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CD/DVD DisksNo. 329

#2398 『翠川敬基&黒田京子/Wishing 〜富樫雅彦に捧ぐ』

text: Kenny Inaoka 稲岡邦彌

inF Record INF01 ¥3,000 2024年5月発売

翠川敬基 (cello)
黒田京子 (piano)
佐藤浩秋 (bass on M8)

1. Valencia
2. Drum Motion
3. Passing
4. Waltz Step
5. Wishing
6. Bura-Bura
7. My Wonderful Life
8. Spiritual Nature
all composed by Masahiko Togashi

Recorded at in F, Tokyo, April 15, 2023
Recorded, mixed & mastered by 藤木利人
Mixing & mastering: ケロケロケロレコーズ
Piano tuner:宮崎剛史
Produced by 佐藤浩秋


今月(2025年8月)のことである。ベースの吉野弘志と韓国伝統打楽器の香村かをりのデュオを聴きに東京・大泉学園のジャズ・クラブ「in F」に出かけた。終演後、オーナーの佐藤浩秋さんから紹介されたCDを見て驚いた。さらに曲目リストを見て鳥肌が立った。富樫のファンなら誰しもがよく知っている富樫の代表曲がずらりと並んでいるではないか。個人的には自ら手がけたアルバムのタイトル曲が3曲。演奏しているのはチェロの翠川敬基とピアノの黒田京子。ふたりとも機会は多いとは言えないが折りに触れ耳にしてきた演奏家たちである。帰路、車中で同封されたブックレットに目を通しアルバム制作の経緯(経緯)を了解した。「in F」創業25周年を期してレーベルを立ち上げ、1作目として制作されたのがこのアルバム。翠川と佐藤は富樫の共演者であり、黒田は「in F」での演奏の機会が多い。何より、佐藤は何度も富樫を「in F」に招請し演奏の機会を与えている。「in F」の25周年記念アルバムに翠川と黒田を招いて「富樫雅彦に捧げる」アルバムを制作することは佐藤の宿願の実現だったのだ。
富樫雅彦は天才的なドラム/パーカッション奏者であると同時にユニークな作曲家でもあった。作曲は独学で、しかも多くを刑務所で服役中に学んだ。富樫の求めに応じて理論書を差し入れたのは盟友のピアニスト、佐藤允彦である。この話はM6:Passingを含むソロ・アルバム『Passing in the Silence』を制作した2泊3日の山中湖畔の合宿中に聞いた。録音に疲れると「ちゃんかあ、ヒーコー!」と奥さんの三枝子さんにフレンチローストのコーヒーを求め、「とーさ(佐藤)がさあ」と語り出す。ギャラをすべてドラッグ(と言っても当時はヒロポン)に注ぎ込み八百屋でキャベツの皮をもらって飢えを凌ぎ、裸電球を下ろして暖をとり、注射器を刺している現場に警官を呼び込み現行犯逮捕を企てた、などなど...。ブックレットで翠川や佐藤が語る蝶の採集の話とともに忘れられない富樫の思い出である。
音楽には誰よりも厳しく立ち向かった富樫だったが根はロマンチストではなかったか。自宅でかかるBGMは<アマポーラ>などのラテン・バラードだったし、収録された曲はどれも美しいメロディを持つ。しかし、翠川と黒田のふたりは富樫のメロディを生かしつつ、さらにその世界を広げ、深く掘り下げる。とくに持てる技量を最大限に駆使して富樫の世界を表情豊かに描き切っていく翠川の演奏は特筆に値する。対応する黒田の豊かな楽想も注目に値する。誰しもが楽しくワルツのステップを踏んでいるおなじみのM4、青天の霹靂のように突然訪れるカタストロフィー、まるで一時期の富樫のキャリアを象徴しているかのようだ。グランプリを獲得したアルバムのタイトル・チューンM8<Spirittual Nature>はストーリー性に富んだ展開で、佐藤浩秋がベースでゲスト参加、ピアノの黒田が引いて翠川とのデュオになるパートも聴きどころのひとつ。このトラックはアルバムの白眉だろう。
作曲家の富樫雅彦に焦点を当てたアルバムとしては盟友・佐藤允彦のソロ・ピアノによる『Masahiko plays Masahiko 佐藤允彦 plays 富樫雅彦』シリーズがあるが、この『Wishing』も座右の1枚としてぜひ手元に置いておきたい。(文中敬称略)

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稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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