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Monthly EditorialEinen Moment bitte! 横井一江R.I.P. カーラ・ブレイNo. 230

#02 カーラ・ブレイ

text by Kazue Yokoi 横井一江

 

昨2016年カーラ・ブレイが80歳を迎えるにあたってリリースされた『Andando el Tiempo』(ECM、録音は2015年) を遅ればせながら聴きつつ、彼女が音楽家として生きてきた約60年をつらつら考えていた。もしかすると昨年11月にベルリンで観た映画『The Jazz Loft According to W. Eugene Smith』(2015) にカーラ・ブレイが登場し、当時つまり60年代について語る姿が妙に頭に残っていたからかもしれない。

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奇しくもエイミー ・C・ビール著『Carla Bley』(University of Illinois Press, 2011) を見つけた。薄い本なのだが、彼女の業績あるいは音楽的人生について書かれた本はこれまでなかったので、早速買うことにした。ちなみに、この本はAmerican Composersというシリーズの一冊で彼女以外は現代音楽の作曲家である。

『Andando el Tiempo』は、前作『Trios』(ECM , 2013) と同じく、20年以上に亘って活動しているスティーヴ・スワローとアンディ・シェパードとのトリオによる録音で、演奏しているのはもちろんカーラの作品である。彼女の筆は冴えていて、他の誰でもないカーラ・ブレイの世界を聴かせてくれる。この編成は彼女の作品を聴く理想的なフォーマットのひとつに違いない。3者のインタープレイは極上の味わいで、カーラのピアノの一音一音には作曲家の顔が窺える。作曲における細部の展開にハッと思わせるところがあるのがカーラらしく、独創的なのだが、押しつけがましくないので、すんなり聴き入ってしまう。

*作曲家カーラ・ブレイ

カーラが作曲家としての才能を開花させたのは、ポール・ブレイとの結婚を契機に、それまでのジャズの規範となっていたハーモニーや構成、リズムなどにとらわれることなく自由な発想で書かれた作品は、ポール・ブレイ『Closer』(ESP, 1965) を始め、ジョージ・ラッセル(<Bent Eagle>他)、ジミー・ジュフリー(<Ictus>他)などの進歩的なミュージシャンに取り上げられた。当時、彼女の作品は耳に新鮮だったと想像する。カーラは十代の頃、有名なジャズクラブ「バードランド」でシガレット・ガールとして働いていて、その時出演している全てのバンドから学んだとインタビューで答えていた。いったいそれがどのように反映されているのか、知りたいところである。

そんなカーラ・ブレイの存在を世に印象づけたのは、マイク・マントラーとのジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ(JCO) での活動においてだろう。

時は1960年代半ば。オーネット・コールマンやセシル・テイラーが呈示したコンセプトに啓発された若い世代が登場してきた。しかし、名門ジャズクラブ「バードランド」も1965年には閉鎖を余儀なくされるなど、ジャズ界は苦境にあえいでおり、彼らには演奏の場がほとんどなかったのである。オーネット・コールマンは1962年12月から引退を余儀なくされていた(1965年復帰)。セシル・テイラーもこの時期、活動の場がほとんどなかったというのが実情だった。ビル・ディクソンの提唱で、1964年ニューヨークのセラー・カフェで一大イベント「ジャズの十月革命」が行われた背景には、若手ミュージシャンのジャズの現況に対する危機感があったのである。

カーラも「ジャズの十月革命」に参加、同時期に発足したミュージシャンの自主組織「ジャズ・コンポーザーズ・ギルド (JCG)」にも加わる。エイミー ・C・ ビールの著書によると、サン・ラは女性であるという理由でカーラのJCGへの参加を強く反対したらしい。ジャズ界はかくも男性中心世界だったのだ。フリージャズも況んや。それは今も根深く残っている。先頃、イーサン・アイバーソンによるインタビューの中でのロバート・グラスパーの「女はソロよりグルーヴが好き」という発言が女性蔑視と捉えられ、アメリカで物議を醸しだしたことは記憶に新しい。日本でこういう発言がなされたとしても、おそらく皆受け流すだろう。グラスパー発言に反応があったことに、ポリティカル・コレクトネスに対する意識が読み取れる。そこが現在と過去のアメリカの違いだ。

話を元に戻そう。

とはいえ、マイク・マントラーとカーラ・ブレイは JCGOを結成し、その作品を JCGの旗揚げコンサートで演奏した。2人が考えていたのはフリージャズの時代に獲得した「自由」をより多角的に表現可能なオーケストラで追求・発展させることだった。1965年7月のニューポート・ジャズ祭に独自のジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ (JCO) を率いて出演。商業主義とは相容れないJCOの活動を継続するために、ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション (JCOA) が1966年に設立された。2人の情熱にティモシー・マーカンド(1938年ピュリッツアー賞を受賞した作家ジョン・マーカンドの息子)、ポール・ヘインズ(詩人)、マイク・スノウ(画家)、シャーリー・クラーク(映画監督)などの有力な協力者が現れたのだ。1968年には画期的なLP2枚組『ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ』(JCOA) を自主制作。JCOは、コンポーザーズ・オーケストラという概念をジャズに持ち込み、ラージ・アンサンブルによるジャズに新たな道を拓いたといえるだろう。実際、1970年から活動しているバリー・ガイのロンドン・ジャズ・コンポーザース・オーケストラはその影響を受けた一例で、彼はJCOとの共演を夢見ていたのだ。

1960年代後半、カーラはゲイリー・バートンのアルバム『葬送』(RCA, 1968)、チャーリー・ヘイデンのザ・リベレーション・ミュージック・オーケストラなどに作品を提供、作曲家としての才能を発揮していく。1971年、3年がかりで制作したポール・ヘインズの詩によるジャズ~ロック・オペラ『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』を3枚組アルバムとして発表。独自のコンセプトに基づく画期的なこの作品は世界的に高い評価を得、ダウンビートでTalent Deserving Wider Recongnitionを3年連続で受賞しただけではなく、イギリスのメロディメーカーの1973ジャズポール、フランスではFrench Grand Prix du Jazz 1973を受賞している。

詩とアヴァンギャルド・ジャズのコラボレーションとしては、アミリ・バラカが参加したニューヨーク・アート・カルテットなどがあったが、『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』では、それをオペラというフォーマットを援用してジャズとロックの“フュージョン”を試みた実験的作品といえる。録音当時、この作品が上演されることはなかったが、1998年にケルンで初演され、ヨーロッパをツアー、2006年にもドイツ、エッセンで上演されている。

『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』に続いて、ポール・ヘインズの詩を基に『トロピック・アペタイト』(Watt, 1974) もリリースした。ここでは「スタッフ」のミュージシャンが参加している。日本では商業的な”フュージョン”ブームが70年代後半から80年代初頭にかけて起こったが、先駆的かつアーティスティックにそれを試みたのもカーラだった。今までジャズ史の中でフリージャズとフュージョンは切り分けられて考察されてきたが、音楽面からそれも再考すべきなのかもしれない。

70年代、カーラはこう語っている。

「現在のジャズは、フリーだからって誤解されていることが多いと思う。フリーに演奏するのはデタラメに何をやってもいいということではない。ちっとも自由じゃないの。誰からも学ぶことはできない。(中略)何もないところから新しい音楽を創造してゆかなければならないんだ。それには、自分の才能に頼るしかない。私だって、何もないところから、何かを見つけ出すこと、そればかりを考えている」 (『元スイングジャーナル編集長児山紀芳マル秘取材ノートが明かす ジャズ・ジャイアンツの肖像』 スイングジャーナル社、2008年)

フリージャズというジャズ史におけるパラダイム転換、その演奏面については多くが語られてきた。だがその時、作曲面においてもパラダイム転換が起こっていたのではないか。キーパーソンのひとりは間違いなくカーラである。そういう視座での書かれたものを読んだことがないのは、ジャズという音楽がクラシック・現代音楽と違い、即興演奏の比重が高く、ライヴ・ミュージックであるからかもしれない。しかし、作曲もまたジャズの大切な要素のひとつなのである。

その後も自身のプロジェクト、ファンシー・チェンバー・ミュージック、ビッグバンドからトリオ、スティーヴ・スワローとのデュオまで様々な形で演奏活動を続け、多くのアルバムを発表している。最近ではチャーリー・ヘイデン・リベレーション・ミュージック・オーケストラのリユニオン (2011, 2015) にも参加。ヨーロッパにも毎年なんらかの形で招かれ、自身のツアー以外にもアーティスト・イン・レジデンス、地元ビッグ・バンドとの共演、また作品を委嘱されたりしている。

カーラ・ブレイの作曲面でのアプローチ、既成のイディオムに縛られず、独自のメロディー・ラインやコード進行に依る世界はジャズにおける作曲と即興演奏を再定義させるもので、直接的、間接的に多くのミュージシャンに影響を与え、現代のジャズに繋がっている。それはジャズという枠組みを取り払い、現代の作曲家という視点から見直されてしかるべきである。フルクサスやアメリカの現代音楽を研究している知人はある時、私にこう言った。「カーラ・ブレイは私の研究対象のお隣さんだったね」と。

*ニュー・ミュージック・ディストリビューション・サービス

1972年には世界中のインディペンデント・レーベルを取り扱う「ニュー・ミュージック・ディストリビューション・サービス(NMDS)」をJCOA傘下に発足させた。そして、マイク・マントラーと共に自主レーベルWATTを立ち上げ、自身のアルバムを次々と発表する。既にヨーロッパではミュージシャン組織がレコードをリリースすることを始めていたが、NMDSは音楽業界におけるDIY (Do It Yourself) に画期的な役割を果たしたといっていい。大手流通網に頼らずに創造的なミュージシャンが制作したレコードの販売、普及にも力を注いだからである。

NMDSはNon Profit Record Distributorで、一般への通販も行っていた。取り扱っていたのは、ジャズだけではなく現代音楽も含む世界中の自主制作レーベルで、例えばドイツのFMP、イギリスIncus、また、ミュージシャン・レーベルではないけれども出来たばかりのECM、フランスのFutura、フィリップ・グラスのChatham Square、ロバート・アシュレイやアルヴィン・ルシェの作品をリリースしていたLovely Music、ギル・スコット・ヘロン、ジョン・ゾーンの1st、ローリー・アンダーソン、など。NMDSの10周年記念ブックレット(カタログ)にナット・ヘントフが序文を寄せているが、そこで彼は子供の頃、ハリー・パーチ自身から通販でハリー・パーチ・レコードを買った、つまり音楽家から直接レコードを買った時のワクワク感を引き合いに出していた。

JCOAの活動自体は70年代半ばに終わったが、NMDSは税務上の問題でクローズする90年まで存続した。そのNMDSの廃業はThe New York Timesでも報じられたほどである。世界中のコアなファンが、70年代から80年代の革新的なシーンの動きをリアルタイムで世界中が知ることが出来たのもNMDSがあったからではないだろうか。日本でもNMDSから仕入れて販売していたレコード店があったことが大きい。フリージャズ・ファンで現代音楽も聴く人が少なくないのも、もしかするとレコード店の最新のフリージャズ・コーナーの横にフィリップ・グラスやロバート・アシュレイなどのLPが並んでいたこともあるのではないかと思う。

*先駆的女性ミュージシャン

過去にもジャズ史に名前を残した女性ミュージシャンはいる。リル・アームストロング、メリー・ルー・ウィリアムス、龝吉敏子などだが、その数は少なく、なんらかのムーヴメントに直接的に関わったわけではない。それを考えると、ジャズにおけるパラダイム転換点でそこに関わった最初の女性ミュージシャンといえよう。とりわけ作曲面において可能性を広げたことは特筆される。現在、女性リーダーで自身の作品を主に演奏するビッグバンドではマリア・シュナイダー、日本人では藤井郷子などが活躍し、狭間美帆のように「ジャズ作曲家」を名乗る人も出てきた。直接的な影響はともかく、彼女達が活躍する道をカーラ・ブレイは拓いたといえる。

 

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/