#10 ジャズ史を著した2冊の本〜ヨーロッパ、日本
『The History of European Jazz』と『Free Jazz in Japan』
text by Kazue Yokoi 横井一江
まもなく2018年も終わろうとしている。今年も数多くの録音物(CD、LP、 ダウンロード作品)がリリースされただけではなく、音楽関係の書籍も数多く出版された。その中でも特に注目に値する2冊の本について書きたい。英語での出版物であるが画期的な本だと思ったので、敢えて取り上げることにした。
*The History of European Jazz
今秋、Francesco Martinelli フランチェスコ・マルティネリ編著『The History of European Jazz: The Music, Musicians and Audience in Context』がイギリスの Equinox Publishing から出版された。ヨーロッパのジャズ史を網羅的に編纂した750ページの大著で、写真が250枚掲載されているのも貴重だ。
編著者であるイタリア人のマルティネリは、1976年から1982年にかけてピサで行われたインターナショナル・ジャズ・フェスティヴァル、またイタリアン・インスタビレ・オーケストラとそのメンバーによるインスタビレ・フェスティヴァルに関わったコンサート・プロモーター、また All About Jazz や Point of Departure などにも寄稿しているジャーナリストで、ディスコグラファーとしてもアンソニー・ブラクストン、エヴァン・パーカーなどのディスコグラフィーを著しており、大学などでジャズ・ポピュラー史の講義を行うなど多彩な活動をしてきた人物だ。
インタビューでも語っているが、包括的なヨーロッパのジャズ史の本を出すというアイデアから10年越し、作業が大きく進行するようになってからも6年、編集だけでも18ヶ月を費やしたという。私は10年ぐらい前に一度マルティネリにニューヨークのジャズ・ジャーナリスト会議で会ったことがあるが、まさかこのような途方もない計画を考えているとは知る由もなかった。それにしてもこれだけの仕事を成し遂げた熱意と忍耐力と持久力にはただただ頭が下がる。そういえば、ジョージ・E・ルイスの『A POWER STRONGER THAN ITSELF: The AACM and American Experimental Music』も出版までに10年費やした本だった。やはり、それなりの仕事をするには長期的に取り組む必要があるのだろう。
この本に集録された各国史は、西ヨーロッパ、スカンジナビア、中東欧、旧ソ連、地中海沿岸国、バルト3国、バルカン、それらに加えてトルコ、アゼルバイジャン、アルメニアも含まれている。ここまで網羅していることに驚きを禁じ得ない。もっともそこにアルメニアやアゼルバイジャンがあるのは、ティグラン・ハマシアン(アルメニア)やアジザ・ムスタファ・ザデ(アゼルバイジャン)の活躍により、視界が広がったのはないかと推察する。各国それぞれその国の言語で書かれたジャズ史の本はおそらくあるだろう。だが、世界で最もメジャーな言語である英語でこのような本が出されたことはいかに画期的なことか。興味深かったのは1958年、既に汎ヨーロッパ的なビッグバンドが編成されてニューポートジャズ祭で演奏していること。尤もその傾向が顕著になったのはフリージャズの時代に入ってからだが。このような本が編纂される必然性を感じたところである。
また、各国毎の章の他に、ジャンゴ・ラインハルトとジャズ・マヌーシュ、ジューイッシュ音楽、また映画、フェスティヴァルなどの章も設けることで、より視野を広げている。拙著『アヴァンギャルド・ジャズ』(未知谷、2011年)を書いた時も最後の章でフェスティヴァルを取り上げた。彼がどう考えたのかはわからないが、ストレートにジャズ史を追うだけでは見えにくい側面、文化受容やネットワークがそこから見えてくるのではないだろうか。
ネットワークということでは、ヨーロッパ・ジャズ・ネットワーク(EJN)の協力が得られたことが、出版計画の実現に寄与したようだ。それだけではなく、マルティネリ自身が関わっているシエナ・ジャズ・ファウンデーションを始めとして、ヨーロッパにはジャズ関連のインスティチュートが幾つかあることから、それらとの協力関係を得られたことは人的な繋がりも含めて大きかっただろう。そのようなネットワークがあればこそ、インタビューで語っていたように何人かで素稿を読んで、意見を交換して、ブラシュアップしていくということも可能だったに違いない。
そして、ジャズはアメリカの音楽という根深い既成概念に楔を刺したことも重要である。今どき、その歴史的なことは別として、クラシック音楽はヨーロッパの音楽だと言う人がいるだろうか。それと同じである。もちろん、ジャズの草創期から今日に至るまでアメリカのジャズが与えてくれたものは計り知れない。しかし、ジャズは単に海を越えただけでなく、異なった文化圏で様々な形で受容されることで新たな創造をもたらしたといえる。それなのに、アメリカ以外のジャズについては、常にジャズの通史の外側にあった。故に、この本はアカデミアにとっても、音楽ジャーナリズムにおいても貴重な第一歩であると思う。
*日本フリージャズ史 Free Jazz in Japan – A Personal History
もう一冊は、ジャズ評論家故副島輝人著『日本フリージャズ史』(青土社、2002年)の英訳本『Free Jazz in Japan: A Personal History』である。翻訳は Kato David Hopkins 加藤デイヴィッド・ホプキンスで、版元は出版界のインディーズと言っていい奈良県にあるPublic Bath Pressだ。
日本のジャズ史について英語で書かれた本では、E. Taylor Atokins テイラー・アトキンス著の『Blue Nippon: Authenticating Jazz in Japan』(Duke University Press、2001)がある。雑誌や論文等で日本のジャズについて書かれたものは多々あるが、日本のジャズ史ということではアトキンスの著作ぐらいだった。『Blue Nippon』ではフリージャズ以降について割かれたページは多くないので、『Free Jazz in Japan』が出版されたのはそれを補完するためにもよかったと思う。何よりも画期的だったのは、翻訳とはいえ日本人ジャズ評論家が書いた英語の本が日の目を見たということである。たとえ日本にある出版社とはいえ、これは今までになかったことだ。日本語で書かれた本だと諸外国の人に読んでもらうのはほとんど不可能だ。だが、英語ならば翻訳本も含めて、海外の音楽評論家、研究者、もちろんファンにも読んでもらうことが可能だ。日本のジャズについて外国人が書いた本なり、文章を読んでいて、「そういう受け取り方をしているのか」とか「ちょっと違うんだよね」などと違和感を感じることは少なくない。そういう意味でも日本人は当時どのように見ていたのか、当事者に近いところにいた立会人であり目撃者が書いた本だけに、翻訳本が出たことは嬉しい。
『日本フリージャズ史』はとても副島輝人らしい本だ。「歴史というとねぇ…」と、その言葉の重みについて逡巡していたような、そんな言葉を本人から雑談中に聞いた記憶がある。タイトルに「史」とついているが、ベースとなったのは個人的体験であり、それを軸に書かれた本である。副島は、先に挙げたマルティネリと同様、現場に深く関わった人であり、それもまた評論活動の一環と位置付けていた。マルティネリとの違いは、ディスコグラファーではなかったことか。実際この二人は知り合いで、マルティネリのピサのフェスティヴァルには副島も訪ねており、それについては『世界フリージャズ記』(青土社、2013年)に出ている。それはともかく、英訳本のサブタイトルにはA Personal Historyという言葉が入った。私が思うには、個人史というよりも副島輝人的日本フリージャズ史なのだが。いずれにせよ、その点がタイトル上でも表されたことで、この本の性格が明確になったといえる。
この本の出版が契機になって、海外でも日本のフリージャズについての理解が進むことを期待したい。同時に国内でも日本のフリージャズについて、『日本フリージャズ史』の検証や異なった視座から文章が書かれ、どんどん議論されていくことも切に願っている。そうなれば、日本のフリージャズがより立体的に浮かび上がるだろう。『日本フリージャズ史』はバイブルではないのだ。また、マルティネリではないが、英語はジャズにとって一番近しい言語だけに、日本から英語での発信ということについてあらためて考えさせられた。もちろん、日本語という言語での表現は大切であるし、ヨーロッパの諸言語以上に英語翻訳あるいはダイレクトに英語で書く敷居が高い。グーグルの翻訳は推して知るべしだ。しかし、その必要性は間違いなくあるといえる。
最後に蛇足になるが年末なので一言。グローバリズム、新自由主義の弊害が日々顕在化していることを日々痛感している昨今だが、それに加えて矢継ぎ早に周回遅れの新自由主義的な政策が繰り出されている。それゆえに政治への不信感は、保守、リベラル問わず増すばかりだ。ジャズが開かれた音楽であることと、世のグローバリズムとは別物である。レスター・ボウイではないが(→リンク)、今ジャズが必要なのだと私は思う。
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