#2078 『近藤等則&土取利行 / Live Concert Tokyo 1973』
Text by Kayo Fushiya 伏谷佳代
2021年4月11日発売
近藤等則(tp)
土取利行(ds)
tracks;
1. Improvisation 1 (13:17)
2. Improvisation 2 (20:33)
3. Improvisation 3 (14:00)
Live recording @Pit INN tea room, Shinjuku, Tokyo
Produced by 立光学舎
Mastered by 須藤力(モルグ舎)
Published by Meta Company
ファーストアルバムはすべてを語る―よく言われることではあるが。
世界を舞台にせざるを得なくなる、ふたつの稀有な才能の原型がここにある。1973年東京・新宿。近藤等則、25歳。土取利行、23歳。共に四国出身、関西を拠点にしていたふたりは1972年に上京、前衛シーンですでに際立つ存在だった。
身心一如。類まれなる求心力をもつ後のふたりの音楽性を特徴づける核であろうが、若い身体に漲るパワー、バネのように伸縮しつつも片時も弛まぬ緊張感は神妙かつ清明。振れ幅の大きさが実に爽快である。
では、その振り切った爽やかさはどこから来るのか。
「デュオ」という言葉には「対決」や「絡み合い」のイメージが先行してしまうが、この1973年の近藤-土取デュオにまず感じられるのは、「ふたつの個体の全き独立」だ。音量の如何に関わらず、互いを決して邪魔しない。もたれ合わずに、互いが互いを内包してゆく。激しいクラッシュにも、理屈っぽい淀みがない。体感がすべてである。美しい。
20分に及ぶ”Improvisation2″では、その息の長い波動の転位と交歓を存分に堪能できる。”Improvisation3″に至り、トランペットの強靭な圧、ドラムスの多彩なスティックワークと音色の乱舞に、後のふたりのキャリアの拡がりの序章を見る思い。
懐の深さ。ペーソスに縁取られながらもベタに堕さないリリシズム。血肉化された型の夥しさ。刹那で語る個性ーこれらが生む圧倒。
長大なはずのインプロヴィゼーションが、あっという間に終わってしまう。
観客の体感時間の短さは、優れたパフォーマンスの証である。何もこれは音楽に限ったことではないが。
半世紀を経ての音源化に謝意を表したい。(*文中敬称略)
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