HERMETO PASCOAL by 中原 仁
僕がブラジル音楽に本格的に目覚めたのは1975年、ウェイン・ショーターの『Native Dancer』でミルトン・ナシメントの歌声に出会ったのがきっかけだが、よくよく思い出してみると、その約5年前、胎内体験とでも言えそうな、忘れられない出会いがあった。
音楽への興味の幅がロックやR&Bからジャズに広がり始めた70年代初め、大好きになり熱中して聴いていたマイルス・デイヴィスの『Live/Evil』。ファンキーな長尺のライヴ・テイクの間にインタールード的な曲がいくつかあった。高校生の自分にとって、オトナの世界への扉のような印象を受け、いつしかメロディーが脳内ループしていた(数年後に聴いたミルトンの曲と同じように)。それが、エルメート・パスコアールが作曲・参加していた「Nem Um Talvez」などの曲だった。とは言え、当時は「ヘルメト・パスコアル?誰?」だったのだが・・
その後、ブラジル音楽を聴き始め、旧友アイルト・モレイラと共演したアルバム、豚の鳴き声と共演(!)した曲もある『Slaves Mass』などを通じ、自由奔放で奇想天外なエルメート・ワールドの虜になった。そして1979年、田園コロシアムで開催された「ライヴ・アンダー・ザ・スカイ」のブラジル・ナイトでエルメートのライヴを初体験。視覚的な存在感もさることながら、サックスを吹いてキーボードを弾いて鳴り物を叩くパフォーマンスは、一秒先の展開がまったく予測できないスリリングなもので、その日のメイン・アクトだったエリス・レジーナのライヴの印象が吹っ飛ぶほどのインパクト。僕は暴れ出したくなるほどの興奮を押さえるのに必死だった。
さまざまなブラジル音楽と出会う一方、ジャズではフュージョンとフリージャズが好きという極端な趣味だった20代半ばの僕にとって、エルメートの音楽は、実は王道だったのだ。あえてジャズの音楽家を引き合いに出すなら、数年前に聴いたアーチー・シェップやドン・チェリーやアート・アンサンブル・オブ・シカゴ、日本なら山下洋輔トリオのライヴに共通する、悦楽的な解放感を備えた祭儀性に、完璧にノックアウトされた。
時代は飛んで2000年以降。来日する機会が増えたエルメートは、家族同然の絆で結ばれたバンド・メンバーとの、自由だがとても緻密な “あうんの呼吸” に根ざした “Música Universal(普遍的な音楽)” を創出してきた。歳を重ねて老化するよりも、少年化した、とも見え、聞こえた。2023年11月、「FESTIVAL de FRUE 2023」に出演したのが生前最後の来日となったが、場所が地球から天国に移っただけで、エルメートは今も音楽のテーマパークで宴を繰り広げているに違いない。そこには天国で再会したマイルス・デイヴィス、アントニオ・カルロス・ジョビンの姿もあることだろう。
中原仁(なかはら じん)
音楽・放送プロデューサー/選曲家。放送 37年を迎えた J-WAVE「サウージ!サウダージ…」などの制作と選曲を行なう。85年から約 50 回ブラジルに通い、現地録音のアルバム制作(ジョイス、村田陽一 with イヴァン・リンス、高野寛ほか)、ライヴ制作(山下洋輔から東京スカパラダイスオーケストラまで)にも従事。制作アルバムはブラジル音楽からジャズ、J-Popまで50枚以上、選曲したコンピレーションCDは60枚以上。空間BGMの選曲、コンサート/イヴェント企画、ステージ構成/演出(小野リサほか)、カルチャーセンター講師、DJ や司会も。2025年12月、新宿 PIT INN 60周年記念コンサート」の司会をつとめる(予定)。著書「ブラジリアン・ミュージック 200」(アルテスパブリッシング・2022年)。『ジョアン・ジルベルト読本』監修(2024年:ミュージックマガジン)
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