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BooksNo. 327

#141 小澤征爾 村上春樹「小澤征爾さんと音楽について話をする」

著 者:小澤征爾 村上春樹
書 名:小澤征爾さんと音楽について話をする
初 版:平成26年(2014年)7月
判 型;文庫
版 元:新潮社


『ボクの音楽武者修行』(1962) 以来の小澤征爾のミーハー的ファンである。武満徹=トロント響の『ノヴェンバー・ステップス』(1969) もすぐに買った。若い頃は人並みにそれなりにやんちゃもしたようだが見事な人生を全うしたのではないだろうか。
この本が文庫化されて10年以上経つ。時々立ち寄る地元の本屋の音楽コーナーにいまだに平積みされていて、やっと手にした次第。村上春樹の小説は広告に釣られて何冊か買ったことがあるが、完読した例はない。この本は違った。無類に面白い。ベッドの中、電車の中、ところ構わず読み耽った。
小澤と村上の接点は小澤の子女と村上夫人。時間も忘れていつまでも語り続けるふたりをみて、小澤の子女が記録を提案、両者がのって対談となった。小沢が大病を得て、養生中で時間に余裕があったことも幸いした。対談は時と場所を変えて何度か行われた。スイスで行われる国際的な教室を見学しての対談もあった。実に生々しい。
対談の成功は、加えて、村上の該博な知識に基づくおそれを知らない執拗な切り込みと、必死に応える小澤の誠実さに負う。おかげで僕らは小澤の実体験を通してクラシックの世界の内奥を知るところとなる。とくに小澤がアシスタントを務めたカラヤンとレニー(レナード・バーンスタイン)の立ち位置と音楽性について。
作曲家ではマーラー。自由な解釈が許される古典派と違い、指示が詳細にわたるマーラーのスコア。首席一人では息継ぎができないフルートのパート、首席の息継ぎの間セカンドがつなぐ指示を無視してフルートの音が途切れるボストン響のマーラー。村上が所有のCDとDVDで確認する。村上のコレクションは膨大で、小澤の会話に出てくる演奏を立ちどころにLPやCD、DVDで再現、確認する。唖然とする小澤。村上は高校生の頃からクラシックを聴いていただけのことはあり、録音物の知識は時として小澤を上回る。小澤の興味はむしろ過去より未来に向けられる。新しいレパートリーの開拓、次々に登場する新人演奏家への対応など。愛好家と演奏家の立ち位置の違い。すれ違いをみせるところもあるが、それもまた興味の一つ。
文庫本化にあたって2013年のジャズ・ピアニスト大西順子との共演をレポートした村上のエッセイが追加された。当時マスコミでも話題になった小澤による大西順子引退差し止め事件である。本厚木のジャズクラブでのラストライヴに参加した小澤と村上。大西の引退宣言に小澤が突如立ち上がり異議を申し立てたのだ。結果、小澤は聖地松本のサイトウキネン・フェスティバルで大西のために<ラプソディー・イン・ブルー>を用意、サイトウキネン・オーケストラと大西順子の共演が実現した。実はぼくもこのプラチナ・チケットを手に入れ、泊まりがけで聴きに出かけた。
ぼくが最も感動したエピソードの一つは、家族が帰国し、ひとりアメリカに取り残された小澤は寂しさを紛らわせるために森進一の<港町ブルース>と藤圭子の<夢は夜ひらく>を繰り返し聴いていたという件(くだり)。さすがのジャズ通の村上も返す言葉が見つからず...。ジャズは演歌だというのに。
蛇足になるが、小澤にまつわるあまり知られていない(おそらく本人も知り得ていないだろう)エピソードをひとつ。小澤がボストン響の音楽監督を務めていた時代、ボストン響の事務局が小澤とキース・ジャレットの共演を試み、キースに協奏曲を委託した。ボストン響が期待していた第二の<ラプソディ・イン・ブルー>に反し、キースは即興パートのない古典的な協奏曲を作曲、ボストン響は受け入れを拒んだ。カーネギーホールで録音され、ECMからリリースされた<セレスチャル・ホーク>がそれである。近刊の『キース・ジャレットの真実』で詳細が明かされている。(文中、敬称略)

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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