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Jazz and Far Beyond

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CD/DVD DisksNo. 291

#2190 『渋谷毅ソロ/カーラー・ブレイが好き』
『Takeshi Shibuya Solo / I Love Carla Bley』

text by Maki Nakano 仲野麻紀

– 架空の伴走者はシャツ一枚を着てピアノを弾く-

 

6月、夏至に向かう列車の中で、プレゼントされたばかりのヘッドフォンで、送られてきたばかりの渋谷さんの「カーラ・ブレイが好き」を謹聴した。
パリへ向かう21時の車窓はまだ陽が燦々としていて、ジャケットのモノトーンと対比的な陽気の中で、彼が奏でるピアノの、陰影の奥行きが聞こえる。

ここにはいない、架空の伴走者と共にあるような感覚。
遠くで、あまりにも遠くで聴いているはずなのに、渋谷さんが奏でるピアノの横、あるいはペダルを踏む音が聞こえるほど近く地べたに座って聴いている感覚。

渋谷さんの演奏を初めて聴いたのは名古屋のラブリー。
兵(つわもの)、猛者揃いの渋谷オーケストラ。バンドメンバーは縦横無尽、オーディエンスへ向かって放たれる音がカオス極限になり、渋谷さんが右手を掲げ振りかざした瞬間、あの音の圧力がピアノに吸収される場を目の当たりにした。17歳のわたしはこういったジャズの存在をオーディオ世界ではない、音の場で初体験した。
その後大学へ上京する3月下旬、ラブリーのオーナー河合さんから、「麻紀、うちで働かないか。」と声をかけられた。夢にまでみた、音楽に浸れる空間ジャズライブハウス勤務に後ろ髪引かれながら、父が待つ東京へ向かった。
そして上京後初めて行った場所は新宿ピットイン。渋谷さんの演奏を聴きに行くために、地理的距離がわからないわたしは、なんと目黒の柿の木坂から新宿まで自転車で向かったのだ。
架空の伴走者。決して解放されていないジャズクラブの雰囲気の中で奏でられる音は、今日聴きに来る人々へ届き、わたしの自転車での帰路は、渋谷さんのあの音の中にあったことを覚えている。

東京での学生生活の話をもう少し。女子大で友人はひとりもいなかった。ジャズ浸りの毎日。住んでいた学芸大学駅にある Uncle-BuBu(ブブおじさん)という焙煎珈琲喫茶店に通っていた。
コーヒーに惹かれるというよりは、ビル・エヴァンスのアンダーカレントが繰り返しかかっている空間に居たかったのだ。
焙煎の芳香が路地から溢れんばかりに立ち込め、その香りに歩調を促され、カウンター5席の店に入れば、よれよれのシャツを着た店主BuBuと珈琲とエヴァンス、それだけ。あ、それと両切りゴロワーズ。一度誰かが店主にあるCDを持参し、「お店に合うと思います」、と言って渡していたが、もちろんそのCDがかかったことはない。
BuBuはカーラ・ブレイをかけてくれるだろうか。
いや、そんな申し出だってきっと無視して、無口でドリップ淹れに集中するにちがいない。
でも、渋谷さんのこのアルバムをかけて、と言ったらやはり無口で、しかしかけてくれるにちがいない。
営業を終えたBuBuはいつもシングルモルトをちびりとやりながら、店を片付けていた。皺くちゃのシャツと皺くちゃの笑み。そこに「カーラ・ブレイが好き」が鳴っているという想像。

さて、何度目かの「カーラ・ブレイが好き」。今わたしはシャツにアイロンを当てながら聞いている。
誰の?
生活空間の中に鳴っているピアノの音は、オーソリティーな空間とは無縁だけれど、音の場を選ばないという意味では、実践としてある個々人の生活=文化にあって「他者の視線のなかで自分が美しくあるのを知る」(オルダス・ハスクリー「すばらしい新世界」引用)その世界に響き渡っている。
ある秋、ピナ・バウシュは何かの対談の際、花ではなく舞台に敷き詰められた枯葉一枚を手に取り胸に当てたという。主催者の歓迎の計らいに対する「美しい人」の所作。
煌びやかな世界の対語としてある生活ではなく、そもそも生活があっての文化であるはずの音楽世界は、国が声高に掲げる文化なんてものを、一枚のシャツを着て奏でられる音楽はものともしない。

そういえばいつもスタンドカラーのゆるい素材のシャツだったのに、ある役職についてからYシャツにネクタイを締め始めた人がいたっけ。しかし、洗濯屋には出さず、多忙な中ご自身で、真夏でもアイロンをかけていたとか。

曲説明は2曲のみにとどめよう。

Lawns(芝生):前述した渋谷オーケストラの名古屋来訪。3日連続の公演中、一行は東山動物園に行ったとMCで話していた。まさか昼間から大の大人が動物園で酒盛りするとは思えないが、なんだか芝生の上でツアー中休息するミュージシャンの姿が目に浮かぶ。渋谷さんが今回の作品のopeningで奏でたLawns、出だしの音を聞いた瞬間の想起印象。続くカーラ・ブレイの作品を丁寧に奏でるわけだが、やはりLittle ABI は落涙抜きでは聴くことができない。言わずもがな盟友菊地雅章氏の曲だ。

Uncle-BuBuに通っていた写真家、蓮井幹生さんが、BuBuが旅立った後、こんなことを綴っていた。
「その人が残したものと面影だけがあって、人は消え去る。だから、そのときには亡くなった人の存在がまだほのかに心の中にあり、実感として寂しさや悔しさには置き換わらない。……… 人はいつも、人が消えてしまった寂しさと共にあり、生きることへの想いを募らせていることを忘れてはならないと思う。」

音と音、インターバルの間にあるピアノの音の長さに浮かぶものは何もなく、ただその長さが彼の音楽であるという存在を提示している。

渋谷さんが奏でる音の間(はざま)に、わたしたちは何を想うだろう。
想う、という時間を渋谷さんは音楽によってわたしたちに贈ってくれたのかもしれない。

わたしは、シャツ一枚を着てピアノを弾く姿、そしてそんな音楽を奏でる「渋谷さんが大好き」です。

仲野麻紀

サックス奏者。文筆家。2002年渡仏。パリ市立音楽院ジャズ科修了。フランス在住。演奏活動の傍ら2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を手がけるopenmusic を主宰。さらに、アソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)をフランスで設立、日本文化の紹介に従事。自ら構成、DJを務めるインターネット・ラジオ openradioは200回を超える。ふらんす俳句会友。著書に『旅する音楽』(2016年 せりか書房。第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞)。CDに『Open Radio』(Nadja21)。他多数。最新作は『渋谷毅&仲野麻紀/アマドコロ摘んだ春』(Nadja21)。

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