ジェレミー・スタイグ 9.23.1942 ~ 4.13.2016
Jeremy Steig September 23,1942-April 13,2016
ジェレミー・スタイグ flute, painter, graphic designer
profile photo:Yu KUSANO/THE FLUTE
NYグリニッチ・ヴィレッジの生まれ。父親は「New Yorker」誌の戯画家。母親はレスリー・カレッジの芸術学部長。
6歳でリコーダー、11歳でフルートを始め、15歳でプロ・デビュー。19歳の時にバイク事故で顎の骨を粉砕骨折、左顔面麻痺の重傷を負う。翌年、特殊なマウスピースを装着し復帰(のちに、頬の筋肉の再建手術によりマウスピースを外す)、アルバム『フルート・フィーヴァー』(Columbia) でセンセーショナルなデビューを果たし、ジャズ・ロック・フュージョンの寵児となる。ピッコロからバス・フルートまであらゆるフルート、リング・モジュレーターやワウワウ・ペダルなどのエフェクター、さらにはヴォイス・マルチフォニックスやオーヴァートーンを駆使してサウンドの多彩化を図った。
1969年、ビル・エヴァンス・トリオにゲスト参加したアルバム『What’s New』(Verve) でジャズ界での声価を決定的にする。
エディ・ゴメス (b) とは、1967年結成のジャズ・ロック・バンド「ジェレミー・アンド・サタイアーズ」(初のジャズロック・バンドと言われる)以来の付き合いで、デュオ・アルバム 『Outlaws』(1976, ENJA) 他、日本での録音『What’s New at F』(2001, 3361*Black) を含む多くのアルバムで共演している。
1994年、ヒップホップ界のスターバンド「ビースティ・ボーイズ」がジェレミーのアルバム『Legwork』(1970, Solid State) の <Howlin’ for Judy>からフルートのフレーズをサンプリングしたシングル「Sure Shot」が大ヒットした。
NYタイムスによれば、ジェレミーは、「このサンプリングから得た印税は、僕のどのアルバムから得た印税よりも大きかった。お陰で、ひと息つけたよ」と述懐していたそうだ。
晩年は日本人女性と結婚、横浜に居を構え、ジャズと絵画、ドローイングを愛し続けた。夫妻が開発した「デジタル・ピクチャー・ブック」(サウンドトラック付きデジタル絵本)はオフィシャル・サイトで紹介されている;
http://www.jeremysteig.info/dpb-E.html
ミュージシャンの死亡記事を目にするのが嫌いだったジェレミーの遺言で、彼の死亡は死後半月後に公告され、NYタイムスが取り上げたのも6月2日付けだった。(編集部)