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R.I.P. 林 聡No. 320

林聡さんと共に – Art for all, All for art - 植松奎二

林さんは作家であった。ノマルエディションで仕事を一緒に始めた1990年、この人の思考はギャラリストではないと思った。作家の精神と思考を持った人だと直感した。本当に美術を愛し、音楽を愛し、芸術の可能性を信じてこれからの人生を切り開いて行こうとする強い意志が感じられた。
今ここに5年前ノマル30周年の時に出版された『30th-Miracle アートの奇跡』がある。林さんの素晴らしい文章と作家の作品と文章。そして Thanks for all great artists と云う作家と林さんが映った写真の数々。皆がいい顔をしていて幸せな彼が作家とともに生きてきた奇跡が集約されている。
僕たちは同志であった。今も同志である。芸術の可能性と力を信じて一緒に闘ってきたし、これからも闘いは続く。彼は言った。『孤独に闘っているアーティストたちにとって最も近い存在であり、共にその道を創る存在でいたい。』作家が作品を作り展覧会を開くように彼は展覧会を企画し創り続けた。それは彼にとって作品であった。僕はいつも彼と共に時代を世界を創っていると思ってきた。それはただのギャラリーにはおさまらない彼とスタッフと作家が一緒に作り続けてきた複合運動体であり、感覚共同体である。
彼は作家と共に作品を創ってきた。あるときは的確な助言とアイデアを作家と一緒に考え続けた。自分の作品の様に。僕の新しい仕事の実験的な表現はほとんどノマルとの関係で生み出された。林さんとノマルのスタッフと一緒に作品を創ってきた。自分一人の作品ではない。皆んなで新しい美術の可能性に賭けた時間と空間を創ってきた。そこには『どんなことでも必ず実現する。』という彼の強い信念で貫かれていた。お金は無いけれどエネルギーとパワーと若さがある創造の場であった。
2015年に「Art-Can」と云う21名のアーテイストが参加したグループ展があった。 缶の中に各作家が作品をいれて封印して展示していた。僕はこの展覧会の前にこの企画には珍しく反対した。作品が何かも分からず皆同じ缶が並んでいる光景を想像した。コレクターは作品を見ないでは買わないと思った。でも オープンしてみると面白い展覧会だった。各作家5点ぐらい出していたのだけれどほとんど完売であった。彼はアートを、作家を信じ、自分の思考と企画を信じ、コレクターは作家を信じ何が入っているか分からない缶をコレクションした。もちろん中には素晴らしい作家の力作が入っていた。ここには彼の美術を信じる力があったと思った。  

 『現代美術と前衛音楽のアーティストたち。創造を止めることができない 彼らと共に生みだす、その豊かさに恵まれた35年だったと思う。』 創造を一番止めることができなかったのは林さん。35年間好きなことを好きなだけやって来た幸せな人生だった。『最初は全てがゼロ。だからこそ。全てを生み出すことができる。決して、できないことはない』林さんの言葉はみんなを勇気づける。35周年記念オープニングレセプションでの林さんの言葉は自分の半生を語り、一人一人の作家を励ます言葉を力強く話し、皆に感動を与えた。

過去の表現が強ければ強いほど、未来への志向が、思いが深ければ深いほど現在の表現は強くなる。ノマルの現在は強い感覚共同体の同志の集まり。 これからのノマル新しい門出を迎えた。同志! 林さん! 皆と一緒に未来へ続 く35年のあゆみに乾杯。

今はノマル35年目の冬。ノマル第二章の始まり。                                                     2024年11月23日    植松奎二

*写真キャプション)
1991年、ドイツ・デュッセルドルフの植松アトリエにて初仕事のために打ち合わせ中の植松奎二と林聡。


植松奎二 彫刻家

1947年神戸に生まれる。1969作家活動を始める。1990年ノマルと仕事を一緒に始める。1991年Nomart Editions より初めての作品集を出版してもらう。現在箕面市にスタジオを構え国内外で作品を発表。

*ポートレート・キャプション)
ノマルでの展示作品と共に(2007年)

 

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