#2370 『桜井郁雄クインテット/Local Train』
text by Yoshiaki ONNYK Kinno 金野ONNYK吉晃
地底レコード111F ¥2,750(税込)
桜井郁雄 bass
清水絵理子 piano
藤井信雄 drums
福本陽子 alto sax
天野丘 electric guitar, acoustic guitar
1. Turn
2. Wondering disorder
3. Capybara walk
4. 7-B
5. One more
6. 陽光
7. On the rocks
8. 10-B
9. T.T.K.
10. Ivory black
11. Tree flog
12. Bordeaux purple~May
All composed and arranged by Ikuo Sakurai
Recorded by Keiichi Sato @Groove Studio, Matsudo, September 23, 2024
Mixed and Mastered by Yoshiaki Kondo@Gok Sound, Ichinowari
Produced by Ikuo Sakurai
アナログレコードは、石油を加工して薄い円盤状にしたものだ。その盤上に細い溝、すなわちグルーヴを圧接し、そこから別の意味でのグルーヴを再現した。
ちなみに化石燃料は「地底」から採掘、ディグされる。
つまり音楽のグルーヴ感は、地底からやって来る。
地底レコードの「LOCAL TRAIN」、その含意は「各駅停車」。それは大都市間を、できるだけ短時間で結ぼうという発想ではない。生活に密着し、自然と農地と町並みを眺める。いつも乗り合わせる人、馴染みの駅員と挨拶を交わす。思考しながらの移動。
鉄道や駅。それはジャズという様式と相まって慰撫と興奮を醸すだろう。A列車に乗って行くのもいい。
何故相性がいいのか。かつて列車は化石燃料で走行していたから。それだけではない、列車の持続的な振動、走行音。それは線路の上を走る車輪が齎すのだが、あたかも盤上の溝を走る針のようでさえある。どちらもグルーヴとノリを与えてくれる。あるいはスウィングともいえる。そしてこのスウィング、ノリ、グルーヴこそが目的化し、移動そのものよりも好まれる。
「LOCAL TRAIN」が、目的地への最短コースを求めるのではないように、ジャズは何と言う曲をやるかよりも、演奏そのものを楽しむノリ物。
さて、残念ながら「LOCAL TRAIN」は溝ではなく、光で唸らせる(CDだから)。そういや、かつて世界最高の速度と安全を誇る新幹線は、「ひかり」として登場したのだった。
「LOCAL TRAIN」は地底から導かれたが、その発掘場所はこの惑星上の北半球の小さな弧状列島だ。
リーダー櫻井郁雄の技術、感覚、人格が全体を統一しつつ、参加者達を自由にしている。彼は弧状列島のジャズ界では、非常に経験豊富な、いわゆる「ヴァーチュオーソ」「ヴェテラン」「達人」である。それは彼の出すオト自体の深みで感得できるだろう。
アンサンブルという集団を、1人の人体に喩えよう。
その骨格は櫻井のベースである。拍動する心臓は藤井信雄のドラムである。全身を駆け巡る血は天野丘のギター。そして清水絵理子のピアノは瑞々しい内蔵であり、呼吸と声は福本陽子のサックスに託される。
この生物は、ある瞬間完全である。しかし次の瞬間、それは消え往く。そして次の瞬間で復元する。あるいは「再生」する度に、再生する。
この発生と消滅、同化と異化、動的平衡。そのエネルギー源はどこからやってくるのか。それはアンサンブルを成す各演奏者の親和性に由来するだろう。
ジャズの価値は何か。即興という一連の逸脱行為、非直接的な意味、つまり抽象化された音響を、作品として記憶出来る驚異である。
演奏は、音楽は、コトバに依存しないアート、文化である。
追求すべきは、商品ではなくして文化である。
CDやレコードといった物質的媒体は文化財である。それはダウンロードするデータではなく、そのサウンドとともにヴィジュアル、手触り、匂いを吟味するべき考古学、そして考現学の資料なのだ。
コトバは意味の変容が起きる。演奏は直接的に認識される。
ニンゲンの文化財を保存し、顕彰し、検証すること、それは内的深淵、地底への飛翔(エラン)である。
まずジャズを通じて、我々は可能な限り生命力を抽出しなければならない。
