#2389 『Dino Saluzzi / El Viejo Caminante』
『ディノ・サルーシ/エル・ビエホ・カミナンテ(老いた放浪者)』
text by Tomoyuki Kubo 久保智之
ECM Records ECM 2802
- La Ciudad De Los Aires Buenos (José María Saluzzi)
- Northern Sun (Karin Krog)
- Quiet March (Jacob Young)
- Buenos Aires 1950 (Dino Saluzzi)
- Mi Hijo Y Yo (Dino Saluzzi, José María Saluzzi)
- Tiempos De Ausencias (Dino Saluzzi)
- Someday My Prince Will Come (Frank Churchill, Larry Morey)
- Y Amo A Su Hermano (Dino Saluzzi)
- El Viejo Caminante (Dino Saluzzi)
- Dino Is Here (Jacob Young)
- Old House (Jacob Young)
- My One And Only Love (Guy Wood, Robert Mellin)
Dino Saluzzi – Bandoneon
Jacob Young – Acoustic Steel-String Guitar, Electric Guitar
José María Saluzzi – Classical Guitar
Recorded April 2023, Saluzzi Music Studio, Buenos Aires
アルゼンチンのバンドネオン奏者ディノ・サルーシの新作。前作『Albores(夜明け)』以来5年ぶりの作品となる。タンゴだけでなく、ジャズやアルゼンチンの民族音楽など多岐にわたるジャンルで活動してきたディノは、ECMレーベルから数多くのアルバムを発表し、故郷の風景や家族の記憶をテーマにした音楽で知られている。
ディノは1935年生まれで、2025年5月20日に90歳の誕生日を迎えたが、本作には、長年のキャリアに裏打ちされた深い音楽性とともに、年齢をまったく感じさせないほどの高い熱量と強い情熱があふれている。
このアルバムでは、ディノの優しく語りかけるようなバンドネオンの演奏を、2本のギターが包み込むように仕上げられている。
共演者のひとりは、ディノの息子であるホセ・マリア・サルーシで、ナイロン弦のアコースティック・ギターを担当している。もうひとりは、ノルウェー出身のジャズ・ギタリスト、ヤコブ・ヤング。彼はテレキャスターのエレクトリック・ギターとスティール弦のアコースティック・ギターを使い分けて演奏している。
3人のコラボレーションが生み出すサウンドはひときわ美しく、心地よい時間が静かに流れていく。
アルバムには、タンゴやアルゼンチンの民族音楽、ジャズなど、さまざまな時代や国の音楽が収められており、ディノの音楽性の幅広さがうかがえる。
本作では自身の過去の作品も再演されており、M6〈Tiempos De Ausencias〉は1986年リリースのアルバム『Volver』から、M8〈Y Amo A Su Hermano〉は1989年リリースのアルバム『Pas de Trois』からの楽曲である。30〜40年の時を経た演奏は、いっそう円熟味を増し、静けさのなかに濃密な熱量を感じさせる新たな魅力をたたえている。
他にも、スタンダード曲に加え、ノルウェーのシンガー、カーリン・クローグ作の「Northern Sun」が収録されている点にも注目したい。この曲は、本作でギターを担当しているヤコブ・ヤングが、カーリン・クローグとの2002年のデュオ作品『Where Flamingos Fly』で共演した楽曲である。今回、ディノ・サルーシの世界観の中で新たな解釈が施され、あらためてその魅力が引き出された演奏となっている。
本作では、音の定位にも繊細な工夫が施されていると感じた。基本的に、ディノのバンドネオンはセンターのやや左寄り、ホセのギターは左側、ヤコブのギターは右側に配置されており、各パートの個性が際立つ定位になっている。
クレジットには明記されていないが、曲ごとにソロやデュオの編成も取られているようで、定位の変更なども相まって、演奏のバリエーションが感じられるのも魅力のひとつだと感じた。
たとえば、M5〈Mi Hijo Y Yo〉やM7〈Someday My Prince Will Come〉は、ディノとホセによるデュオとみられ、その際にはホセのギターの定位が左側から右側へと移動し、まるで左右でふたりが対話しているかのような空間が生まれている。
編成のバリエーションとしては、M12〈My One And Only Love〉ではディノとヤコブ(エレクトリック・ギター)によるデュオ、M9〈El Viejo Caminante〉ではディノのソロ演奏が楽しめる。こうした多彩な編成と定位の工夫によって、さりげなくアルバム全体に豊かな表情と奥行きが与えられている。
本作全体を通して感じられるのは、穏やかでゆったりとした、美しく洗練されたサウンドである。ディノ・サルーシのバンドネオンが奏でるメロディーは、どこまでも優しく、耳に心地よく響く。柔らかな音に包まれながら、静かに満たされるような幸福な時間が流れていく。何度でも繰り返し聴きたくなる、心に残る一枚だ。
ディノ・サルーシ, ヤコブ・ヤング, ホセ・マリア・サルーシ, エル・ビエホ・カミナンテ, 老いた放浪者