#2265 『ヒカシュー / 雲をあやつる 』
『HIKASHU / Cloud management』
text by 剛田武 Takeshi Goda
MAKIGAMI RECORDS CD:mkr-0018
1. 棚田に春霞
2. 雲をあやつる
3. どこまでが空なのか
4. 祈りは今日も行方不明
5. 紅茶の染みの全音符
6. 人生の婉曲(アーチ)
7. ソロマトキンさんは運転手
8. 棚田式トランスパレント
All lyrics MAKIGAMI KOICHI
Text ILYA & EMILIA KABAKOV
Translation KONO WAKANA
人生の婉曲(アーチ) (6)では イリヤカバコフ 16本のロープ より 鴻野わか菜訳の一部を使用しています。
Music MAKIGAMI KOICHI(1,5,6) ,SAKAIDE MASAMI (3), MITA FREEMAN(2,7) SHIMIZU KAZUTO(8) SATO MASAHARU(4)
ヒカシュー
巻上公一 ヴォーカル、テルミン、コルネット、尺八、篳篥
三田超人 ギター
坂出雅海 ベース
清水一登 ピアノ、シンセサイザー
佐藤正治 ドラムス
ゲスト
纐纈雅代 アルトサックス
吹雪ユキエ 声
HIKASHU
MAKIGAMI KOICHI- vocals, theremin, cornet, shakuhachi,
MITA FREEMAN – guitar
SAKAIDE MASAMI – bass
SHIMIZU KAZUTO – piano, synthesizer
SATO MASAHARU – drums
guest
KOKETSU MASAYO – alto sax
FUBUKI YUKIE -voice
Dedicated to ILYA KABAKOV
Produced by MAKIGAMI KOICHI
Recorded at 1714 Studio in Atami and IGO studio in Tokyo 2023
Recorded at Echigo-Tumari Art field July 30 2022
Recorded and Mixed by SAKAIDE MASAMI
Live Recorded by KONDOH YOSHIAKI(GOK Sounds)
Mastered by ONO SEIGEN(Saidera Mastering)
Cover art
Designed by OUCHI TOMONORI (graphic garden)
Special thanks to KITAGAWA FRAM,KONO WAKANA,OISHI HIROKI,Star Pine’s Cafe
創造性のインスピレーションをあやつり続けて45年、辿り着く先に果てはない。はて、どこまでがヒカシューなのか?
1978年8月29日バンド「ヒカシュー」として吉祥寺羅宇屋で初ライブを行ってから45年間、解散も休止もなく活動を続けてきたヒカシューは”日本最長寿のニューウェイヴ・バンド”と言えるだろう。海外を見れば、同じく1978年にバンド名をThe Hypeから現在の名義に変えて以来活動休止せずに活動を続けるアイルランドのロックバンドU2と双璧をなすご長寿バンドである。45年間にリリースしたスタジオ・アルバムは18作(サントラ・劇伴は除く)。決して多作とは言えない(U2 の15作よりは多い)が、各アルバムの鬱陶しいほど(誉め言葉です)凝縮された歌=言葉と演奏=音楽の濃度を考えると、ヒカシューの創造性のエントロピーは半世紀近く経ってもますます増大傾向にあり、例えば海洋放出することなど言語道断であることは確か。しかし安心してください。ヒカシューの音楽は純粋な芸術志向に貫かれており、放射能などに汚染されることは決してあり得ないのですから(たとえ『ゴジラ伝説』を何度も再演しているとしても)。
1977年結成以来のオリジナル・メンバーの巻上公一と三田超人、1982年加入の坂出雅海、2003年加入の清水一登と佐藤正治という現在のラインナップになってから20年。『転々』(2006)、『生きること』(2008)、『転転々』(2009)、『うらごえ』(2012)、『万感』(2013)、『生きてこい沈黙』(2015)、『あんぐり』(2017)、『なりやまず』(2020)、『虹から虹へ』(2021)、そして最新作『雲をあやつる』(2023)と10作ものアルバムをコンスタントにリリースしている現在こそヒカシューの黄金期と言っていい。メンバーそれぞれが即興・作曲両面で自由に個別に活動しつつ、折に触れて一堂に会してヒカシューというバンドで音楽制作を行う。バンドとしての創造性をキープするためには様々な工夫が必要である。例えば曲作りにおいては、各メンバーが曲を持ち寄りコンペ形式で採用を決める。また、レコーディングに際してはメンバーのモチベーションを高めるために海外を含めて新たな環境を模索する、などなど。しかしながら、これらの方法論は活動を続ける上でもちろん大切だが、何よりも重要なのは創造の源となるインスピレーションを見つけ出すことに他ならない。楽曲や作品を作ろうにもモチベーションとなる霊感が湧かなければ何も生まれない。その意味ではヒカシューほどインスピレーション探しが得意なバンドはあまりいないだろう。音楽面ではロックやテクノポップに留まらず、現代音楽、フリー・インプロヴィゼーション、民俗音楽など越境スタイルを貪欲に吸収し、もともとの出自である演劇はもちろん、舞踏やダンス、絵画、彫刻、ファッションなど他ジャンルのアートやエンターテインメントと精力的に交流することで、ヒカシューの世界は常に新たなステージへと発展してきた。
今回ヒカシューにインスピレーションを与えたのは、旧ソ連(現ウクライナ)出身の現代美術アーティスト、イリヤ&エミリア・カバコフ。「モスクワコンセプチュアリズムの父」と呼ばれたイリヤ・カバコフは、50~80年代ソビエト連邦で非公式の芸術活動を続けた後、90年代にエミリアと結婚しニューヨークへ移住して以来世界的に活動している。日本では2000年に新潟県の越後妻有で開催されている〈大地の芸術祭〉で、詩と風景、彫刻作品を融合させた『棚田』という作品を制作して以来、20年にわたり芸術祭と関わり続けてきた。2021年に平和・尊敬・対話・共生を象徴するモニュメント『手をたずさえる塔』が完成、2022年(2021年開催予定だったがコロナ禍で延期)に〈カバコフの夢〉と題したプロジェクトとして結実し、同年夏にヒカシューは『棚田』が見渡せるステージで『「カバコフの夢」を歌う』という作品を発表した。その時に完成した楽曲を再録音・編集構成したアルバムが本作『雲をあやつる(副題:「カバコフの夢」を歌う)』である。
これまでカバコフは10人の夢想家を主人公とする物語とドローイングが描かれたアルバムを展示した『10のアルバム 迷宮』や、旧ソ連に住む架空の人々のプロジェクトを保存する博物館『プロジェクト宮殿』など、自分が夢想した登場人物に日常生活を詳細に語らせることで、実在する人物像が浮かび上がるインスタレーションを制作してきた。それに倣ってヒカシューが”棚田から「カバコフの夢」という古い楽譜が発掘され、それを演奏する、というイメージの元、カバコフの作品のテキストを歌にし、その世界をメロディに映した“(HIKASHU music storeより)のが本作である。M-6「人生の婉曲(アーチ)」では、カバコフの作品『16本のロープ』でロープにぶら下げられたメモに書かれた自然、子供、健康、家事、愛などをめぐる様々な会話がそのまま引用され巻上とゲストの元役者・現シンガーソングライターの吹雪ユキエにより朗読されている。しかし他の曲の歌詞はカバコフが夢想した作品にインスパイアされて巻上が夢想した、いわば「架空のカバコフ作品」である。例えばM-7「ソロマトキンさんは運転手」での”人はどうしたらいい人間になれるのか/天使の羽をつけてみよう”という歌詞はカバコフの作品『自分をより良くする方法』に因んだ言葉であり、カバコフのコメントによれば”この手順を2~3週間、毎日続ければ、白い翼の効き目がぐんぐん現れてくる”とされているが、歌としての巻上の問いかけは答えに辿り着くことはなく、オノマトペ歌唱と高速インプロヴィゼーションの狭間で宙ぶらりんのまま放置されている。他の歌詞でもカバコフの言葉と巻上の創造が絶妙な捻じれを生みだしていて、”至高の妄想詩人”=巻上公一の真骨頂が冴えわたる。
サウンド面では前半の高度にアレンジされた芳醇な曲想がチェンバー・ロック(室内楽的ロック)に通じる(特にプログレ好きリスナーの)知的好奇心をそそる一方で、後半に行くにつれて即興性を高め、何が出てくるか予測のつかないヒカシュー流コレクティヴ・インプロヴィゼーションのスリルが楽しめる構成になっている。トータル・アルバムとしての完成度はヒカシューの作品中でも出色の高さを誇る。演奏で注目すべきは間違いなく纐纈雅代の貢献度の高さである。前作『虹から虹へ』では1曲だけゲスト参加した「東京辺りで幽体離脱」のサム・テイラー張りに咽び泣くサックスが印象的だったが、本アルバム全編で聴ける纐纈の変幻自在なプレイは、音楽的にヒカシューのメンバーに大きなインスピレーションを与えたに違いない。かつてヒカシューに戸辺哲(1977-1981在籍)、野本和浩(1984-2002在籍)というサックス奏者がレギュラー・メンバーとして参加していた事実を思い出す。纐纈が正式メンバーになる可能性があるかどうかはわからないが、9月20日に吉祥寺Star Pine’s Cafeで開催された定期公演「マンスリーヒカシュー2023 “想い出は夜空に宙返りぎみ”」では、纐纈がゲストとして全曲に参加し、『雲をあやつる』全曲に加えて「いい質問ですね!」(『あんぐり』2017)、「アンナ・パーラー」( 『はなうたはじめ』1991)、「パイク」(『夏』1980)といった過去のナンバーに新たな血を注ぐ斬新な演奏を聴かせてくれた。また共演の機会があったら、今しか見られない(かもしれない)ヒカシュー黄金期の演奏をぜひ体験してほしい。
惜しくもアルバム制作中に亡くなったイリヤ・カバコフの〈大地の芸術祭〉での最後の作品『手をたずさえる塔』のモニュメントは、世界に問題が生じたとき、良いニュースがあったときなどによって、色が変わるという。カバコフの”思想や世界観に共感し、未来へ向けて手をたずさえていく“(同上)ヒカシューも、この先いろんな色に変わり続けることだろう。しかし彼らが辿り着く先に果てはない。「すべてが完成していたら、前途にはもう何もないのです」というイリヤ・カバコフの言葉通り、果て=完成がないからこそヒカシューはどこまでも行けるのだ。果たしてどこまでがヒカシューなのか、興味はますます膨らむばかりである。(2023年9月25日記)