コスモポリタン、トリスタン by コントリビューター 齊藤聡
Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
フェデリコ・フェリーニのフィルム『そして船は行く』(1983年)を思い出してみる。豪華客船に乗った貴族、オペラ歌手、ジャーナリスト、テロリスト、難民、素性のわからない者たち。かれらは甲板での音楽会を愉しみ、飲み食いして馬鹿騒ぎをし、猜疑心に囚われ、混乱に陥り、そして書き割りの中で海に沈んでゆく。真剣な話と与太話、高貴と世俗、賢と愚、すべてのものが同じ場に集まる群像劇であり、もはやわれわれには笑ってしまう以外の選択肢はない。丸谷才一はこの映画を評し、フェリーニはミハイル・バフチンのカーニヴァル論を知ることなく「世界文学におけるカーニヴァル文学の伝統を自分で探り当てて、それであんなふうに映画を作ることができたのでせう」と推察している(*1)。
ここでいうカーニヴァルとは狭義の祝祭ではない。バフチンは次のように書く。「カーニヴァルには演技者と観客の区別はない。カーニヴァルには、たとえ未発達の形式においてすらフットライトなるものは存在しない。フットライトがあれば、カーニヴァルはぶちこわしになろう」と(*2)。
トリスタン・ホンジンガーの音楽表現を捉えるにあたりフェリーニやバフチンを引くのはなにも牽強付会ではない。かれが残した傑作アルバムのひとつに『Sketches of Probability』(AIAI、1996年録音)がある。まさにフェリーニが船を出港させたイタリアにおいて、哀しくもあり浮かれてもいるオペラ風のステージを、ホンジンガーは出現させたのだった。「ボッティチェリを探しているんだ!」「おお、かれはもう死んでいるよ!」などといった戯言と歌、演奏。この記録に、ヨーロッパ的な精神を引き受けてみせるホンジンガーの姿を見出すことは難しくはない。
もとより、ホンジンガーはアメリカ人として生まれながら「アメリカという国そのものが好きにはなれなかった」ため、パスポートもお金も持たずにカナダに流れ、そしてヨーロッパへと流れていった人である(*2)。このことは、かれの表現者としての精神形成に大きく影響しただろう。
筆者は2019年にオランダのBimhausに足を運んだ。既にピアノのミシャ・メンゲルベルクはこの世を去っていたが、ICP(Instant Composers Pool)には、ドラムスのハン・ベニンクも、サックスのアブ・バースやマイケル・ムーアも、またホンジンガーもいた。開演のとき、共演する地元の市民オーケストラの団員たちやICPメンバーたちが、観客や仲間に向かって「Hi there, hi there」と挨拶をしながら、客席との距離がとても近いステージに登壇してきた。愉快に驚かされたのは、「Hi there」という音が核となってそのままサウンドへと発展していったことだ。すべてのものは地続きであり、ヨーロッパ市民の対話であり、「演技者と観客の区別はない」ありようだった。
やがてチェロを置いてステージの中心に歩み出てきたホンジンガーは、しゃがみ込み、飛び跳ね、オーケストラを指揮した。メンバーたちも真剣に応じ、みごとなカーニヴァルの空間を出現せしめた。トリックスターの面目躍如である。
ホンジンガーは逝去直前の今年(2023年)も来日し、多くの演奏をこなした。筆者が観た本藤美咲(リード)、宮坂遼太郎(パーカッション)との共演では、ステージを諧謔と驚きの場にしてみせるとともに、観客全員が気付く形でライヴの企画者に悪態を吐いてみせた(2023/6/14、公園通りクラシックス)。これも、すべてを地続きにし「フットライト」など無いのだと示すために企図した行動ではなかったか。かれは最後までホンジンガーだったのだ。
さらにいうなら、かれはヨーロッパと限定せずにコスモポリタンと言ってもよい存在だった。そしてホンジンガー自身が言うように、かれが亡くなったあとでもかれの魂は感知できるものであり続ける。
「インプロヴァイズ、それはつまり人間以外のものも含めて、すべての事象を成り立たせるものは一体何であるのかということを探求している作業だと思うんだ。例えばここでの音楽ひとつをとってみても、それは我々の生活に根ざしたものである。いや、本来そうあるべきだろう。その視点から考えれば、昆虫、果物、そして死んだ人の魂でさえも感じることができるんだ。」(*3)
(*1)丸谷才一『犬だって散歩する』(講談社、1986年)
(*2)桑野隆『バフチン カーニヴァル・対話・笑い』(平凡社新書、2011年)
(*3)「自由を超えたフリー・インプロヴァイザー TRISTAN HONSINGER」(『JAZZ LIFE』1995年9月号、立東社)
(文中敬称略)
ICPオーケストラ、トリスタン・ホンジンガー、ミハイル・バフチン、フェデリコ・フェリーニ