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international(海外)NewsR.I.P. 沖至

8/25 トランペッター沖至、パリに死す

日本のフリージャズのパイオニアでパリ在住のトランペッター沖至が入院先の病院で8月25日に亡くなった。享年78。

1941年9月10日兵庫県須磨の生れ。幼少の頃、南里文雄にトランペットの手ほどきを受ける。高校時代にブラスバンドに参加、学生時代はディキシーランドジャズのバンドに加わっていた。1965年関西から東京へ活動の拠点を移し、1969年には菅野光亮 (p, 作曲) グループのヨーロッパ・ツアーに同行。1960年代後半よりフリージャズを始める。1969年に音楽評論家副島輝人の呼びかけに応じてニュージャズホール立ち上げ時から関わったミュージシャンの一人だ。

1970年には富樫雅彦 (ds) と佐藤允彦 (p) による双頭グループ「ESSG」(実験的音響空間集団の略)に高木元輝 (ts)と参加。自己のトリオ(翠川敬基 cello、田中保積 ds)を結成、このメンバーで1970年に録音したのが『殺人教室』(Jazz Creators)である。副島輝人著『日本フリージャズ史』(青土社、2002年)によると当時は「抽象的な空間創造に余念がなかった」という。やがてジョー水木 (ds) が加わってカルテットになり、その後メンバーを組み替え、片山 広明 (ts)、安斉久 (b)、山川均 (ds) に、そして宇梶晶二 (ts, bs)、徳弘崇 (b)、中村達也 (ds) で活動、1974年には『しらさぎ』(TRIO)を録音している。そして、同年日本を離れ、単身でパリに移住。それは朝日新聞の天声人語で「沖至のパリ移住は一つの頭脳流出である」と書かれたほど話題になった。

渡仏後、様々なミュージシャンとの共演を重ね、ミシェル・ピルツ (bcl) とブッシ・ニーベルガル (b)、 またアラン・シルヴァ (b) などと共に活動を行なう。沖至はアラン・シルヴァのセレストリアル・コミュニケーション・オーケストラにも参加、シルヴァが1975年に開設した音楽学校 (Institut Art Culture Perception) でも指導に当たっていた。また、1978年にはパリ在住の加古隆 (p) に翠川敬基 、富樫雅彦というメンバーで『ミラージュ』(TRIO)を録音している。年1回くらいのペースで帰国ツアーを行い、ミシェル・ピルツやアラン・シルヴァと共にツアーを行ったこともあった。1980年代前半リヨンに移住、ローカルなシーンとも関わりを持ち、チャンゴダイ (p) とは日本ツアーを何度か行っている。1999年に再びパリに戻る。ヨーロッパでの共演者はノア・ハワード (as)、サニー・マレイ (ds)、ケント・カーター (b)、クリスチャン・レイモンド (b)、クラウス・クーゲル (ds)、レイモンド・ボニ (ds)  など枚挙にいとまがないが、帰国時もまたベテランから中堅、若手まで実に多くの日本人ミュージシャンと共演しており、2005年には大友良英と『邂逅』(筆不精企画)を録音している。また、沖至は吉増剛造、白石かずこなどの詩人、また国内外の舞踏家やダンサーとのコラボレーションも多かった。

近年は、フランスのフリージャズのパイオニアであるフランソワ・テュスク(p) のグループに参加するほか、数多くのミュージシャンとセッションを行っている。またアラン・シルヴァの80歳記念コンサートにも出演した(2019年)。CDではリンダ・シャーロックの『No Is No (Don’t Fuck Around With Your Women)』(2014年)に加わり、2015年にはアクセル・ドゥナー (tp)とのデュオで『Root Of Bohemian』(Improvising Beings)をリリースしている。

最近はJAZZ ART せんがわに合わせて帰国、巻上公一やヒカシューを始め色々なセッションでステージに上がった。長期間に亘る国内ツアーも組み、九州では川下直広 (ts) の招聘で毎年ツアーを行っている。しかし、昨2019年はかかりつけ医に精密検査の必要性を言われて急遽帰国をキャンセルすることとなり、2018年秋の帰国が最後となった。2015年帰国時の九州ツアーでの福岡のニューコンボでのライヴ録音は『夜の眼』(Off Note)として昨2019年リリースされている。メンバーは沖至、川下直広、塚本美樹 (p)、波多江崇行 (g)、間村清(b)、上村計一郎 (ds) だった。

沖至はトランペットの蒐集家としても知られ、修理、改造して楽器を創作している。その数は数百になるそうで、フランス・トゥールのアートフェスティヴァルなどで彼のコレクションの展示会が行われた。トランペッターの間では沖至の名前はよく知られており、ミュージシャンズ・ミュージシャンという言葉があるが、彼はトランペッターズ・トランペッターといえるのではないだろうか。ご冥福をお祈りします。

photo: ©2018 Kazue Yokoi

*JazzTokyo #270(10月4日更新号)で追悼沖至特集を予定しています。

 

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