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R.I.P. 沖至No. 270

忘れがたき沖至さんの想い出  session house 伊藤 孝

text by Takashi Ito 伊藤 孝

沖さんが亡くなったとのパリからの突然の報に言葉を失った私でしたが、思い返せば沖さんと出会ったのは1971年のことですから、50年近くのお付き合いに感無量の想いになっています。

当時私はTBSラジオに勤務しており、「夜のバラード」という詩と音楽で構成する番組で、緑魔子さんの詩の朗読の相方として翠川敬基さんと出ていただいたのが沖さんとの出会いの始まりでした。1970年代の「ジャズの10月革命」と言われたフリー・ジャズのムーブメントの一翼を担っていた沖至さんの蛇行するように響いてくる音の流れに魅せられた私は、以来数多くのラジオ番組に出てもらいました。その頃の忘れられない愉快なエピソードがあります。私が担当していた番組の一つに、日本のジャズ・ミュージシャンの演奏をスタジオで録音する「ジャズ・ワークショップ」という番組がありましたが、フリー・ジャズはお断りというスポンサーでしたので、私は沖さんにスタンダード曲(「オールド・フォークス」など)も入れて下さいとお願いして出演してもらいました。その放送後聴取者から投書のハガキが届き、「沖さんもちゃんとしてた演奏が出来る方だったのですね。」と書かれていて、スタッフ一同で爆笑したものでした。フリーな心を持ちながらも、若い頃師事した南里文雄さんから伝授された技ありの1件だったように思います。

「トランペットの詩人」と言われた沖さんは、その頃から詩やダンスとのセッションにも積極的で、新宿にあった「マットグロッソ」という画廊で、舞踏家の玉野黄市さんと共演、天井から吊るされ繭のような装置の中で蠢く玉野さんと絡み合うように流れる沖さんのトランペット・プレイは鮮烈なもので、今もありありと蘇ってきます。確かその公演のタイトルは「憂鬱なてふてふ達」というものだったと思います。

また、放送でご一緒させていただいただけでなく、カポネこと副島恒次君らとコンサートを企画、沖さんが1974年に活動拠点をパリに移す前の「さよならコンサート」を草月会館ホールで開いたことも忘れがたい思い出です。その時のメンバーは沖さんはじめ宇梶晶二(bs)、徳弘崇(b)、中村達也(per)、ジョー水木(per)という巧者ぞろいでした。そのライブを当時トリオ・レコードにおられた稲岡邦弥さんが収録、先駆的なミュージシャンを紹介するナジャ・レーベルから『しらさぎ』というタイトルでレコード化して下さったのでした。

沖さんはパリに移住した後もしばしば日本に帰ってきてツアーなどをやっていましたが、私もカポネ君らと新宿や原宿の小劇場でコンサートを企画、多くのミュージシャンやダンサー、演劇役者らとのセッションをしてもらいました。私の連れ合いのダンサー伊藤直子がフリーな活動を始めるきっかけになった公演も快く引き受けてくれて、ダンスと息の合った当意即妙なプレイで蝶が舞うがごとき音色を響かせてくれました。

そして1991年に私が神楽坂の一画でダンスを軸としたセッションハウスという小劇場を始めてからも、沖さんはパリから帰ってきては、井野信義さんや帯同してきたミッシェル・ピルツさん、チャンゴダイさんらと、70年代の舞踏の創始者の一人・笠井叡さんをはじめ多くのダンサーと共演。またセッションハウスの劇場付きの舞踊団マドモアゼル・シネマがパリで公演した時には駆けつけてきて、飛び入りで共演した下さったことも忘れられない思い出です。

今年も9月にはピアニストのチャンゴダイさんと来日する予定で、セッションハウスでもナイト・セッションをしてもらう約束をしていたのでしたが、コロナ禍のためどうしたものかと思い悩んでいた矢先に沖さんの訃報が伝わってきたのでした。4年前に「どんぶらこ」と題してダンサーの近藤良平さんと鬼ごっこをするような遊び心いっぱいの愉快なプレイをして下さったのが、セッションハウスに登場する最後となってしまいました。

しかし、沖さんのトランペットを今一度響かせたい。そんな想いもあって、今年の秋には沖さんがかつてTBSラジオ時代に私が制作した2人の障害児の番組のために作曲演奏してくれた「生きる」という曲で、セッションハウスのダンサーたちが踊ってくれることになっています。この曲は沖さんのレパートリーの一つになっていて、しばしば各地のコンサートで演奏、CDにも収録されているのは嬉しいことでした。

彼岸に旅だった沖さんとのセッションはまだまだ続くのです。気取ることなくいつも飄々としていた自由人そのものだった沖さんでした。「沖さん、ほんとにほんとに長いことありがとう!また天国から蝶のようにひらひらと私たちのところに飛んできてください。」


伊藤 孝(いとう・たかし)

セッションハウス企画室プロデューサー。1937年ソウル生まれ。61年早稲田大学文学部史学科卒業。TBSに入社しラジオ、テレビの両分野で多数のドキュメンタリー番組、音楽番組などを制作。91年、東京神楽坂にパフォーミング・アーツのための小劇場と画廊のあるセッションハウスを開設し、ダンス公演、コンサート、ワークショップ、展覧会などの企画、制作を開始、現在に至る。

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