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CD/DVD DisksNo. 227

#1386 『渋さ知らズ/渋樹 JUJU』

地底レコード B-70F

渋さ知らズ:
不破大輔 (conductor) 北陽一郎(tp) 石渡岬(tp) 立花秀輝(as) 川口義之(as) 纐纈雅代(as) 片山広明(ts) 登敬三(ts) ヤマナシ・ミズキ(ts) 鬼頭哲(bs) RIO(bs) 高橋保行(tb) 菱沼尚生(tuba) 石渡明廣(g) 斉藤“社長”良一(g) 小林真理子(b) 太田惠資(vln) 山田あずさ(vib) 山口コーイチ(p) 関根真理(per) 磯部潤(ds) 山本直樹(ds) 渡部真一(vo) 玉井夕海(vo)

1ベルリオーズ/幻想交響曲第一楽章「夢-情熱」より
arr. 渋さ知らズ  不破大輔  山口コーイチ
2サティ /ジムノペディ第一番
arr. 渋さ知らズ  不破大輔  山口コーイチ
3ベルリオーズ /幻想交響曲第4楽章「断頭台への行進」より
arr.渋さ知らズ  不破大輔  山口コーイチ
4ベルリオーズ/幻想交響曲より「イデー・フィクス」
arr.渋さ知らズ  不破大輔  山口コーイチ
5ベルリオーズ /幻想交響曲第5楽章「サバトの夜の宴」より「怒りの 日」
arr.渋さ知らズ 不破大輔 山口コーイチ
6ドボルザーク/フィッシャー 「家路」〜 ボブ・シール&ジョージ・デヴィッド・ワイス/What a Wonderful World
arr.渋さ知らズ  不破大輔  鬼頭哲

Recorded at 神奈川県芸術劇場 KAAT 大スタジオ 2016年4月9日、10日
Recorded & mixed by 田中篤史
Mastered by 松下英樹 (Studio 202)
Produced by 不破大輔
Executive producer:吉田光利

 

長いこと聴く機会を逃していた”渋さ知らズ”。何年もご無沙汰していた知人に会うようなワクワク感があった。事前に幻想交響曲を演奏していることを耳に入れてなければ、CD評の執筆は固辞していたかもしれない。それほど長いご無沙汰だった。

ちなみに、幻想交響曲とはどんな曲か。不案内な方のために、まずは原曲を簡単に触れておくことにする。5楽章からなるこの交響曲はフランスの作曲家エクトール・ベルリオーズ(1803~1869)の最高傑作といわれる作品で、今日でも日常茶飯事にプログラムを賑わしている。彼の名高い「イタリアのハロルド」や「ロミオとジュリエット」をはるかにしのぐ人気曲だ。このシンフォニーは<ある芸術家の生涯の物語>という副題をもっており、当時人気女優のスミッソンとの恋愛に失敗したベルリオーズが、失恋の末に毒をあおった1人の主人公を重ね合わせる形に仕立て上げた交響曲がこれ。全体は50分を超える大曲で、中では第2楽章のワルツが親しまれているが、実は幻想的なストーリーそのものが人気高い傑作である。「夢・情熱」、「舞踏会」、「野の風景」、「断頭台への行進」、「ワルプルギスの夜の夢」(ここでは「サバトの夜の宴」)の5楽章からなり、終楽章にはグレゴリア聖歌の「怒りの日」の旋律が用いられており、友人だったリスト(1811~1886)も高く評価し、10歳下だったかのワーグナーも称賛した。

試聴する前にあれこれ脳裏をめぐらした。収録曲には有名な「舞踏会」は入っていない。この交響曲からは第1楽章、そして第4、第5楽章。2曲目になぜかエリック・サティの「ジムノペディ」を、最後にはライヴ(スタジオ)ゆえのアンコール曲として用意したかもしれないドボルザークの「家路」(交響曲第9番ホ短調「新世界より」)があり、これとルイ・アームストロングの十八番「この素晴らしき世界」とでコンビを組む形での締めくくりに。なぜサティを「幻想交響曲」の中に組み込むアイディアをとったのかは、いくら考えても私には分からない。最後の「家路」と「この素晴らしき世界をなぜ組み合わせたかにも最初は首を捻ったが、こちらは一聴してこの2曲が実に相性がよいことにむしろ驚いたくらい。誰のアイディアか分からないが、巧みに異質の2曲を1つのフィーリングに仕立て上げた卓抜なセンスに目をみはった。脱帽ものだ。2曲目のサティの曲や演奏がそぐわないというのでは決してない。「ジムノペディ」のテーマにしても一番最後にほんのひとくさり現れるだけ。これなら「舞踏会」でもよかったのではないかと思ったに過ぎない。不破大輔と山口コーイチのコンビで料理する「舞踏会」なら聴いてみたかったというだけの話。

さて、肝腎の「幻想交響曲」。江戸時代の著名なさる国学者が「歌(音楽)の本質(本道)は心に思ったことを言う以外のどこにもない」と述べた通りのことを、あたかも現代の最も自由な演奏表現を介してアピールするかのようにさえ見える渋さ知らズの、過去に培ってきた<渋さ知らズ>方式とスピリットが、ここでも健在だった。中でも冒頭の第1楽章、交響曲全体の重要なモチーフとなる旋律に日本語の言葉を配し、心理的な痛みをかくし切れぬかのごとく夢見心地で舌を動かす玉井夕海のヴォーカルがまさに幻想を誘い、オブラートに包んだ淡い主題部に続く展開を、チューバの低音に乗りながら高橋保行(tb)や続く石渡明廣(g)がエモーショナルな独白を舞い上がらせるこの「夢ー情熱」。レイジーにしてブルージーな演奏は、もしかすると誕生から200年後の、変わり果てた「幻想交響曲」をイメージしたものだったかもしれない。「ジムノペディ」についての謎はともかく、のっけからフル回転する狂騒のソロ爆発~立花秀揮(as)、石渡明廣(g)、山田あずさ(vib)~には久々に脳髄がほてった。このあと RIOと鬼頭哲がバリトン・サックスのバトルを展開する。それにしてもRIOが渋さ知らズの1員となっていたとは知らなかった。いささかびっくり。

演奏をつぶさに追っていると、余白がいくらあっても足りない。有名な「断頭台への行進」(ソロは北陽一郎tp、太田惠資vln、関根真理perc)、「イデー・フィクス」(ソロは石渡岬tp、川口義之as)、最後の「サバトの夜の宴」(立花秀揮as、山口コーイチp、太田恵資vln)と続くが、ユニゾンを玄妙にアンサンブル化させ、個々の演奏能力を統制を緩めずに引き締めることに意をくだいた不破大輔と山口コーイチのアレンジ能力、及び渋さ知らズという演奏集団組織の優れた方向感覚と演奏能力が存分に発揮されている。「サパトの夜の夢」では、グレゴリア聖歌の「怒りの日」をテーマに、いかにもジャズの集団らしい闊達なソロの応酬と渋さ知らズならではの熱狂性が刺激的な幻想劇の締めくくりとして用意され、かくして「家路」と「ワンダフル・ワールド」での開放を印象づけるスタジオ・ライヴの大団円が実現することになる。ちなみに、ベルリオーズ以後この「怒りの日」の旋律はラフマニノフやハチャトリアンら多くの作曲家の作品に登場する(「家路」と「この素晴らしき世界」のソロは片山広明と登敬三の両テナー)。

昨年末だったか、朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一)が、故セロニアス・モンクの『 Straight No Chaser 』を取り上げていた。大学院総合国際学研究院准教授で、モンクとともにフランク・ザッパや忌野清志郎をこよなく愛するという橋本雄一が東京外語大学の雑誌『ピエリア』に、みずからの生き方の指針としてモンクの名高いこのオリジナル・リフ曲を取り上げ、これに「道はまっすぐ、追随者はいない」という日本語訳をあてたというのだ。氏のセンスに触れて目から鱗が落ちたと同時に、このセンスに着目した鷲田清一氏の慧眼にも心服させられた。氏は、<独り我が道を行くその孤絶の「贅沢」を味わおうとの意気地>と読んだとあったが、このセンスこそ橋本雄一の生き方そのものに違いないと納得した瞬間、渋さ知らズのこの評を書き終えようとする間際にモンクの不滅のリフと橋本雄一のこのまっすぐな生き方が突然、私の脳裏で奇妙にも重なったのだ。恐らく私のどこかで、渋さ知らズ、あるいは不破大輔というミュージシャンの双方に、「道はまっすぐ、追随者はいない」という生き方を感じ取っていたからかもしれない。きっと私の脳髄に刷り込まれていたのだろう。ここでの渋さ知らズのオリジナリティーが、かつて私が初めて出会ったときの彼らのオリジナリティーと果たして同じものであるかどうかは、今の私には分からない。もしかすると、渋さ知らズには、追随者がいない道を振り返ることなく歩んでいって欲しいとの願望が私にはあるのかもしれない。(2017年2月19日記)

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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