#09 『安田芙充央 / SORA』 齊藤 聡
Pourquoi
https://www.pourquoi.jp/yasudafumiocd.html
Fumio Yasuda 安田芙充央 (piano, melodica, keyboards, percussions, etc.)
Joachim Badenhorst (vocals, voice, clarinet, bass clarinet)
Akimuse (vocals)
Nobuyoshi Ino 井野信義 (acoustic bass)
Dogen Kinowaki 木ノ脇道元 (flute, alto flute)
Takako Hagiwara 萩原貴子 (flute)
Asian Art Strings (strings)
1. SORA 空
2. Sky Lament
3. Fitari
4. Blady
5. Intolerance
6. Lost Era
7. Gig on the Stairs
8. Light in Ruins
9. A Mom’s Place
10. Mahoroba
11. Lucrezia
All compositions by Fumio Yasuda
このアルバムにはいくつかの異なる貌があり、それらが自然に併存し、ときに介入しあっている。
ジャズの貌。かつて安田文夫時代に高柳昌行のアングリーウェイブスに参加したこともあるピアニストだということを意識することはあまりない。もとより高柳がアルバート・アイラーをコンセプトとして結成したバンドでもあり、サウンドの方向性は現在の安田芙充央のそれとは異なる。だが、井野信義の代わりに参加して1983年に吹き込んだ『dislocation』を聴くと、不思議に安田芙充央という一貫した存在が浮かび上がってくる。本盤ではその井野とヨアヒム・バーデンホルストとのトリオで演奏している。井野のコントラバスはつねに音を出すか出さぬかの領域を感じさせるもので、それを言い換えるならセクシー。ヨアヒムもまた自分自身の音をことさらに押し出すことがないが、それゆえに個性が際立つという稀有な人である。そして三者によるサウンドはジャズであろうとなんであろうと変わらない。思い出すのは最晩年のミケランジェロ・アントニオーニがヴィム・ヴェンダースと組んで撮った映画『愛のめぐりあい』だ。男は女の身体を触るか触らぬかという過程をもって愛を伝え去っていく。重ねられる声は「狂気か」。
フルートアンサンブルの貌には楽理が受け手の感覚とマッチすることの悦びがあり、対照的に、ストリングスの貌にはいきなり楔のように異物が入ってくる悦びがある。<Bloody>なんて終盤にストリングスが別角度から光を当て、その反射光がさまざまな色をみせる。なんという確信犯ぶりだろう。
そしてAkimuseのヴォイスという貌。大きな音風景をさらに包み込むような感覚も、並行世界のどこからか聞こえてくるような感覚もある。<Intolerance>におけるポリフォニーたるや安田とふたりとは思えない遍在性がある。言語として伝達する明確な意味をもたない声であるにもかかわらず、彼女はなにを言わんとしているのだろうと耳をそばだててしまう。<Lost Era>に至り、ヨアヒムのバスクラとストリングスの擾乱という雲の切れ間から差してくるAkimuseという光も、そのドラマを見届けよといわんばかりのピアノもすばらしい。
どうも聴く者は安田芙充央という魔術師に幻惑されているようで、またなにが起きたのかをたしかめようとして最初からアルバムを聴くことになる。
(文中敬称略)
井野信義、安田芙充央、ヨアヒム・バーデンホルスト、Akimuse、木ノ脇道元、萩原貴子、Asian Art Strings