#2394『鈴木瑶子トリオ/umi』『Yoko Suzuki Trio / umi』
Text by Mitsuo Nakanishi 中西光雄
Yoko Suzuki Music YSM-0002 / ¥3,000+tax
鈴木瑶子 Yoko Suzuki – Piano, Composer, Producer
小美濃悠太 Yuta Omino – Double Bass
北沢大樹 Hiroki Kitazawa – Drums
1. umi
2. Longing
3. Progress
4. Unsolved Cubes
5. Time Goes By
6. KOMA
7. Tipsy Whimsy
8. Walking Walking Walking
ENGINEERS
松下真也 Shinya Matsushita – Recording / Mixing / Mastering Engineer
時田佳奈 Kana Tokita – Assistant Engineer
フェケテ・アッティラ Fekete Attila – Concert Technician from FAZIOLI
Recorded at TAGO STUDIO TAKASAKI on Aug. 23rd, 2024
VISUAL ARTISTS
宮林妃奈子 Hinako Miyabayashi – Artworks
津島岳央 Takahiro Tsushima – Designer
鈴木瑶子の最新アルバムがオーソドックスなピアノトリオ編成だと聞いて、驚いたファンは多い。彼女のライブ活動を丹念にフォローしていればいるほど、その驚きたるや尋常なものではなかった。私自身も、鈴木瑶子をはじめてきちんと聴いたのは、歌・伊藤君子、ベース・坂井紅介のドラムレストリオだったし、その後、サックス・中林俊也とのデュオ、ベース・坂井紅介とのデュオを聴くこととなった。まだ聴けていないが、トリオのメンバーである、ベース・小美濃悠太、ドラム・北沢大樹ともデュオライブを行い、それぞれに成功をおさめている。
鈴木瑶子は笑顔の人であるが、きわめて挑戦的で、あくなき探求心を隠そうとしない情熱のミュージシャンであることは間違いない。デュオセッションの、のっぴきならない対話性の中で、相手の中に飛び込み、自らをさらし、変容させる。だから、音楽的平衡ともいえるピアノトリオでレコーディングすると聞いたとき、私は心底驚いたのだった。最新アルバム『umi』を通じて鈴木瑶子トリオをはじめて聴く人は、その完成度に感嘆するに違いないが、彼女にとっては、ジャズミュージックへの原点回帰ではなく、ピアノトリオのリフォーメーションなのであって、気づかないうちに彼女の創造性の源泉に触れているのである。私たちは、鈴木瑶子の経験してきた音楽的歴史に胸をふるわせているのだ。
L: ©Christ Gao R: 神戸・100 BAN ホール ©まちとしごと・写真部
今回のアルバムに収録された楽曲は、すべて鈴木のオリジナルである。ライブではメンバーの楽曲を必ず演奏する鈴木だが、いくつかの楽曲は彼女のアレンジを経たものであり、アレンジャーとしての才能を透過させて、楽曲をより高いレベルに向かわせる場面に何度も遭遇した。もちろんピアニストとしての技量がともなうからこそ可能となる境地であるが、彼女は自分の持つ技量の上の楽譜を書いてしまうクリエーターであり、その点は彼女の師小曽根真に似ているかもしれない。彼女は自らに限界を設けない。このスピリットが、アルバム収録楽曲のすべてに浸透しているともいえる。
彼女によると、ときどき集中的にメロディが降りてくるのだそうだ。それを必死に楽譜に書き留める。やはりこの人も音楽の神に選ばれているのだとわかるエピソードだろう。だから、彼女の楽曲にはタイトルのない曲が多く、バークリー時代に書いた曲にいまだ曲名がついていないと聞いて笑ってしまったことがある。例えば、ある楽曲には、テーマが前提としてあるわけではない。言葉によるストーリーはなおさらない。楽譜に写し取っていくイメージが、彼女の認識であり論理なのである。揺らぎ続ける感性ではない。構築的な世界観なのである。だから私たちも彼女の提示する世界を胸を開いて受け止めたい。<KOMA>という印象的なハイスピードの楽曲があるが、私たちは「独楽」だけをイメージしなくてもよい。「眩暈」でも<confuse>でも「輪廻」でもよい。ライブで、この曲のタイトルを、外国から来た聴衆に曲のタイトルを英語で説明する鈴木を見たことがある。演奏を聴けばわかる普遍性と説得力を持ちながら、聴けばわかるよねとは言わないところが、彼女のやさしさであり自信なのだ。
だからこそ、私たちはアルバムの構成に注意を払いたい。タイトルチューンの<umi>は、このアルバムの中で最も暗く思索的な楽曲だが、すべての生命の根源たる<umi>への畏敬の念がこめられているように感じた。静かに歌いだすアルコ奏法のベースと闇を押し開いていくようなシンバルレガート、それにピアノが織りなす広大な世界観が開示される。続く美しいバラード<Longing>で、私たちを含めあらゆる生命が肯定される。3曲目<Progress>は自由を得た精神が躍動しはじめるのだ。聴き進めるにしたがって演奏はタイトになり、メンバーが活発に対話を重ねてゆく。だから、このアルバムには音楽のよろこびがあふれている。もちろん好きな楽曲をループするのもよいが、たまにでもアルバム全体を通して聴くと、新しい発見があるに違いない。私はライナーノーツで、このアルバムを『枕草子』に例えてみたが、清少納言がことばオタクで執拗にことばの収集にだったように、鈴木は音楽オタクなのであり、彼女の取集したメロディやリズムのコレクションを総体として受け止めることで、私たちはこの困難な時代に、希望を見出すことができるようになると思う。
小美濃悠太のアルコとピチカートを自在に使い分ける包容力の大きさは、トリオに自由をもたらしている。北沢大樹のコントローラブルなドラミングとシンバルワークは、強力な推進力となってトリオを前に進ませる。鈴木のこの二人に対する信頼とリスペクトは、アルバムにされた演奏から十分に感じ取ることができる。鈴木はライブで、「今の曲でなにが私たちに起きていたか、私たちの顔を見ていたらわかりますよね」と言って聴衆を笑わせることがある。演奏が破綻ぎりぎりのところまで行って、しかし、無事にエンディングを迎えたときに発せられる言葉のようだが、私にはどこに破綻があったのかもわからない。もちろんそういうときに限って完成度は高い。ただ、冷静な小美濃の肩が上下に動いていたり、北沢の顔が紅潮したりしていることで、攻めに攻めたセッションであったことがわかる。休憩時間も終演後も、あのときはああすればよかったね、今度はこうしてみようと話し続ける三人は、それぞれが音楽の虜であり、大きな志をもった音楽家だとわかるはずだ。どうか、鈴木瑶子トリオのライブ・コンサートに足を運んでいただきたい。必ずジャズの未来が見えるはずだから。
中西光雄 なかにしみつお
古典講師(河合塾元専任講師) 、音楽(唱歌・讃美歌)・国学研究。著書『蛍の光と稲垣千頴』、共著『唱歌の社会史』。小曽根真『Reborn』(2003)ライナーノーツ、兵庫県芸術文化センター・オーチャードホール公演(2019)・プログラムノート「小曽根真のあくなき挑戦」など。
note – 中西光雄 midwest
【JazzTokyo 寄稿記事】
特集『ECM: 私の1枚』
中西光雄『Gary Burton Quintet / Whiz Kids』
鈴木瑤子『Keith Jarrett / The Köln Concert』
小美濃悠太『Ketil Bjornstad / The Sea』