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CD/DVD DisksNo. 321

#2362『如意ン棒 /ぜんぶ、流れ星のせい』

text by Yoshiaki ONNYK kinno 金野ONNYK吉晃
photo by Kenny Inaoka

Somethin’Cool SCOL1077 ¥3,000(税込)

纐纈之雅代 (Saxophone)
潮田雄一 (Guitar)
落合康介 (Bass,馬頭琴)
宮坂遼太郎 (Percussion)

01.St. Louis Blues (W.C.Handy)
02.如意ン棒 OUT (纐纈之雅代)
03.あやめ (纐纈之雅代)
04.Lonely Woman (Ornette Coleman)
05.煩悩という名の扉  (纐纈之雅代)
06.ひかりのぼくら (纐纈之雅代)
07.へび使いごっこ (纐纈之雅代 潮田雄一 落合康介 宮坂遼太郎)
08.如意ン棒 IN (纐纈之雅代)
09.月と海 (纐纈之雅代)
10.Beatnik (纐纈之雅代 潮田雄一 落合康介 宮坂遼太郎)

Recorded at King Sekiguchidai Studios, November 07, 2024
Recording & mixing engineer: Yuuichi Takahashi
Mastered at King Sekiguchidai Studios, November 08, 2024
Mastering engineer: Shinji Yoshikoshi
Director: Ryoko Sakamoto
Produced by Kenny Inaoka

「如意、是<フリー>の意也」

もしかしたら、これはフリージャズなのか?
私は何を以てフリージャズか否かを問うのか。その語の由来はどうあれ、私はこだわってきた。
真のフリージャズがあった。そして見せかけのフリージャズも。
いや、見せかけというと語弊がある。二次的なフリージャズと言おう。それはフリージャズのイディオムとサウンドを、技法の一つとして取り込んでしまったジャズだ。
真の、というのは60年代前半に、闘争的意識の高まりの中で、アフロアメリカンの生み出した一派の音楽である。
オーネットが、テイラーが扉をこじ開け、アイラーが突入した。トレーン、ファロア、シェップ、ライト、ハワード、ローガン、リヴァースらが続いた。彼らは吠えた。
グリーンが、ブレイがいた。マレイが、グレイヴスが、シリルがいた。ゴメスが、ピーコックが、グライムスが、ヘイデンが、シルヴァが支えた。そして、シャーロック、ディクソン、チェリー、サン・ラがいた。
彼らのエナジーはどこから生まれたのか。その理由は。
都市文化が洗練させたジャズは、歌とダンスの伴奏から、純粋に聴取すべき器楽に達した。演奏技巧はビバップで極みに達したが、レコード業界、ダンスホールが要求するものとは乖離の兆しがあった。
気軽に踊れて口ずさめる歌と、目眩するようなフレーズの即興演奏は同居できない。演奏家はさらなる技巧追求と即興の情熱を求めた。それは当時の業界では敬遠された。
ジャズは西欧音楽400年の精華を数十年のうちに自家薬籠中のものとし、調性自在の音楽として、また複調、無調への傾向がフリージャズを準備した。
この理論的な要求と、人種差別への抵抗が融合して行く。

ミュージシャンはアメリカ社会の根底に差別を感じた。故、仕事を求めて欧州へ渡った。そこでは歓迎された。が、やはり幻影だった。
もはやフリーなジャズではなく、フリー・フロム・ジャズがテーゼとなった。それは、徒に叫ぶこと、叫び続ける事ではない。
アートアンサンブルオブシカゴが登場し、「グレート・ブラック・ミュージック」を主張した。システマティックな、そして闊達な構成。多様式、多楽器主義。
そしてブラクストンが現れた。彼のソロはアイラー以来の衝撃だった。
英欧人によるフリージャズへの呼応が始まった。彼らはフリーミュージックを標榜した。すなわちフリー・フロム・ミュージック。これについては措こう。
そして日本でもジャズの変容は、受容され発展した。富樫雅彦カルテットの『ウィ・ナウ・クリエイト』が、1969年の「スウィングジャーナル」誌主催第三回ジャズ・ディスク大賞、日本ジャズ賞を受賞した事に象徴されると言っても良いだろう。

さて、『如意ン棒』である。これには、先月レビューした「エレクトリック・シナプス」と似た匂いを感じる。
このアルバムのリーダー纐纈之雅代、そして「エレクトリック・シナプス」の加藤崇之は、メンバーを脳裏に浮かべただけで生ずるべきアンサンブルが聴こえていただろう。
『如意ン棒』は一切のリハーサルなしで、というキャッチコピーは割り引いても(トラック3、9はテーマ、コード進行があるし、トラック毎のスタイルは区別できる)、最小限の言葉を交わし、スタジオ・ライブは始まる。まあ、手練れのミュージシャンなら、この程度はリハ無しとみなすのか。

スタジオライブ、聴衆が不在(乃至スタッフ以外最小限)という効果は何だろうか。それは嘗て、ジャズ草創期、スピークイージーの奥で始まったジャムセッションがそうだった。その記録は殆ど残らない。
そしてフリージャズの勃興期に若手の、無名のプレイヤーが、野犬達のように集った。試行錯誤、百家争鳴。その記録は今に残る。
いま、土の付いた、血のしたたる、生臭い、野生のジャズは既になく、お上品で、勉強した、学校出身の、賢い、テクニカルで。美麗な、お洒落なジャズが、ファッションのように纏われる。
ジャズは生き方だ。が、ジャズは商品だ。演奏は商行為だ。売れなければやっていけない。喰わずに革新も糞もないのだ。生き延びてこそジャズではないか。

テクニック至上ではなく、いやテクニックを超えて吹ききる、咆哮する、纐纈之サックスは情念。
サウンドが命、サウンドが魂。如意棒は(   )を突き破り、果たして「究境頂」となる。
共演者達もまた如来を目指す菩薩である。リハなし一本勝負を仮構であれ標榜する。南無三。
やはりこれはフリージャズだ。
言おう。フリージャズの必然性は今の日本にこそある。
追い込まれるジャズに安寧の地はない。原発の電気使って、IT産業の半導体に支えられ、ネット社会で環境問題だ、民主主義だと騒いで、どんな画像も自在。フェイクとファクトのせめぎ合い。フリーってなんだ? 如意の意味ではないのか?
これが我々の現状なんだから、そこで居直って叫ぶしかないじゃないか。
フリーってのは、己を成立たせ、己を絡めとっている仕組みを気づかせ、告発する。そういうもんじゃないか。あ〜我ながら臭いなあ、青いなあ。

邪ズを快楽にし、フリー麝ズを欲望しよう。
さあクンダリニを覚醒させよう蛇(じゃ)ないか。

 

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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