ゲイリー・ピーコックの写真の記憶 土取利行
text by Toshiyuki Tsuchitori 土取利行
我が十代の終わろうとする1970年、大阪の谷町九丁目にSUBというライブ演奏のできるジャズ喫茶がオープンした。当時大阪でライブ演奏のできるジャズ喫茶は北の太融寺町にあった「ハチ」だけだった。大阪は古くからジャズが盛んでベーシスト協会という演奏家たちの組織があり、彼らは「ハチ」でもライブを行ってはいたが、多くのジャズミュージシャンはクラブやキャバレーなどの演奏で生計を立てていた。十代の私が大阪でジャズの道に入ったのもそれらのクラブからだった。そんな悩める青年時代に出会ったのがベーシストの西山満さんだった。そして彼から「SUB」というライブ演奏のできるジャズ喫茶を開店するので働かないかという呼びかけがあり、最初は西山さんの家に泊まってSUBでの務めをしていたが、そのうち店に居座り、寝ずのドラム練習に徹した。
そんなある日、西山さんがSUBに外国人を連れて来た。ベーシストのゲイリー・ピーコック氏だと紹介された。これが彼との初めての出会いだった。西山さんの話では彼は京都に住んでいて、生活のため大阪でベース教室を持っているとのことだった。西山さんが面倒を見ていたと思う。またこの時期SUBに時々ジャムセッションに来ていたのがまだ京大生だったトランペッターの近藤等則だった。同世代の私は、京都に来ないかという彼の誘いもあって、その後京都に移り、演奏を共にして上京。72年だったか73年だったか、上京してfree jazzに専念しようにも収入はなく、住み込みで新聞配達をしながらピットインティールームやジャズ喫茶メアリージェーンなどで演奏を行なうようになった。
このメアリージェーンの近くに「マクロビオティック」の総本山ともいえる小さな食堂「天味」があった。およそ今のようなマクロビファションとはほど遠い質素な店だった。マクロビオティック、ないし「正食」の開祖、桜沢如一氏(外国ではジョージ・オオサワ)は玄米菜食を通して東洋哲学を解き、彼の亡き後、弟子であった東大出身の久司道夫氏が渡米してボストンなどでセンターを開き、禅マクロビオティックとして60年代にはヒッピーブームと相俟って、アメリカ全土に広がっていった。
私は大阪にいた頃から菜食に傾倒していたので、上京して新聞配達所が恵比寿近くだったこともあり、毎日のように自転車で天味に通い、本格的に正食を学びたいと料理教室にも通うようになった。当時、天味で指導していたのが、桜沢如一氏の側近として長く仕え、教えを受けてきた小川みち先生だった。天味に毎日のように玄米食を食べに行き、料理教室に顔を出すうちに、先生から「土取さんジャズをやっているならこの人はご存知ですか」と見せられたのがゲイリー・ピーコック氏と夫人、そして息子の写真だった。小川先生の話ではゲイリーさんはアメリカでかなり体調を壊し、久司道夫先生に相談して、マクロビオティックを勧められ、その哲学や食事法を学ぶために家族で来日して京都に住み、時に東京にきて天味で食事をし、久司先生から紹介された小川先生と会っていたものと思われる。
ゲイリーさんからもらったという写真は、ジャズを知らない私が持っていても仕方がないからと、小川先生から私に預けられた。私はその後1975年に渡米し、その写真もずっと忘れたようになっていたのだが、一年ちょっと前にこれまでの写真などを整理していたらこの一枚が出て来て2019年4月3日のツイッターに少し発表したのだが、それから一年半の時を経た、本2020年9月4日にゲイリー・ピーコック氏が昇天されたとの訃報を聞き驚かされた。
今、この写真を手にしながら、ゲイリーさんは京都に滞在した後もずっとマクロビオティックを実践していたのだろうかと、私の遍歴と重ね合わせながら当時を振り返っている。
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写真説明ⒸRyuko Gakusha
(小川先生がゲイリー・ピーコック氏からいただいた写真。
ゲイリー・ピーコック氏と夫人のナンシー・ブラウン、息子のエリオット。
写真裏にほとんど平仮名で「京都市の産業会館、十一月の音楽会の時」と書かれている。この字はおそらく日本語を勉強していたゲイリーさんの書いたものだろう。)
土取利行(つちとりとしゆき)
1975年の渡米以来、欧米でスティーヴ・レイシー、デレク・ベイリー、ミルフォード・グレイブス等、多くのフリージャズミュージシャンと共演。76年ピーター・ブルック劇団に参加し音楽監督・演奏家として「マハーバーラタ」を始め多くの作品を手がけ40年間にわたって世界公演を続ける。この間世界の民族音楽を現地で学ぶ。日本では縄文鼓・銅鐸・サヌカイトを演奏。88年古曲宮園節を修し「梁塵秘抄」を蘇らせた桃山晴衣と郡上八幡に立光学舎を設立し日本芸能にも活動の幅を広げる。桃山亡き後、彼女が最後の弟子とし添田知道から教わった啞蟬坊・知道演歌を継承。著書「螺旋の腕」「縄文の音」「壁画洞窟の音」など。CD多数、最近はエヴァン・パーカー、ウィリアム・パーカーとの「The Flow of Spilit」、松田美緒とのブラジル移民の歌「月の夜のコロニア」、パルバティ・バウルとの「Poroshpor」を発表。