#127 クリフォード・アレン『Singularity Codex – Matthew Shipp on RogueArt』
Text by Akira Saito 齊藤聡
RogueArt (2023)
マシュー・シップは広く知られたピアニストでありながら、日本では過小評価されているように感じられる。スタイルが単純に極端なものでないことがその理由かもしれない。だが、かれの多くの作品に向き合ってみれば、繰り出される音が極めて知的に制御されており、誰にも似ていないことが実感できるだろう。そのピアノ演奏からは、時間の進行とともになにか視えないものを構築しているイメージが伝わってくる。
本書に登場するウィリアム・パーカー(ベース)もロブ・ブラウン(サックス)も、またジョー・モリス(ギター)も、シップの音について、セシル・テイラーを想起しつつもまったく異なる音だと断言する。その個性は、やはり構造的なものに見出されているようだ。そして、テイラーが強烈にピアノ演奏で大伽藍を作り上げる人だからといって、シップのスケールが小さいということにはなるまい。
ブラウンによれば、シップは何年もかけて「より構造的な要素を提供するように発展してきた」。その変化は、活動初期にデイヴィッド・S・ウェア(サックス)のバンドにおいて大音量のウェアに伍さなければならなかったことが契機かもしれないと示唆している。ここでいう構造とはシンプル化を指向したゆえのものかどうか、そのあたりの著者とブラウンとの会話はなかなか示唆的だ。もちろん演奏に至るまでの意図や背景について、説明がひとつである必然性はない。
共演するミュージシャンたちによる音の捉え方もまた一様ではない。パーカーなどはじつに愉快だ。かれは共演を望むシップからカセットテープを渡されながら(興味深いことに、シップ本人は「ゲイリー・ピーコックがピアノを弾いているような感じ」と話していた)、それをまったく聴くことなく「ヴァイブ」のみで一緒に演ることを決めたという。これがどうやらパーカーの流儀であり、サックスのジェームス・ブランドン・ルイスともかれの「ヴァイブ」で判断し、共演している。
モリスは、テイラー、ブラウン、マット・マネリ(ヴァイオリン)、そしてシップの音楽に対して、「ストーリーテリング」よりも広範な概念として「ナラティヴ」ということばを使っている。それは流れ出るアイデアであり、二度と繰り返さない散文の朗読を続けるようなものだとする。
加えて、シップの独特さは詩という要素のゆえでもあったようだ。ことばとはなにか、言語とはなにか。そうした意識がシップの音楽に影響していたことが、大友有子へのインタビューから浮かび上がってくる。大友のパートナーの詩人スティーヴ・ダラチンスキーは、長いことダウンタウンに住み、ポエトリーリーディングやジャズのレコードのライナーノーツ執筆などを手掛けてきた。すなわち、シップの文化的血液にはロフト・ジャズに加えてビートニクも注入されているということになろうか。
そして、本書がもうひとつ焦点を当てるレーベル・RogueArtは、ロフト・ジャズから流れる水脈でありながら室内楽的なサウンドを指向しており、これがまた独特なスタンスで魅力的なものとしている。巻末にはRogueArtからシップがリリースしたディスクが丁寧に紹介されており、これを参照しながら順次探して聴いてゆく愉しみがある。
関係者たちのナマの感覚を捉え得たこと、それを詳細な記録とともに位置づけてゆくこと。これが現場のアーカイヴィストたるクリフォード・アレンの真骨頂だ。
(文中敬称略)