60歳離れた僕とオマさんの5年間 by 中山拓海 (サックス・プレイヤー)
Text by Takumi Nakayama 中山拓海
「もしもし。俺、オマさんだけど俺と一緒にやらない? 電話ください〜。」
スマートフォンの電源をつけると、そう留守電が入っていました。僕は昼間のライブを観に行っていて、その間確かに電源を切っていました。にも関わらず、電源をつける前ライブ中になぜか着信のバイブレーションを感じていました。
折り返し電話すると、
「もしもし。お前の演奏聴いたんだ。なんだっけ?YouTubeってやつ? 5月7日、ピットインだから。よろしくなっ。な?」
2016年のその共演をきっかけに、僕はそれから6年間、オマさんにとって最後の演奏となった2021年4月24日まで「OMASOUND」のレギュラーメンバーとして演奏させていただくことになりました。
家に帰って最初の着信の時間ぴったりに腕時計の針が止まっていたことに驚いたのを鮮明に覚えています。
音楽をやっていてもそれ以外にご一緒させていただいていても、オマさんの周りにいるとそんなミラクルが頻繁に起こるとは、この時はまだ全く知り得なかったのでした。
1933年生まれのオマさんと1992年生まれの僕はおよそ60歳差で、僕の祖父はオマさんの一個上ということもあり正にお爺ちゃんと孫のような関係でした。バンドに入るまでオマさんと過去共演した先輩たちから色々な話を伺って戦々恐々としていましたが、最後まで僕は本当に孫のように可愛がっていただきました。
僕のソロが終わるとウインクしてくれたり、背中をさすってくれたり、チャンピョンにレフリーがするように右手を上げてくれたりしたこと。
楽屋でも車の中でもず〜〜っと冗談と下ネタを言っていたこと。
福島で大きな地震にあって朝方、「300メートルの津波がくるぞ〜!!!死ぬぞ!!!!」と言ってみんなでホテルの非常階段をおりたこと。
ジャズフェスの演奏終わりにステージの向かいに見えた夕陽が綺麗だったこと。
膝を痛めて杖をついていて、みんなでサポートしてステージまで向かったのに演奏が終わったらシャキッと立って杖もいらずに歩かれたこと。
どんな動物からも赤ちゃんからもすぐに注目を集めて懐かせちゃうこと。
演奏が気に入ってないときほど「オッケー!!!」と言って曲を終わらせてたこと。
甘いものを食べて幸せそうにしているところ。
真摯にアドバイスをしていただいたこと。
アメリカでの数々の共演の話をしていること。
僕がソロ吹いてるのに、気づいたらその裏でテーマを弾いてること。
懐かしいし切なくなります。宇宙人だと思わないと説明できないことばかりで、オマさんとは人間の寿命じゃ亡くならない、僕より長生きするんじゃないかって思っていました。全部、全部美しかったです。
本当に音楽が楽しいってことを何度も演奏で教えていただきました。
お世話になりました。
オマさんから『中山には「個性」がある』と言っていただいたことを本当に誇りに思っています。これからもっと僕らしく生きていきます。またご一緒できるまで腕を磨いていきます。
中山拓海 Takumi Nakayama
1992年静岡県富士市に生まれる。国立音楽大学を首席で卒業。大学時代、早稲田大学ハイソサエティ・オーケストラに在籍し山野ビッグバンド・ジャズ・コンテスト最優秀賞を2年連続受賞、並びに最優秀ソリスト賞受賞。ロサンゼルスで開催されたグラミー主催、”グラミーキャンプ”に日本代表として全額スカラシップを受け参加。多国籍ジャズ・オーケストラAsian Youth Jazz Orchestraにてコンサートマスターを務め、アジア六カ国でツアーを行う。アゼルバイジャン共和国で開催されたバクージャズフェスティバルに自身のバンドで出演など国外にも活動の幅を広げる。2017年ジャズ雑誌「JAZZ JAPAN」の”2010年代に頭角を現した新鋭アーティスト60″に選出される。2019年4月、渡辺貞夫クインテット2days新宿ピットイン公演に渡辺貞夫氏 本人によりゲストとして呼ばれ参加。同年12月、ジャズ国内アーティストとしてはキングインターナショナル史上初のCD『たくみの悪巧み』でメジャーデビュー。2021年ゲイであることをカミングアウト。株式会社JAZZ SUMMIT TOKYO代表取締役、CJC JAPAN アシスタントディレクター(California Jazz Conservatory) 。
公式ウェブサイト takuminakayama.com