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R.I.P. 橋本孝之No. 278

スタイリッシュな求道者 追悼・橋本孝之さん

 

text by Makoto Ando 安藤 誠

先月、突然の訃報が伝えられた孤高のアルト奏者、橋本孝之さん。音楽家としての足跡と独自性、そしてその人柄については別稿でも詳らかにされていると思う。本稿では、彼が二度に亘って出演してくれた即興イベントLAND FES(ランドフェス)でのパフォーマンスを振り返りながら、筆者が彼と接した中で感じたことを記してみたい。

橋本さんに初めて出演を依頼したのは2016年、小暮香帆さんとの共演だった。商店街の中でのライブ、しかも初対面となるダンサーとのコラボレーションにおいて、あの唯一無二の音がオーディエンスに受け入れられるのか、正直多少の不安もあった。躊躇しつつも出したオファーを、彼は二つ返事で引き受けてくれ、迎えた当日。心配は杞憂に終わり、仙川商店街の中心部で行われたパフォーマンスは筆者にとってもとりわけ印象深いものになった。当日の様子を、本誌#222に筆者が記したレビューから引用してみる。

『……夜の帳が下りた商店街に、静かな立ち上がりから徐々に湿った空気を切り裂いていくようなアルトの一声が響き、ダンサー小暮香帆が呼応してセッション開始。その場に居合わせた少女が小暮の動きを終始追いかけ、二人芝居のように展開していく様子が楽しい。買い物客が憩うパティオを立体的に使い、激しく走ったかと思うと舗道に寝そべり、また立ち上がり…といったオーディエンスの予測を裏切る小暮の一連の動作が、スタイリッシュかつフリーキーなトーンを放射し続ける橋本と好対照ながら不思議な調和を生み出す。架空のシネマの1シーンが、架空の記憶として蘇ってくるようなセッションだった。』

2016年9月・仙川商店街 ©木村雅章

2018年には、神谷町駅近くの光明寺で開催された同イベントで、ダンサー奥野美和さんとのデュオをお願いした。本堂前のテラスから、裏手のオランダ大使館側に向かって広がる墓地の中空に、切っ先鋭い彼のアルトが響き渡った瞬間のスリリングさに震えたことを憶えている。通りすがりの人たちも巻き込む開放的な空間だった仙川のときと比べると、屋外ではあるもののクローズドな環境で、ダンサーとの一対一の関係性、そして彼の放射する音の緻密さと鋭利さは一層際立つように感じた。演奏中のスタイリッシュな立ち姿も彼の魅力の一つだが、しなやかな動きの中にもどこか演劇性を感じさせてくれる奥野さんとのセッションでは、それがさらに引き立っていたのも印象的だった。

2018年9月・光明寺(港区虎ノ門) ©bozzo

この2度の機会を含め、彼の演奏を聴くたび強く感じたのは、その音の強靭さだった。意志の強靭さ、と言い換えてもいいかもしれない。どんな場であろうとも、どこまでも自分の音を強く貫くこと。それはおそらく彼が音楽家として自らに課した使命だったのだろう、と今にして思う。

橋本さんと初めて話したとき、ふと気になって、ミュージシャンとしての原点はなんですかと尋ねてみた。返ってきた答えは意外にもビートルズの『ホワイト・アルバム』。いまやっている音楽と随分距離感がありますね、と伝えると、彼は即座に「ジョン・レノンと同じことをやっていても彼を超えられませんから」と返してきた。きっと彼はいつでもそんなふうに、誰にも似ていない音、どこにもなかった音を提示し続けることで、影響を受けてきたものすべてにリスペクトを示し続けてきたのではないのだろうか。そういえば彼がピアノのsaraさんと組んだユニット、.es(ドットエス)の結成はかつてフラメンコを学んでいたことがきっかけと聞いていたが、それも元々はデレク・ベイリーの『インプロヴィゼーション』を読んで「即興を究めるにはフラメンコを知る必要があると思った」のが理由と語っていたのを憶えている。どこまでも実直な人だったのだ。

謙虚でありながらも筋の通った話し方、サックスを構えたときの立ち振舞い、ハーモニカやギターの音、そのすべてが格好よく、求道的であることとスタイリッシュであることが、きわめて自然に両立していた人だった。今後もダンサーとの共演を通じて、彼にしか実現できない新たなインプロヴィゼーションの形を追求してほしいと思っていたが、3度めの機会を提供することは叶わなかった。それが今も残念でならない。

2018年9月・光明寺(港区虎ノ門) ©木村雅章

安藤誠

あんどう・まこと 街を回遊しながらダンスと音楽の即興セッションを楽しむイベント『LAND FES』ディレクター。

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