#1573『Michael Foster + Ben Bennett / Lives』
Text by Akira Saito 齊藤聡
Anticausal Systems
Michael Foster (sax, objects)
Ben Bennett (ds, perc, membranes)
1. Chicago
2. Houston
2018年9月28日リリース
Artwork By Bill Dunlap
ニューヨークのサックス奏者マイケル・フォスターの活動は幅広い。ジャズやインプロでの何か特定のカテゴリーに置くことができないことが、彼の面白さの周知を遅らせている理由かもしれない。
バンド「While We Still Have Bodies」では、ベン・ガースティン(トロンボーン)、ショーン・アリ(ベース)、フリン・ヴァン・ヘメン(ドラムス)という、個性をいちから音楽の形にしようとする面々と共演しており、開かれた分裂型のサウンドを提示した(同名のアルバムも2016年に吹き込んでいる)。レイラ・ボルドレイユ(チェロ)とのデュオ盤『The Caustic Ballads』では緊張感と生の欲望との相克を創出した。また、多楽器奏者リチャード・カマーマンとのデュオ「The New York Review of Cocksucking」(!)では、敢えて一貫性を欠き、音楽というものがまるで狭隘な制度に過ぎないことを露わにせんとするような立ち入り方を示した。
本作は打楽器のベン・ベネットとのデュオである。サックスとドラムスがエネルギー放出型に傾く楽器ということもあり、一聴してそのサウンドは苛烈なものだ。しかし、ブルースやジャズにおいて抱えるものをサックスとドラムスとのデュオの形で表出した、フランク・ロウとラシッド・アリ(『Duo Exchange』)、ジョン・コルトレーンとラシッド・アリ(『Intertellar Space』)、フレッド・アンダーソンとスティーヴ・マッコール(『Vintage Duets』)などとは決定的に異なる。むしろ、不定形を前提として情念を放出した、富樫雅彦と高木元輝のデュオ(『Isolation』)と近いのかもしれないのだが、やはりコアにあるものは異なっているようだ。なぜなら、フォスターもベネットもマッチョではなく、また、音楽技術をストイックに屹立させようとする音楽家でもないからだ。
ここには30分前後の演奏がふたつ収録されている。その表現は驚くほど多岐に及んでいる。
確かにフォスターは管を荒々しくノイズも込めて鳴らす。しかしそれは、制度的なフリージャズ愛好家が安心して受け容れることを許さない。ときにアンマッチョに振れるのだが、それは何もマッチョへのアンチテーゼとしてではなく、まるで異なるものを平然と同じテーブルに載せたに過ぎない。破裂音のみならず、唇を鳴らす音、息を吐くのではなく吸う音、さらにはその過程で出てしまう咳さえも表現手段として提示されている。ひとりひとりが特有の切迫した事情を持つ肉体との関わりが、敢えて露出されているわけである。
ベネットの打楽器もまた、グルーヴの収斂を拒否し続けているように聴こえる。叩きも擦りも一貫した方法論に嵌ることはなく、響かせ方もまた同様である。
「このような感じの演奏」と受容されたくない演奏であるがゆえに、「このような感じ」というグルーヴに乗って評価されにくいとすれば、それはつまらないことだ。フォスターとベネットとは、デュオに限ってみても、『“ “』(2015年)、『In It』(2016年)、そして本作と、その表現力や捉えにくさをますます深めてきている。マテリアルをカセットテープに限定していることもまた愉快だ。今後も注目しておくべきデュオであると言うことができるだろう。
(文中敬称略)