追悼「デペイズマンの人、刀根康尚、90にして逝く」
text:Yoshiaki Onnyk Kinno 金野Onnyk吉晃
フルクサスに参加していたこと以外に、世界の前衛音楽一派にトネ・ヤスナオの名を知らしめたのは『Solo for Wounded CD』だろう。ジョン・ゾーンのレーベルTzadikから1997年にリリースされた。
最初から最後までこのアルバムを集中して聴き通すのは、なかなかできなかった。例えばエヴァン・パーカーの初期ソプラノソロは、その鋭利さが持続してリスナーに忍耐を強いる。が、刀根のCDの電子サウンドはそれを遥かに超えた強度がある。だがジャパノイズなどによくあるような爆音、轟音ではない。
CDの盤面に傷をつけて、CDプレイヤーがそれを読み取ることで起る断続的な鋭角的ノイズ。鼓膜に錐をもみこむような暴力的サウンド。これはソロ奏者の、というよりはソロ・リスナーのための音楽。発表時には多くの人から驚嘆の声が上がった。私はいまこれを、究極の(ロウ)テクノと呼びたい。
1935年、浅草に生まれ、日本の古典文学を専攻。この経歴は彼のユニークさの源である。小杉武久、塩見允枝子、武田明倫、水野修孝らと集団「グループ・音楽」を結成、日本初の即興演奏集団となった。この集団の演奏記録が残っていたのは奇跡的である。60年代「アメリカのダダイズム」と言える芸術運動「フルクサス」に参加。
72年、拠点をアメリカに移し、ジョン・ケージ、ダンスのマース・カニンガムなどと交流し、数々のイベントに参加した。
彼は「思考」を、その過程、偶発現象までも含めて現実化する方法論と具体的装置の開発、その実働状態を作品としている。また同時に自らを「超現実主義」の流れにあると位置づける。シュルレアリスムといっても、決して夢幻的、無意識的なのではなく、彼は徹底して論理的な前衛芸術家であった(実験的なのではない!)。
篆書や甲骨文字をスキャナーに読み取らせ、そのデータをそのまま音響に移行するシステムを開発し、それによるサウンドを構成した作品『MUSICA ICONOLOGOS』(LOVELY MUSIC 1993)はその実例だろう。確かに解説が無ければいかにしてかくなるサウンドが生まれたか分からない。だが、彼には録音よりも過程が重要だった。
その他、作品は万葉集や、中国文学なども素材としているが、それは彼の基盤に文学研究があるということだ。文学と即物主義の電子音的邂逅。ミシンや蝙蝠傘とは言わないが。
この原稿は、2001年に愛知芸術文化センターの発行したCD付きブックレット”yasunao tone”によるところが多い。
