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CD/DVD DisksR.I.P. トリスタン・ホンジンガーNo. 316

#2339『Tristan Honsinger / this, that and the other~sketches of probability』

text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野吉晃

Pierot Lunaire Prod., AI, ReR MEGACORP, AIAI 009, 1997, Italy

“this, that and the other”
Katle Duck dance, voice
Rick Parets actor, voice
Peggy Larson voice
Sean Bergin as, fl, voice
Tobias Dellus ts, voice
Augusto Forti cl, voice
Tristan Honsinger cello, voice
Joe Williamson bs
Alan ‘Gumga’ Purves per, voice

1 Fly And See 1:42
2 Television 16:40
3 Waltz, Fantasies And Traffic  5:35
4 Museum 4:18
5 Wind  2:09
6 Ethicologic 19:37

Composition and text by Tristan Honsinger, except wind part.
Live recording at “Festival Internazionale di Musica”, Bologna, May, 1996.


寄稿「トリスタン・ホンジンガーへの二度目の追悼〜私は貴方を誤解していた」

既に本誌JazzTokyo#305にトリスタン・ホンジンガーへの追悼文を寄稿し、このユニークな演奏家と過ごしたひとときを思い出として片付けた気分でいた。しかし、彼はそれを許さなかった。
最近、ダンシャリだ終活だと探し物と整理に追われている。そして彼からもらったCDが出て来た。『this, that and the other ~sketches of probability』である。
“this, that and the other”はアンサンブルの名前なのだろう。一度しか聴いていなかったと思う。
私にとってホンジンガーは、優れたチェロの即興演奏家という認識だったが、このアルバムは、あたかもオペレッタの如き印象で、彼の本質的なものでないように思ったのである。
何か促される気持ちがあり、改めて聞き直してみた。
そして、むしろこの演奏が彼の本質ではないか、これこそ根底にあったもので、彼は自己に辿り着いたのではないかと確信した。
つまり私は彼の一面しか見ていなかったのだ。
彼は演奏家以上に、座長たらんとしたのではないか。それがボローニャのライブステージで上演された、50分のオペレッタ〜演劇になったと考える。
このライブに先立ち、1996年のベルリンでは彼を含む4人の弦楽器奏者とドラムのクィンテットで『Map of Moods』をFMPからリリースしている。これは一種のシアターピースとして作曲されたと彼は話す。
“sketches of probability”〜蓋然性の素描、はホンジンガーが全てのテクストとスコアを書いた。
5トラック目は管楽器三名の即興のため除外するとある。が、あくまで全体はホンジンガーの意志で統一されているとみて間違いない。
素晴しい楽曲が並ぶ。破綻は無い。野外の舞踏から街灯の大道芸からサロンの室内楽まで。細かい効果音の配置。素早い変化と声、言葉の絡み合い。これでステージの上ではかなりの素早いアクションが想像できる。

西欧音楽世界においては、作曲家として認められる為に、いつかは交響曲かオペラを書く事を要求される。しかし書く事は出来ても現実のものとするのは別の話である。世の中には演奏されないままの交響曲がどれだけ存在する事か。オペラはもっと大変だ。オーケストラだけでは出来ないし、そのリハーサルだってどれだけ経費がかかるのか。上演して採算が取れるのか?でも小編成でのオペレッタならばどうだろう。仲間さえいれば可能ではないか。

もうひとつの動機としては、大衆音楽の原点に立ち戻ること。そのラディカリズムは、下座音楽、つまり演劇の伴奏にある。あたかも背景やコロス(ギリシャ劇ではナレーションの役割)やシーンの気分、あるいは転換に、小編成アンサンブルがその全てを音楽によってなし得てしまう事。
これがまんまと成功したとき、演奏者達は観客の視界から消える。しかしその見えない存在に意識を支配されるのだ。

ホンジンガーの即興を最初にきいたのは、デレク・ベイリーとのデュオであった。その饒舌な演奏。声をあげながら、それによってさらに自らを鼓舞しているかのように速度と密度を上げて行く様に驚いた。
ソロの演奏を見てはいないが僅かのステージ写真、その表情のアップなどは、演劇性の強いパフォーマンスと写った。彼のソロはもしかしたら大道芸的な一人芝居ではないかとさえ。
しかし、共演した際に彼はソロをとることを希望しなかった。最初から最後まで全員でやろうと主張した。その場においては、決して傍若無人でもなく、未熟な共演者を指示したり、無理矢理リードするような風もなく、我々も互いを十分に意識して、長い演奏が出来た。語らずして教える、そんな印象だった。

改めてこのCD『sketches of probability』を聴いた印象を記せば、近い所ではICP10tetのステージだろう。
十人の癖の強いミュージシャンが、それぞれの個性のままに「芝居」を繰り広げた。今でもそのライブを見た記憶は鮮明だ。いつも怒っているハン・ベニンク、悠然たるペーター・ブレッツマン、我関せずのケシャバン・マスラク、いきなり笑いをとるラリー・フィシュキンなどなど。そして座長たるミシャ・メンゲルベルクは、指示を出しても見ていない奴、言う事を聴かない奴に呆れて、鍵盤に落ちたタバコの灰をはたき落としながら弾いている。これもまた芸。
ICP10tetは緊張やらアグレッシヴさを売りにしたフリージャズ、フリーインプロの世界に滑稽な雰囲気を齎した貴重なバンドだった。
同様の転回点は英国マイナーレーベルの雄BEADを運営したスティーヴ・ベレスフォードらのAlterationsもあったし、ロル・コックスヒル、マックス・イーストリーらが参加したThe promenadersも海岸のステージでのライブを残している(007のテーマからチベット仏教の真似まで)。我が邦では生活向上委員会大管弦楽団などにもその要素はあった。
私はふと思い出した。フランク・ザッパが率いた60年代のバンド、Mothers of invention (MOI)のことを。彼はその思春期に、R&Bを栄養にし、エドガー・ヴァレーズにショックを受け、オーケストラとロックバンドによるオラトリオを計画していた。それは彼のキャリアの最初に生まれ、その死の直前に完成したとも言える。
MOI初期のライブステージではオーケストラ全員が、埃をかぶった姿で演奏し、MOIメンバーは実に多様な馬鹿げた仮装(尼僧だったり電気掃除機だったり)をして芝居を繰り広げる。映画となった『200 MOTELS』では、オーケストラが配置されたセット内の世界で、リンゴ・スターがザッパを演じ、MOI連中は失踪したザッパを探す。ザッパ自身は盗聴者として常に裏でこそこそしている。アニメ―ションも挿入された奇妙な映画である。

娯楽音楽としてのジャズはその芸を磨き上げ、より高度な演奏技術をもつ卓越したアンサンブルになる一方、コミックバンドなどにも連なり、それらは完全なる商品音楽になっていった。
それに反抗したフリージャズ、フリーインプロが発展変容し、ダンス音楽ではなく、芝居と日常的笑いを取り戻すのは、彼らの真剣な態度から来ている。いずれコミックバンドには高度な演奏技術が必要だ。ハン・ベニンクがかがみこみ、両手に持ったマッチ箱を床に打ちつけるだけで驚くべきソロをやっているのを見た事がある。彼はその瞬間、スパイク・ジョーンズ以上のボードビリアンでもあった。
反抗者でありコメディアンであることにはなんら矛盾は無い。ロシアのスコモローヒ、アメリカのレニー・ブルースを見よ。

さて、ホンジンガーはICP日本ツアーには参加していなかったが、オリジナル10tetでは活躍している。
彼もまた自前の一座を9人で結成した。6人の演奏家が居るけれど、3人は演技、ダンスとクレジットされ、8人までが声、語り、歌で参加している。
演奏中心のアンサンブルや他人のバンドで小劇上演は難しい。自分が座長になり、個性ある俳優を集め、即興的に演出する。彼はそれを可能にする人材を集めた。

ホンジンガーの小劇団“this, that and the other”で目立つのは、アルトサックス、フルート、声を担当するショーン・バージンである。南アフリカ出身で、欧州で活躍した彼も故人となってしまったが、70〜80年代の即興演奏シーンにはちょくちょく顔を見せていた。このアルバムでの彼は、まるでスティーヴ・レイシーを思いださせるようなテクニックと軽さがある。
確かにこの一座は「演じて」いるのだがその背景に、様々なる大衆音楽、思わず踊りだしたくなるようなノリを聴かせてくれる。10tetがそうであったように。ある瞬間は純粋に器楽即興、フリーインプロの妙味が聴かれる。つまり彼らにとって、非イディオマティック即興も既に一つの思い出なのだ。

さて、ちょっとアルバム全体の構成を見なおそう。
全体は6部に分かれている。
中でも長いのは16分を越える「テレヴィジョン」という10パートからなる演目である。そのタイトルを見ると「天気予報」「ニュース」「カレンと料理しましょう」「ザッピング1」「人と犬」「フィルム・ノワール」「ザッピング2」「好奇心の強い牛」「石鹸(ソープオペラ?)」となっていて連続的に演じられる。
どうもこれはテレビ番組を気侭にザッピングしながら眺めている視線のアナロジーにとれる。そう、つまり漫然とテレビの前にいる貴方の意識だ(いまならパソコンの前に、スマホを手にということになろうか)。
そのテクストの一部はインサートされたシートに、上演中のステージ写真とともに掲載されている。。
アメリカに生まれ、兵役拒否でカナダに逃れ、欧州で生活し、没した彼の英語テクストはシンプルだ。

「天気予報」では『この週末、東から寒冷前線がやってくるけれどどうしようもない。我々は霧の中だ。しかしがっかりしないでいい。前線がアフリカからの風に出会わなければ、午後には太陽が顔を出すだろう。貴方は、それが予想できないことだと分かるはず』とある。
その他幾つかのテクストがある。比喩的で彼の人生哲学を詩のように伝える。
もうひとつ長いのは最後の曲、20分に近い「倫理学」。これもテクストが記されている。難しい英語ではないにせよ、私の力では含意する所を訳出できない。

聞き直す度に発見がある。そしてこのステージを記録した映像があれば、是非見たいという欲望は募る。
それを見たら私は三度目の追悼文を書くだろう。

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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