#09 『Matana Roberts / Coin Coin Chapter Four: Memphis』
Text by 齊藤聡 Akira Saito
Constellation Records
Matana Roberts (alto sax, clarinet, wordspeak, voice)
Hannah Marcus (electric guitar, nylon string guitar, fiddle, accordion, voice)
Sam Shalabi (electric guitar, oud, voice)
Nicolas Caloia (double bass, voice)
Ryan Sawyer (drumset, vibraphone, jaw harp, bells, voice)
GUESTS:
Steve Swell (trombone, voice)
Ryan White (vibraphone)
Thierry Amar (voice)
Nadia Moss (voice)
Jessica Moss (voice)
1. jewels of the sky: inscription
2. as far as eyes can see
3. trail of the smiling sphinx
4. Piddling
5. shoes of gold
6. wild fire bare
7. fit to be tied
8. her mighty waters run
9. all things beautiful
10. in the fold
11. raise yourself up
12. backbone once more
13. how bright they shine
Recorded at Break Glass studios in Montréal, Québec by Jace Lasek, assisted by Dave Smith
Mixed at Thee Mighty Hotel2Tango in Montréal, Québec by Radwan Moumneh
Mastered at Greymarket in Montréal, Québec by Harris Newman
マタナ・ロバーツによる「Coin Coin」シリーズの第4作である。もとよりそのシリーズ名は、18-19世紀に米国南部に生きた奴隷出身の女性マリー・テレーズ・コインコイン(Marie Thérèse Coincoin)から取られている。だがマタナが拓きつつある音楽世界はコインコインの生涯に直接関係するものだけではない。本作のサウンドは、マタナの先祖の女性リディが語る物語を軸に、信仰と結びついた曜日のサイクルとともに展開する。
これはメンフィスにおける悲劇と希望、また記憶の物語でもある。そして記憶とは時間のヴェクトルには従わない重層的なものだ。声明のようにも聴こえる分厚いヴォイスが楽器とともにドローンを形成し、マタナの泥臭くも艶やかでもあるアルトサックス、マージナルな領域へと踏み込むクラリネット、スティーヴ・スウェルならではの粘っこく切れないトロンボーンが時間を進めている。一方でライアン・ソーヤーのドラムスや口琴が、時間の進行の横に振り落とされた澱を巻き上げ、擾乱を起こしている。<shoes of gold>におけるソーヤーのヴァイブは夢のようでも時間の遡行のようでもある。
リディの母は教会に行くことが好きだった。だがその生活空間は常に暴力に脅かされる。<trail of the smiling sphinx>における「The house of god, they say, was no place for the mixing of races」との呟きのように、白人とそれ以外とは分離されていた。同曲で聴こえる楽し気なフィドルは向こう側の世界だったのだ。一方で<fit to be tied>では賑々しいブルースのアンサンブルがあり、<St. Louis Blues>が聴こえてくる。例えば、90年代にウィントン・マルサリスが教会音楽をテーマとして作った大作『In This House, On This Morning(邦題:スピリチュアル組曲)』を思い出すならば、音楽的に昇華され高められた作品であったとは言え、本作がそれと比較にならぬほどの声の厚みを持っていることが実感できるだろう。それはウィントンの作品のような立派なステージ上での正史の語りではなく、疎外され忘れられた無数の者たちの語りなのである。
日曜日から始まった物語が、金曜日の<all things beautiful>に至り暴力と交錯する。「… between moments of silence, I can see bright light and movements of some kind of ritual」というグロテスクで苛烈なもの、それはKKK(白人至上主義団体)の攻撃だった。大声で凶暴でさえある男たちがやって来た。恐怖に慄くリディ。母は近くの大きなポプラの木まで走って行きなさいとリディを逃がした。森から戻ったリディが、二度と両親に会うことはなかった。
幼いリディが父に言い含められた言葉が、サウンドの中で何度も何度も繰り返される。「Run, baby, run / Run, like the wind / That is the wind / Memory is most unusual thing」と。リディは風のように走り生き延びた。記憶は語りなおされ、言葉と音楽とがその都度新たな意味を持って浮上する。
マタナは、シリーズ初作『Chapter One / Gens De Couleur Libres』においても「Amerikkka」という言葉(「America」と「KKK」との組み合わせ)を使っていた。それは現代のレイシズムに抗する意思だけによるのではなく、過去からの記憶の共有にも向けられたものだったのだ。
そして<backbone once more>において生命を取り戻すかのように視えてきた光は、アルバムを締めくくる<how bright they shine>でさらなる再生の力を持つ。壮大にも感じられる音の重なりとアルトサックスは、地の底からの響きも、悦びも伴っている。大きなものに包まれているかのような気持ちは、マタナが祖先や土地と協力して、「This little light of mine」とともに持ってきたものだ。
最近のインタビューにおいて、マタナは森への強い興味を語っている。リディが暴力から逃げたのも森であった。この視線が将来の作品において大きく育ち、マタナの森の音楽として聴くことができる日を夢想する。
(文中敬称略)
マタナ・ロバーツ