#2148 『小杉武久&高木元輝/薫的遊無有』
Text by Akira Saito 齊藤聡
Chap Chap Records CPCD-008
Takehisa Kosugi 小杉武久 (electronics, violin, voice)
Mototeru Takagi 高木元輝 (soprano sax)
1. Emanation 1
2. Emanation 2
All composed by Takehisa Kosugi & Mototeru Takagi
Recorded live at Kuntekijinja (薫的神社), Kochi City, 19, Jan 1985.
Concert produced by Hiroshi Toda (戸田廣), Yojiro Nagano (長野陽二郎)
Recorded by Hiroshi Toda (戸田廣)
Produced by Takeo Suetomi (末冨健夫, Chap Chap Records) and Koji Kawai (河合孝治, TPAF)
Mastered by Takeo Suetomi (末冨健夫)
Art Work: Ichi Ikeda (池田一)
Cover and liner photo: Hiroshi Naruse (成瀬弘), Hiroshi Toda (戸田廣), Mami Aoyama (青山マミ), Tatsuo Minami (南達雄)
高木元輝と小杉武久のデュオによる即興演奏は1980年代から90年代にかけて何度も行われた。シンプルなデュオだけではない。たとえば、1983年8月25、27日にはニューヨークにおいてマーボー鈴木(サックス)、ウィリアム・パーカー(ベース)、ビリー・バング(ヴァイオリン)、サニー・マレイ(ドラムス)と、また1990年8月18日には名古屋において柳川芳命(サックス)、岡崎豊廣(エレクトロニクス)、木村富士夫(ギター)、清川桂史(身体表現)、長谷川哲(アート)からなるディスロケーションとの共演を行ってさえもいる。小杉とフリージャズの強力なミュージシャンとの組み合わせは異色にみえる。そして、これらの活動はあまり語られることがなかった。
筆者はいちどだけ小杉のソロ演奏「Catch Wave」を観たことがある(1997年、Gallery 360°)。かれは映像が投影される画廊の壁に向かって座りこみ、ヴァイオリンと天井から吊り下げられた装置を使って、ひたすらに集中し、彫刻のように音響世界を創出していた。現代音楽の面々とのコラボレーション、映画音楽、そしてソロと、小杉が発表してきたサウンドには抽象度の強さに焦点を当てたものが多かったように思われる。1969年に結成されたタージ・マハル旅行団も、自由即興を指向しながらも、小杉の「風景映画」というコンセプトと強く関係づけられたものであり(*1)、大人数でありながら、サウンドがどこかの極に収斂している印象を覚える。あるいはまた、ダニー・デイヴィス(サックス)、ペーター・コヴァルト(ベース)との共演(『Global Village Suite Improvised』、FMP Records、1986年録音)にも、吉沢元治(ベース)、三宅榛名(ピアノ)との共演(『Angels Have Passed』、P.S.F. Records、1991年録音)にも、フリージャズ的な即興演奏の要素が希薄なのだ。
一方、小杉は阿部薫(サックス)との共演について書き記してもいる。その中で小杉が強く意識したことは「『不定形』(即興)の阿部の音楽は『穴』『出口』を求めるかのように、すさまじい攻撃を繰り返していた」という点であり、小杉が求めるのはそこから逃れ出てくる「遊戯」であった(*2)。これはあくまで小杉にとってその場限りの実験ではなかったか。
だが、本盤で聴くことができるサウンドは、おそらくは阿部との共演とは性質を異にするものだ。高木が小杉の音に野心的に近づいたこともその理由だろう。もちろん高木のソプラノサックスが管を共鳴させる息を感じさせる形勢もあるのだが、それ以上に、ヴァイオリンの擦音に憑依し、あるいはエレクトロニクスと化し、高木の並々ならぬ力量をもって小杉の音領域で重なってみせていることは驚きである。それは親密な動物どうしの会話のようでもあり、宇宙空間での交信のようでもある。すなわち紛うことなき小杉の音楽であり、高木の音楽なのである。
(文中敬称略)
*1 川崎弘二「小杉武久の映像と音楽」(川崎弘二・坂本裕文『小杉武久の映像と音楽』、engine books、2018年)
*2 小杉武久「アベ・カオルとの記憶」(小杉武久『音楽のピクニック』、書肆風の薔薇、1991年)