ユニバーサルな耳/悠雅彦さんを偲んで ラジオ番組プロデューサー 田中美登里
text & photo by Midori Tanaka 田中美登里
悠雅彦さんと最初に番組でお付き合いしたのは80年代、TOKYO FMのJAZZ特別番組「ライヴ・アンダー・ザ・スカイ」だったと思う。当時の私は局アナという立場だったので、お膳立てに乗って出演するという感じだったが、1989年に「トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ」というジャンルを問わない番組が始まり、出演ばかりでなく、途中からディレクターとして企画や出演交渉も担当するようになって、悠さんはかけがえのない存在になった。
悠さんを“ジャズ評論家”と思っていると、思いがけないコンサートで何度もお目にかかることがあって、驚いた。純邦楽やワールドミュージック、清水靖晃&サキソフォネッツといったジャンルを特定できない音楽でも、いつも先入観なく楽しんでおられるように思った。ユニバーサルな耳、と言ったらいいのだろうか。新しい表現を模索する人の応援団だったのだろうなあ。
以下が「トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ」で悠さんにご出演いただいた回だ。
・1989年9月4日 サキソフォノロジー・トゥデイ~増殖するサックス
・1991年4月6日 カリブの風~悠雅彦のキューバ紀行
・1991年7月13日 フィンランド・ジャズ
・1993年1月16日&23日 セシル・テイラーTOKYO FMスペシャル・ライヴ[1][2](with 田村光男)
・1994年8月13日 齋藤クン・ミーツ・金サン~ユーラシアン・エコーズ‘94(with齋藤 徹)
・1995年6月17日 セニョール・ユウはムラータがお好き
・1996年5月11日 キムチ・ブルースが俺を呼ぶ
・2014年1月12日 京都賞受賞おめでとう!セシル・テイラー Vol.1
※「セシル・テイラーTOKYO FMスペシャル・ライヴ」については当サイトVol.307を参照。
マイルス・デイヴィスが亡くなった1991年9月28日には深夜のTOKYO FMで追悼番組を放送したのだが、その日の午前、荻窪駅のホームで公衆電話から出演交渉をすると、ふたつ返事でご快諾いただき、長時間の特番で熱く語っていただいた。1998年にミュージックバードで放送したガーシュウィン生誕100年記念の特番では、板橋文夫さんのピアノでステキな喉を披露してくださったことも忘れ難い。
悠さんの霊が安らかになりますよう、心からお祈りしています。
悠雅彦さんを偲んで、ご出演番組をアンコール放送します。
セシル・テイラー初来日のステージでの悠さんのMCのお声も聴けます。
トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ
ナビゲーター:田中美登里 ゲスト: 悠雅彦(音楽評論家)
テーマ:悠雅彦さんを偲んで/ 京都賞受賞おめでとう!セシル・テイラー(2014年1月12日の再放送)
放送日時:2023年12月24日(日)4:30~5:00am TOKYO FM
(1週間以内ならradikoでタイムフリー聴取可。ただし首都圏限定、聞き始めから24時間以内、計3時間)
※radikoプレミアム(有料)ならエリアフリー聴取可http://radiko.jp/share/?sid=FMT&t=20231224043000
12月24日(日)4:00~4:30am K-MIX(FM静岡)
http://radiko.jp/share/?sid=K-MIX&t=20231224040000 (静岡限定)12月24日(日)0:00~1:00am MUSICBIRD THE AUDIO
田中美登里(たなかみどり)
東京芸術大学楽理科卒。1979年にアナウンサーとしてTOKYO FM入社。報道・音楽番組に携わり、90年からディレクターに。主な担当番組は「民族音楽を訪ねて」「ミュージックタイム」「クラシック自由時間」「片山杜秀のパンドラの箱」「トッパンホール・トライアングル」など。89年から続く「トランスワールドミュージックウェイズ」ではボーダレスな視点を貫き、「泳ぐ楽園・東京版」でギャラクシー・ラジオ大賞、「小笠原:リンクする歌の島」では芸術祭放送個人賞を受賞。衛星ラジオ「MUSIC BIRD」では2002年から16年間、クラシック・チャンネルのプロデューサーを務めた。現在はフリーランス。