシーを弾いていた。そういうもののほうが好きだったんですね。その後藝大でも、いわゆるクラシックのスタンダードも学んだけれども、「何か違うな」と。いつも新しい作曲家、ストラヴィンスキーとかショスタコーヴィッチ、日本人の作曲家に惹かれていましたね。僕が藝大を出るころには間宮さん(※3)や矢代さん(※4)、そして三善さん(※5)などが活躍されていて。あの世代は本当に良い仕事をされていて、神様のように見えました(笑)
当時では珍しいことではあったのですが、僕はプログラムにも日本人作曲家を沢山入れたんです。ぶつかるものには何でも興味があったし。ごくごく自然にやってきただけなんですけれどね。

― ブラームス編曲バッハの『シャコンヌ』がターニング・ポイントだったと仰っていたのが印象的です。右手、左手、といった「表現のツール」ではなく、表現することの本質を再認識してゆくプロセス。「単音」を深く掘り下げることで得た境地とは?

舘野:普通にピアノで、両手で弾いていた時代にはそういうことは考えたことはなかったですね。一音が連なって流れていくことが、意味をもった音楽としてどう響くかということが弾いていても分からなかった。つまらない音の羅列に思えてしまって…。
左手の曲がなかったから採り上げてみたけれども、やっているうちに「あぁ、つまんないことやっちゃったなぁ」と(笑)。それでも2カ月、3カ月と続けているうちに何かが出てきた。そのまま続けていたらやがて一つの大きな音楽になって。いや、これは凄い音楽だ!と。そうやって見つけていく過程は、何と言ったらいいか、草木染めみたいだな、と。どういう色が出てくるか分からない。何度も洗って、風を通して、素晴らしい色になって。それがまた空気に晒されて、長い年月を経てますます光り輝く。

― 風合いが増していく感じというか。

舘野:そう。それが分かって面白くなってきて、数年前の時点で700回くらい弾いたから、今は1000回を超えていると思います。全く飽きない。最強ですね。

― フィンランドで生活されて60年、世界各地をあまねく演奏旅行されていますが、日本の音楽受容の風土と世界のそれとを比較していかがでしょうか。日本ではいまだにジャンルの縛りが幅を利かせているように感じます。良くも悪くも、ですが。

舘野:それはありますね。それでも、皆さん実際その世界でやっているわけで。不思議ではあるのだけれど。ジャンルの壁が高いことは反面、物事を深く見ていくということに繋がってもいるんですよね。あらゆることの境い目がなくなってきているのは全世界的な傾向ですが、日本の音楽界というのはまだ「ひとつの世界を背負っている」ような感覚がありますね。

― 演奏家もそうですが、聴き手の意識、評論もこのままでは対応できなくなってくる…。

舘野:先日も若い30代、40代の人たちと話していたときに、「音楽というものがなくなっていくんじゃないか?」と僕が言ったら、みんな、「へっ?!」と驚いてましたけど(笑)
そういう危機感はありますね。だんだん分からなくなってきました。今はまさに多様化じゃないですか。音楽の「切り口」も変ってきている。短くて端的な表現、もありますし。現実で演っている人間たちが、そういう世界をもっと拡げていってほしい、という想いはあります。

新刊『ハイクポホヤの光と風』(音楽の友社)。すぐれた書籍はしばしば序文にすべてがあるというが、「特にテーマは設けず、ピアニストとしての生き方みたいなものをハイクポホヤ(※舘野泉の別荘があるフィンランドの湖畔の一角の地名)のプリズムのうえで視覚化したい」と舘野泉は述べる。書籍全体をとおして、その言葉は描画的であり、秀逸なデッサンや陰影豊かな絵画に触れている気分にさせられる。

― 言葉も視覚的喚起力が抜群ですが、絵画の究極が色であるなら、音楽はやはり「音色」につきる?音色(おんしょく)についてひと言お願いいたします。

舘野:3月に亡くなった妻のマリアは記憶力が優れていて、「絶対音感」ならぬ「絶対色」のある人だった。色の記憶がずば抜けている。何十年前に見た色を、いつどこで見た色だと、記憶が実に鮮明で狂いがないんですよ。色は生きている。例えば、フィンランドの夏はいつまでも夜が明るいのですが、鳥が夜中に鳴いたりしている。それをベランダで聴いていたら気づいたら朝になっていて(笑)。ただそれだけなんですけど、時間が過ぎるのを忘れてしまう。どうも人間は「静けさ」というものを忘れていく傾向にあるようだね。それと夜の闇、その怖さ。それらにも色があり、時とともに熟してくるものだと思う。
そういった世界も草木染めなんかと同じ世界なんだろうけれど。

― 小誌は総合音楽サイトですが『JazzTokyo』という名称ですので。ジャズ好きな読者のためにお願いいたします。舘野さんにとって「ジャズ」とは?ジャズが喚起するものとは?

舘野:もともとジャズも浄瑠璃も好きですから(笑)。ジャンルの縛りで考えたことはないけれど…。今、谷川賢作さんに新しい曲を書いてもらったのですが、最後の曲が9月に出来上がったばかり。もうすぐ初演ですけれど。谷川さんには『スケッチ・オブ・ジャズ』(※6)という曲を書いて頂いてから随分になりますが、3種あるんです。一つがピアノ・ソロ、次がピアノとヴァイオリン、そしてピアノとヴィオラ。今回はまたピアノ・ソロ。しかし題名が『そして舟は行く』!
今まで書いてもらったものとはちょっと違う。もっと「剥き出し」というか。

― コンセプチュアル?

舘野:たった一音の内部に沢山のものがある、と納得させられる曲。ほら、皆、人は死ぬし。人生のなかの様々な生活の変化のなかから徐々に見えてきた陰のようなものが濃厚に現れている。寂しさといったら簡単だけれども…。今までとはちょっと違った世界に入っているな、と。
10月8日が初演なので、最近ずっと練習しているんですよ。
ジャズのヴォキャブラリーは、本当に身についていないと、身体のなかに沁み込ませないと説得力が出ない。中途半端だとすぐばれちゃう。それで毎日2時間くらいやっていますが。音楽の回転というのがありますが、クラシックを弾いているのとは全然違っていて。独立した小宇宙が連綿と続いている、といったらよいか。
リズムだとか、スイングだとか。高揚感…。言葉はいくらでも浮かぶでしょうが、そう単純なことではないですね。

― 言葉はむなしい・・・。

舘野:先ほど『シャコンヌ』の話が出ましたが、バッハの色が出てこないな、と模索していたときと状況は似ている。でも昨日あたりになってやっと、「あ、これはもしかしたらだいぶ近づいているんじゃないか」と(笑)。

― 最後に、今回の米寿演奏会での聴きどころ・見どころ・体感しどころ、をひと言、新しい聴衆のために教えてください。

舘野:ヤナーチェクとエスカンデでは、金管7人と左手ピアノ、という特殊な組み合わせが2曲揃うわけですけれど。何というか、すごく「いい音楽」なんですよ。「いい音楽」というのをどう説明したらよいか(笑)。ピアノ・パートも4章のうち1章は、メロディもなく伴奏的なカタチが続き、そこに管が絡んでいくのですが、いわゆるソリスティックな箇所は全くないんです。でもこのヤナーチェクの世界はすごく魅力的なんですよ。こんな素敵な編成がヤナーチェクだけでは勿体ないので、「全く同じ楽器編成で」という条件をつけてエスカンデに依頼したわけ。それぞれのパートが主張できていて、しかも楽しいように書いてくれ、と(笑)。すべてのパーツが同時に発話しているような!音合わせは11月の初めに予定していますが、どんな響きになるのか、自分自身も本当に楽しみです。
そして、平野一郎氏の「教育的五重奏」!とてもユーモアに溢れていてね。こちらも刺激的です。


レジェンドといわれる存在でありながら、その物腰はどこまでもやわらかく自然体。インタヴューの途中では「音楽がなくなる」というかなりラディカルな意見もあったが、いかなる事態も音楽の回転の新たな萌芽と感じさせてしまう、その鷹揚さの背後には、並外れた経験値がにじむ。舘野泉という存在を新たな軸に、魅力的な楽曲が次々と生まれては回転し、増幅を続けている。
これからの時代における「いい音楽」とは?
その探求は止むことを知らない。(文中敬称略)


※脚注
1.平野一郎(ひらの・いちろう、1974-)
作曲家。各地の祭礼と伝承音楽を巡る踏査を1996年より始動。京都を拠点に日本の伝承や風土に根差した独自の作品を発表、受賞歴多数。内外の演奏家からも信頼が厚い。舘野泉との関わりは『精霊の海~小泉八雲の夢に拠る~』(2011)に始まり、『微笑ノ樹~円空ニ倣ヘル十一面~』(2012)、『二重協奏曲〈星巡ノ夜〉』(2014)など、多岐に渡る楽器編成でどれもが注目される。今回演奏される『鬼の学校』は『鬼の生活』(2021)に続く館野泉との「鬼シリーズ」第2弾。

2. パブロ・エスカンデ(Pablo Escande、1971-)
作曲家・編曲家。アルゼンチン出身。ブエノスアイレス音楽院でディプロマを取得後オランダへ渡り、アムステルダム音楽院でバロック音楽を学ぶ。在学中より指揮者・オルガニストとしても活躍。数々の国際的作曲コンクールで受賞。2012年より京都在住。

3. 間宮芳生(まみや・みちお、1929-)
作曲家。青森県に生まれ育ち、作曲とピアノを独学で学ぶ。東京音楽学校(現・東京藝術大学)入学後に池内友次郎に師事。1953年、林光、外山雄三とともに「山羊の会」を結成、戦後日本の現代音楽の先駆者として多大な足跡をのこす。毎日音楽賞、尾高賞、ザルツブルク・オペラ大賞などを受賞。

4. 矢代秋雄(やしろ・あきお、1929-1976)
作曲家。東京音楽学校で池内友次郎らに師事し、パリ音楽院に留学。1956年『弦楽四重奏曲』で毎日音楽賞受賞。その『ピアノ協奏曲』はあまりにも有名であり、舘野泉を始め内外の優れたピアニストにより、現在に至るまで演奏・録音が重ねられている。

5.三善晃(みよし・あきら、1933-2013)
作曲家。幼少時より自由学園でピアノと音楽の基礎を学び、ヴァイオリンと作曲を平井庸三郎に、作曲を池内友次郎に師事。東京大学仏文科在学中に渡仏、パリ音楽院に学ぶ。ピアノ教育をライフワークとし、その発展に生涯に渡って取り組んだ。文化功労者、フランス政府芸術文化勲章オフィシエなどに選出。桐朋学園学長も務めた(1974-1995)。

6.谷川賢作(たにかわ・けんさく、1960-)
作曲家・編曲家・ピアニスト。ジャズ・ピアノを佐藤允彦に師事。演奏家として現代詩をうたうバンド「DiVa」、ハーモニカ奏者・続木力とのユニット「パリャーソ」、詩人・谷川俊太郎との朗読と音楽のコラボレーション、等を全国各地で展開。1980年代半ばより作・編曲家としての活動も初め、日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞(88, 95, 97年)。2009年より舘野泉に『スケッチ・オブ・ジャズ』を献呈。


『舘野泉バースデー・コンサート』2023年11月10日(金)東京オペラシティコンサートホール

出演:
舘野泉(ピアノ)

平石章人(指揮)/甲斐雅之(フルート)/辻本憲一(トランペット)/尹千浩(トランペット)/新田幹男(トロンボーン)/ザッカリー・ガイルス(トロンボーン)/野々下興一(トロンボーン)/齋藤充(ユーフォニアム)

ヤンネ舘野(ヴァイオリン)/小中澤基道(ヴィオラ)/矢口里菜子(チェロ)/ジョアナサン・ステファニカ(コントラバス)

プログラム:
レオシュ・ヤナーチェク:カプリチオ「挑戦」(左手ピアノと管弦楽のために)
平野一郎:鬼の学校~左手のピアノと弦楽の為の教育的五重奏
基礎科目、教養科目、実践科目、生存科目、運動、給食、転寝、掃除、放課後の鬼生訓 etc
パブロ・エスカンデ:委嘱作品(世界初演)

公演詳細☞(株)ジャパン・アーツ
https://www.japanarts.co.jp/artist/IzumiTATENO/”


関連リンク;

https://jazztokyo.org/reviews/live-report/post-4972/
https://jazztokyo.org/reviews/live-report/post-4600/
https://jazztokyo.org/reviews/live-report/post-91288/

☟音楽之友社より発行されている『舘野泉 左手のピアノ・シリーズ』は充実のラインナップだ。
https://www.ongakunotomo.co.jp/series/detail.php?id=2278

伏谷佳代

伏谷佳代 (Kayo Fushiya) 1975年仙台市出身。早稲田大学卒業。欧州に長期居住し(ポルトガル・ドイツ・イタリア)各地の音楽シーンに通暁。欧州ジャズとクラシックを中心にジャンルを超えて新譜・コンサート/ライヴ評(月刊誌/Web媒体)、演奏会プログラムやライナーノーツの執筆・翻訳など多数。

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