ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま(番外編) 第28回 ロックダウンとブラック・ライブズ・マター運動
気づけば、自主隔離が始まってから4ヶ月が過ぎていた。あっという間だったような気もするし、水中を歩くようにゆっくりと過ぎていったような気もする。去年の暮れから今年の初めにかけて、個人的に色々な変化があって、2020年はとにかくめまぐるしい日々の中で始まった。その混沌とした状態が比較的落ち着いてきた頃、3月に入って久しぶりにライブで演奏をした。少しずつ音楽のある暮らしに戻っていけそうだという希望を胸に、私はその1週間半後の3月13日に控えたライブに向けて準備をしていた。ライブの前々日くらいまでは、共演するミュージシャンとも連絡を取って彼らの意向を聞いた上で、ライブは実行する方向で考えていたのだけれど、日に日に深刻さを増していく状況を目にして、結局はキャンセルせざるを得なくなってしまった。それから後は、あれよあれよと言う間に、食料品の流通が止まるという噂が流れたり、生活必需品が買えなくなったり、子供の通っていた保育園はもちろん休園になり、子供が毎日のように通っていた公園のプレイグラウンドも閉鎖され、状況は深刻さを増すばかりだった。3月末から4月にかけては、とにかく救急車の音がひっきりなしに響いていて、私の住んでいるアパートからも患者が搬送されていくのを目にして恐ろしくてしょうがなかった。
演奏の仕事を生活の糧にしていたミュージシャン達は一気に収入源を失った。レッスンで生計を立てていた仲間達は、遠隔レッスンに移行してなんとか事なきを得ていた。子供のいるミュージシャンの友達は、生活のために音楽以外の仕事をやり始めた。州外に移動する人達も少なくなかった。何しろ、その当時ニューヨークはコロナウイルスの感染者数と死者数が世界でも最も多い地域だったのだ。毎日ニューヨークの日本領事館から届く「新型コロナウイルス関連情報」では、ニューヨーク州、そして隣接するニュージャージーやコネチカット州などの毎日の感染者数と死者数が報告された。最初のうちは、目で追っていたその数字もあっという間に1万人を超えて、その後は感覚が麻痺して数字を見るのも嫌になってしまった。ニューヨーク州知事のアンドリュー・クオモは、毎日状況を報告するブリーフィングをブロードキャストし、ニューヨークらしい人情味とユーモア溢れる彼のリーダーシップのおかげで希望を持ち続けることができた人は少なくないと思う。
幸運なことに、ニューヨーク州は、コロナウイルスによるパンデミックに影響を受けた人々を対象に大規模な失業保険金の給付を行ったので、突然職を失ったミュージシャン達のほとんどはこの給付金を受給することで、物価の高いこの街での生活を生き延びることができている。さらに、様々な音楽関係の機関も、パンデミックにより生活に支障を来しているミュージシャン達が生き延びられるようにと、グラントと呼ばれる助成金を大規模な人数を対象に提供した。このあたりの受け皿の大きさはとても有り難いことだと思った。ロックダウン開始から4ヶ月経った今、ニューヨークは以前よりも少し落ち着きを取り戻し、死者数0の日も達成した。この状況は、自主隔離、ソーシャルディスタンスとマスク着用をしっかり守り、ニューヨーカー達が持ち前の忍耐力で成し遂げた沈静化だとも言えるだろう。
5月25日。少しだけ、ほんの少しだけ、状況が落ち着いてきた頃だった。セントラルパークで犬を散歩する女性の動画がメディアで拡散された。そのエイミー・クーパーという白人女性は、バードウォッチングに来ていた黒人男性のクリスチャン・クーパー(奇しくも同じ名字)に、飼い犬を紐につないでいなかった事を注意されて激昂し、「警察に通報するわよ。アフリカンアメリカンの男性が私の命を脅かしていると伝えるから。」と口走った。その様子を記録した動画はあっという間に拡散され、大きな議論を呼んだ。この、セントラルパーク・バードウォッチング事件と呼ばれる出来事が、BLM(ブラック・ライブズ・マター)運動の火種になった事は間違いない。それはなぜかと言うと、この事件には、これまでのアメリカにおける黒人差別の数々の事件を想起させる材料が揃っていたからだ。白人女性と黒人男性という当事者の組み合わせ(参照:エメット・ティル殺人事件)、セントラルパークという場所(参照:セントラルパーク・ジョガー事件、ボクらを見る目 ”When They See Us”)、そしてエイミー・クーパーの台詞そのものである。『アフリカンアメリカンの男性が』『私の命を脅かしている』と、白人女性が『警察に通報する』事がどんな意味を内包するか?それは極端な話、「私は警察という組織を介してあなたを抹殺する事ができる」という意味合いである。実際に、この事件と同じ事(黒人により『命を脅かされている』と白人が通報した事により警察が無実の人間を殺害する事件)が、何度も、何度も繰り返されてきた歴史というコンテクストを考慮すれば、その事実は火を見るよりも明らかだ。エイミー・クーパー自身は、自分自身の発した言葉の恐ろしさを、もしかすると自覚していなかったかもしれない。無自覚の差別意識、無自覚のentitlement(特権意識)だ。幸い、黒人男性のクリスチャン・クーパーが通報により何らかの冤罪を被ることはなく、最終的にはエイミー・クーパーの方が「虚偽の通報」を行った罪に問われることとなった。この事件の直後、ミネアポリスで警官によるフレディ・グレイ殺害事件が起きた事により、BLM運動は一気に爆発した。もう何年も前、何十年も前から、アメリカでは警官が丸腰の黒人を殺害する事件が相次いでおり、私達は我慢の限界に達していた。殺された人々の名前を復唱し続けることが、私達にできる数少ないことの一つだった。フレディ・グレイ、フィランド・カスティール、ブリアンナ・テイラー、エリック・ガーナー、トレイヴォン・マーティン、サンドラ・ブランド、マイケル・ブラウン・・・何十人、何百人分もあるこれらの名前は、アメリカに住み、人種差別に抵抗する私達にとってのシンボルとなった。
スティービー・ワンダーの名曲『Living For The City』を聴いたことはあるだろうか?強烈なビートで、『Living just enough, just enough for the city…(この街の中で一生懸命に生きている)』と歌うスティービーの声、そして、メジャーコードを奏でる心地よいローズ(Rhodes)のサウンドを聴いていると漠然とした明るさのようなものを感じるリスナーが多いと思う。だが、この曲の後半で入ってくる話し声とパトカーのサイレンの内容はまさに、BLM運動の火種となったアメリカにおける組織的な人種差別と警察による黒人に対する暴力と抑圧の物語なのだ。1973年、ほぼ半世紀前に書かれた曲の内容と同じ苦しみが、今もずっと続いている。
私自身は、音楽を志す者として、アフリカンアメリカンの文化に深い敬意の念を抱いて暮らしてきた。アフリカンアメリカンの歴史についてもそれなりに勉強し、スパイク・リーの映画もすべて観たし、ジェームス・ボールドウィンやトニ・モリスンの小説を読んできた。思えば、私が人生で初めてアメリカ黒人文化というものに触れたのは、中学生の時の音楽の教科書だった。最近の教科書はどうなのか知らないけれど、その当時の教科書には、黒人霊歌が、確か2曲載っていた。そのうちの1曲は『Swing Low, Sweet Chariot』で、もう1曲は『Amazing Grace』だったと思う。その旋律には、教科書に載っていた他の曲に対しては感じることのなかった驚くほど強い引力を感じたのを覚えている。そんな「知識」を身に着けて、アフリカンアメリカンのミュージシャン達と演奏をともにし、20年近くアメリカに住み、アメリカにおける人種差別の構造的な根深さとその残酷さを、私は「理解した気になっていた」だけであった事実を、今年の一連のBLM運動の流れを見て深く実感した。私は、まったく何も分かっていなかったのだ。彼らの経験を、気持ちを、理解できると少しでも思った事は驕りだった。自分自身も家族も黒人ではない私は、家族を送り出す時に、「もしかすると不当な理由で逮捕されてしまうかもしれない。最悪の場合殺されてしまうかもしれない」という恐怖を感じることは決してないのだ。私達他人種の人間にできる事は、立ち上がること、彼らのために声を上げる事、傍観者にならない事、だと思った。
そして、5月の終わり。私は生まれて初めて、抗議運動というものに参加した。全米各地のBLM運動では、警察側による暴力行為が激しさを増していた。その上、自主隔離はまだ続いている状況だ。私には3歳の息子がいるから、母親として自分の身を守ることを優先すべきだとの思いもあったけれど、いてもたってもいられなかった。ジョージ・フロイドが、最後の瞬間に口にした言葉は、「I can’t breathe(息ができない)」、そして「ママ」だったと言われている。当たり前のことだけれど、彼には愛する母親がいた。そしてフロイドは、その母親の愛する息子だったのだ。私は、ジョージ・フロイドの母親の事を想い、マイケル・ブラウンの母親の事を想い、トレイヴォン・マーティンの母親の事を想った。抗議運動の集合場所へ向かって歩くストリートでは、いつものように近所の人達が座って会話をしていた。誰かがステレオでボブ・マーリーの『Burning and Looting』をかけていた。まさに、全米各地で強奪が起き、火が燃えていた。その真夏の午後、強い日差しと生暖かい風の中に、緊張と、力強さと、怒りと、優しさと、団結と、恐怖と、日常と、非日常がうずまいていた。集合場所にはすでに人だかりができていて、その中に入っていく時、私の手は少し震えた。その場に居合わせた人々と一緒に、「ブラック・ライブズ・マター!」と何度も繰り返し叫んだ。
No More Stolen Lives
End Racism
Justice For
George Floyd
Breonna Taylor
Tony McDade
Ahmaud Arbery
この数カ月の間に経験した事は、少なからず、これから自分が表現する音楽にも影響を与えるだろうと思う。私と同じように、アメリカの音楽に惹かれて、人生をその旋律やリズムとともにしてきた人達は、日本にきっと沢山いるだろう。公民権運動からBLM運動への流れは、アメリカの音楽史と切っても切り離せない関係にある。音楽を演奏する立場の人も、聴きに行く立場の人も、ただの文化盗用や文化消費に終わってしまうのではなく、より深く音楽を知るために、この機会に少しでも色んな情報に耳を傾けてみて欲しいと思う。特に、エイヴァ・デュヴァーネイ監督による『13th -憲法修正第13条-』と『ボクらを見る目』の2作はおすすめだ。