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Jazz and Far Beyond

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No. 215R.I.P. ポール・ブレイ

Ethan Iverson / イーサン・アイヴァーソン

The Main Man

Woke up at 3 AM. Something was wrong. Cold in apartment. Felt very strange. Conceded defeat to insomnia, turned on computer. RIP Paul Bley.

Some assaults are impossible to recover from, especially when they are disguised as liberation. I remember it like yesterday, unwrapping Paul Bley’s Hot and placing it on the turntable. The opening surreal motivic piano solo on “When Will the Blues Leave” went through me like a injection of adrenaline.
The older generation got it from Footloose (1962), universally considered one of Bley’s best. In Wisconsin in 1986, there was no goddamn Footloose anywhere. I had to get it from Hot (1985), which is bizarrely almost the exact same repertoire as Footloose.
The older generation would have known that Bley was simply an alternative. Stationed both in the wrong era and in primitive wilderness, I was free to assume that Bley was the foundation. In a sense my entire career has been a reckoning with this mistake. (pianist/Bad Plus, author)

中心となる男

午前3時に目が覚めた。何か変だ。アパートの部屋が寒い。とても奇妙な感じがする。不眠症にやられてコンピュータの電源を入れた。ポール・ブレイ逝去の報。

回復するために何かの手段を講じることは不可能だ。とくに奴らが自由という衣を被っている場合はだ。ポール・ブレイの『Hot』の封を切り、ターンテーブルの上に載せたのを昨日のことのように覚えている。<ホエン・ウィル・ザ・ブルーズ・リーヴ>の出だしで奏されるシュールリアルな動機のピアノ・ソロがアドレナリン注射のように俺の身体を貫いた。
俺より前の世代の連中は同じ感覚を『フットルース』(1962)から得ているはずだ。ブレイのベストの1枚と目されるアルバム。1986年のウィスコンシンでは『フットルース』はどこにも売ってなかった。仕方なく『Hot』(1985)を買い求めたのだ。奇妙にも『フットルース』とほとんど同じ曲が入っていた。古いファンはブレイがまさしく新しい可能性であることを知っていたはずだ。誤った時代に生まれ、生来の粗暴さは否めないが、俺がブレイを土台にしていたと認めても文句はないだろう。ある意味で俺の人生はすべからくこの思い違いを認めることにあったのだ。(ピアニスト/BadPlus、著述家)


Ethan Iverson / イーサン・アイヴァーソン
ピアニスト/コンポーザー/著述家。
1973年、ウィスコンシン生まれ。マーク・モリス・ダンス・グループの音楽監督を経て、2000年“ポスト・モダン・トリオ”「バッド・プラス」を結成。フレッド・ハーシュ、ソフィア・ロゾフにピアノを学ぶ。菊地雅章に私淑、ロフトに出入りする中でインタヴューを敢行、自身のブログ “dothemath”に掲載。
菊地雅章の『サンライズ』『東京リサイタル』(ECM)のライナーノーツを執筆。

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