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CD/DVD DisksNo. 318

#2347 『喜多直毅クアルテット /III』
『 Naoki Kita Quartet /III』

text by Ring Okazaki 岡崎凛

2024年9月18日リリース
レーベル:Le Bleu Moriokais

Naoki Kita Quartet:
作曲&ヴァイオリン: 喜多直毅 / Composition and Violin : Naoki Kita
バンドネオン: 北村 聡 / Bandoneon : Satoshi Kitamura
ピアノ: 三枝 伸太郎 / Piano : Shintaro Mieda
コントラバス: 田辺 和弘 / Contrabass : Kazuhiro Tanabe

Produced by Naoki Kita
All Music composed by Naoki Kita
Recording: Yoshiyuki Iimura
Mixing: Yoshiyuki Iimura
Mastering: Yoshiyuki Iimura
Recorded at: ORPHEUS RECORDS
Piano Tuner: Hideo Tsuji
Photo by Atsushi Yamaguchi and Naoki Kita
Design: yamashin(g)
Assistant: Etsuko Yamamoto
Special Thanks to Yumiko Iwanami, Matsumoto Strings

Liner notes by Kayo Fushiya (伏谷佳代)

1.泥の川 River of Mud
2.警笛のテーマ Theme of the Train Whistle
3.さすらい人 Wanderer
4.街角の女たち The Pom-Pom Girls
5.孤独 Loneliness
6.疾走歌 Speeding Song
7.海に向かいて Facing The Sea


<初めに>
2024年9月3日に開催された喜多直毅クアルテット大阪公演の会場(日本基督教団島之内教会)で、彼らの新譜『III』を購入した。ここに書くべきことはこのCDに関することであり、当日のライヴについてではないのだが、彼らのライヴを体験してしまった以上、その記憶を封印して新譜を語ることはできそうにない。本作を語りながらも、コンサート会場での4人の毅然とした姿、漂う重厚感、一気呵成に駆け上がる激しさなどを、どうしても思い出してしまう。そうしたライヴでのエッセンスとでも言うべきものが、当然ながらこのアルバムにも封入されている。なので、9月3日のライヴ体験についても、ここで触れたい。これが『III』の魅力を知る手がかりになればと願っている。

<ヴァイオリニスト、喜多直毅を知るきっかけは「Salle Gaveau」から>
タンゴを長く聴いているわけではない自分だが、喜多直毅の名前は少し前から知っていた。鬼怒無月(g)を中心に結成されたグループ「Salle Gaveau(サルガヴォ)」のアルバムを買って聴いたのが2007年頃だった。ヴァイオリニストの喜多直毅を聴いたのも、タンゴに関心を持ったのもそれが初めてだった。サルガヴォに関する説明はネット上のあちこちに載っているので、関心がある方は調べてほしい。自分の聴く音楽の幅を大きく広げてくれたバンドであり、元メンバーの5人全員が日本の音楽界の最前線で活躍中である。彼らのアルバムは3枚買ったものの、バンド活動時期に関西で聴く機会が1度しかなかった。それから10年ぐらい経ってやっと喜多直毅の関西公演を聴く機会が訪れるようになり、今は後れを取り戻すように彼のクアルテットを聴いている。

<9月初旬、喜多直毅クアルテットのステージに度肝を抜かれ、圧倒され聴き入る>
最初に書いたように、本作は彼らの公演会場で購入した。そこでの体験は最後にまとめたが、かなり衝撃的だった。4人の奏者の姿と演奏は心に刻まれて、ステージ風景がまるごと残像のように蘇る。
喜多直毅がヴァイオリンを弾く姿を見ると「渾身」という言葉が浮かんでくる。それは決して間違ってはいないのだが、体躯の隅々まで使いヴァイオリンの音を操る喜多のパフォーマンスを、「渾身」という言葉で表現すると、何か肝心なもの、崇高なものが抜ける気がする。振り絞るのは「身」とか体力とかではないし、振り絞るというより溢れ出る感じなのだ。非日常的でありながら、どこか自然体であり、周到に準備された楽譜を前にしながら、ヴァイオリンは名優の独白のように奏でられていく。演奏中の彼は、何かとてつもない存在と激しく闘っているようであり、目に見えない燃え殻があちこちに累積するような勢いである。

「渾身」や「全身全霊」という言葉は、クアルテット全体を語るにも便利そうではあるが、やはりそういう表現には違和感がある。重々しさと全力疾走がシンクロするときの喜多クアルテットの迫力は並大抵ではなく、その魅力はぜひ伝えたいのだが、その前に、このクアルテットの根底にあるやや屈折した内面性とユーモアを指摘しておきたい。彼らはダークな世界へ転げ落ちる手前のスリルを嬉々として受け止めているようだ。4人それぞれが、徹底して真面目な音楽家である一方で、闇に紛れ込む猥雑なヒューマン・ドラマの理解者でもあるのだろう。平凡なアイロニーを笑って踏んづけて進むようなタフさを感じる。コンサートでもレコーディングでも、その姿勢は変わらない。


<『III』とともに空想を旅する時間>
喜多直毅クアルテットの公演はいわゆる「レコ発」ライヴであり、ここで収録曲のうち3つを聴いた。といっても、その記憶の端々はCDを聴いてから上書きされて、今は混然として脳内にあるが、クアルテットの音楽はますます支配的になり、膨張して、なぜか聴いたことのないオーケストラの音まで混じり始めた。本作『III』を聴いて以来、さらに妄想の嵐は暴れ続けている。4人の音楽家の語り部としての素晴らしさに心打たれて、駄文をしたためては消すというのも、このクアルテットの楽しみ方なのかも知れない。つい個人的なことを長々と書いてしまうが、おそらく本作を聴いた誰もが、それぞれの物語を語りたくなるのではないだろうか。
例えば4曲目〈街角の女たち〉を聴いて 、浮かんでは消える空想の端々は、見知らぬ街の広場で突如始まるオペラ、遠い過去に見たモノクロ映画の俳優たちの表情。こうして脈略のないエピソードがオンパレードとなるのは、器楽奏者でないリスナーの特権かもしれない。

<楽曲のタイトルの重要性>
喜多直毅クアルテットの楽曲では、タイトルの意味がかなり分りやすい。タイトルは単に想像力の踏み台として当てがわれるだけではなく、しっかりとその演奏内容を背負い込むようだ。、タイトルの言葉からストーリーが生まれ、ときには4人一体となって曲を組み上げていく。本作の場合は、それぞれのタイトルをしっかり確認して聴くことを推奨したい。

以下は自分の想像と印象を曲順に書いたものであり、曲解説ではない。実際の演奏内容の濃さに比べれば、単なるメモ書きに過ぎないが、架空の映画のシーンを思い浮かべたり、こぼれ出した言葉を書き留めるという音楽の楽しみ方の一例として書いておく。
/黒々とした川を渡る。粘っこい水に足を取られそうになる。
/汽車の巨体が目の前でゆっくりと始動し、煙を吐いてレールを滑り出し、彼方で警笛を上げた。
/あてもなく歩む。何もない平原を進む。
/派手ないで立ちの女たちが佇む町と喧噪。寂れたダンスホールにたどり着くと、そこにはきらびやかなステージが。
/夢は終わり、萎みゆくものの傍らで眠る。
/走る。急カーブの遠心力に逆らいながら走り、ひたすら直進。
/安らかに。穏やかに。バンドネオンの柔らかな響きのまわりで踊るピアノ、歌うコントラバス。一条の光のようにヴァイオリンが軌跡を描く。


<参考1>
喜多直毅のプロフィール:
https://www.naoki-kita.com/about-me

喜多直毅クアルテットとメンバー4人のプロフィールの載る喜多直毅のnote投稿:
https://note.com/vln_nkita/n/n49498023d726

本作『III』のライナーノーツを担当した伏谷佳代氏によるJazzTokyoでの関連記事。鋭い言葉が次々と喜多直毅クアルテットの深部に到達する語り口が小気味よい。
https://jazztokyo.org/reviews/live-report/post-11096/
(#932 喜多直毅クアルテット 無言歌… 2016年12月29日)
https://jazztokyo.org/reviews/live-report/post-16784/
(#960 喜多直毅クアルテット”Winter In A Vision 2”リリース記念コンサート 2017年7月1日)
https://jazztokyo.org/reviews/live-report/post-74429/
(#1196 「喜多直毅クァルテット/沈黙と咆哮の音楽ドラマ」2022年3月5日)

<参考2>
CDのネットショップに記されている紹介・解説文は、喜多直毅クアルテットと本作の特徴を端的に記すものだと思う。(以下引用)
出口無き風景に流れるララバイ、眠りを妨げるノイズ、夜の鉄路に響く跫音…、都市の葛藤を集積した音楽。
2011年より音楽活動を開始した喜多直毅クアルテットは、メンバーの全員が日本のタンゴシーンの最前線で活躍する他、クラシックやジャズ、即興演奏等の現場においてもその才能を遺憾なく発揮しユニークな存在として光を放つ。この八面六臂ともいうべき個々の活動が、喜多直毅クアルテットの音楽を独特なものたらしめている。本アルバムはこのクアルテットの三作品目となるが、前二作品(『Winter in a Vision 幻の冬』、『Winter in a Vision II』)が日本の東北地方の冬を描いたものだったのに対して、心の澱、あてのない怒り、孤独など、都市に暮らす人々の内面を描写の対象としている。またマンボのリズムで書かれた『街角の女たち』では戦後の焼け跡で逞しく生きる街娼たちの様子がドラマティックに描かれる。全7曲、アルバムを通して弦楽器のノイズ奏法が多用され、楽曲の持つ暗い感情をより一層強調している。
発売・販売元 提供資料 (2024/08/13)


エピローグ(ライヴ体験記):
<喜多直毅クアルテット大阪公演の概況>
喜多直毅クアルテットの大阪公演は島之内教会で予定されていたが、近畿圏に台風が近づき開催が危ぶまれたが、日程変更し2024年9月3日夕方に無事始まった。

喜多のクアルテットが奏でる音は、まるで架空の舞踏会を創り出すようであり、目に見えぬダンサーの群舞を眺めるようなひと時があった。限りなく無音に近い弦の響きが、微かな一筋の線を描く。不思議なもので、そうした静けさの中では、これから起きる曲の展開を予想することなく、懸命に今聴こえる音だけを追っていた。やがてその対極にあるようなピアノの低音が激しい音を轟かせる。ヴァイオリニストが身を捩るようにして嗚咽するような音を立て、バンドネオンには声を荒げる役者の素振りが宿る。冷静な傍観者のように見えたコントラバス奏者も、弓を持ち饒舌に語り始める。悲しみ、悔しさ、怒りを全力でぶつけ合うようなやりとりには、過剰なぐらい人間味があった。

演奏中の撮影は禁止だった。曲が終わると演奏後の譜面が激しい勢いで背後に投げ飛ばされ、無残に床に散らばっていった。

彼らの1時間休憩なしのステージに、当然ながら割れんばかりの拍手が沸き起こった。そこで予想通りに喜多直毅が「アンコールはありません」とさらりと告げる。大阪の観客たちは「ええっ」と応え、名残惜しそうだった。正直に言うなら、自分も同じ気持ちだったが、喜多をはじめ4人の演奏者は全力を尽くして演奏を終えたところだ。そしてこのクアルテットの演目にアンコールは蛇足である。無駄な付け足しは許されない。
厳格な姿勢を貫くところも、喜多直毅クアルテットらしかった。

(文中、ミュージシャンの敬称は省略させて頂きました)

岡崎凛

岡崎凛 Ring Okazaki 2000年頃から自分のブログなどに音楽記事を書く。その後スロヴァキアの音楽ファンとの交流をきっかけに中欧ジャズやフォークへの関心を強め、2014年にDU BOOKS「中央ヨーロッパ 現在進行形ミュージックシーン・ディスクガイド」でスロヴァキア、ハンガリー、チェコのアルバムを紹介。現在は関西の無料月刊ジャズ情報誌WAY OUT WESTで新譜を紹介中(月に2枚程度)。ピアノトリオ、フリージャズ、ブルースその他、あらゆる良盤に出会うのが楽しみです。

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