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R.I.P. ペーター・ブロッツマンNo. 303

追悼 ペーター・ブロッツマン by 羽野昌ニ

text &photos by Shoji Hano 羽野昌二

ピーター・ ブロッツマンとの出会いは1980年ハン・ベニンクdrとのDuoで来日した折に京都での数日を観光を含めヘルプした事に始まる。当時私はまだ25歳の若いdrだ…。最初の記憶は、ブロッツマンは朝から夜までビールを飲んでいたこと。ハンはブッダの様な奥さんを連れて来ていたから観光を楽しんでいた…。ブロッツマンは観光中もビールを飲んでいた。宿泊は木屋町のお茶屋で、朝行くとブロッツマンが朝飯を私に食べろと、確か鮭の焼き物など、いわゆる日本食の結構な物。プアーな若いdrには敷居の高い場所なのだな。81年初めてブロッツマンと演奏をする機会があった。ICPで来日して、日程の空き日に、確か京都のジャズを流す飲み屋で、2日間演奏したと記憶する。

それから時が流れ、90年、初めての私のヨーロッパ・ツアーだ、ギターのハンス・ライヒェルとの3ヶ月間の演奏。ヴッパタルに住んだのだが、ブロッツマンも其処に住んでる…。私はこの3ヶ月をブロッツマンのアトリエで過ごした…。まあガーデナーで掃除など手伝ったのだが、この3ヶ月が私の演奏に対する中心を築く。ブロッツマンと車て同行してベルリンのFMPワークショップに行くと、予定していたビル・ラズウェルが来られなかった…。代わりに私が入り、2日間の演奏が決まった。ニキ・スコペリティスの ギターのトリオ。この演奏は後にCD『オーガナイズド・カオス Organized Chaos』(Konnex 2002)としてリリースされた。

91年から2005年、私とブロッツマンの日本とヨーロッパでのツアー演奏が始まる。20019年、突然ハンス・ヒビー sax から一緒に演奏したいとメールが来た…。20年にドイツと日本でのツアーを決めた。私もツアー演奏を再開することを決意したのだがが…、コロナ禍が始まり、すべて中止…。20年10月18日近藤(等則)さんが宇宙に旅立つ。22年5月、6月私とヒビーのドイツ・ツアーを敢行した。15年以上振りにブロッツマンと再会した…。ブロッツの体調は非常に悪く、それでも日本での演奏を熱望していた!帰国後、本誌の稲岡さんに相談して来日を実現出来ないかと…。結局、ブロッツマンの体調悪化もあり来日は果たせなかった。コロナで多くの可能性を失ったが…生き残った者は、この一瞬の生を精一杯生きるべきだ。心を残して宇宙に旅立つ者への返信だ。(2023 6月26日)

Brötzmann Hibi Hano 2022.6@Wuppertal

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