#2282『佐藤允彦&加藤真一 /Specially Tailored』
text by Masahiro Takahashi 高橋正廣
~代官山の喧騒を離れた猿楽橋の袂にある小さなジャズ・バー、LEZARD (レザール)の30周年記念作品。レザール企画第4弾は前作『YOUR FAVORITE』に引き続き常連客からのリクエスト集~
佐藤允彦 piano
加藤真一 doublebass
<disc 1>
01. All The Things You Are [Jerome Kern]
02. Stars Fell on Alabama [Frank Perkins]
03. Someday My Prince Will Come [Frank Churchill]
04. On Green Dolphin Street [Bronislaw Kaper]
05. Prelude to a Kiss [Duke Ellington]
06. The Wind [Russ Freeman-Jerry Gladstone]
07. You’re My Everything [Harry Warren]
08. Bye Bye Blackbird [Ray Henderson]
09. Stella By Starlight [Victor Young]
10. In The Wee Small Hours of The Morning [David Mann]
11. Bud Powell [Chick Corea]
<disc 2>
01. Ode to Sundown [佐藤 允彦]
02. Osmanthus Fragrance [佐藤 允彦]
03. You Are There [Johnny Mandel]
04. The Cruel War [Traditional]
05. Night And Day [Cole Porter]
06. 試供品-B [佐藤 允彦]
07. Ascenceur Pour L’echafaud [Miles Davis]
08. It Was a Very Good Year [Ervin Drake]
09. I’ve Grown Accustomed To Her Face [Frederick Loewe]
10. Otaru Canal [Tetsuya Gen]
11. Shall We Dance [Richard Rodgers]
all tunes arranged by Msaahiko Satoh
Recorded at LEZARD, Tokyo January 7,8,9 &10, 2023
Recorded , mixed & mastered by Taishi Taruoka 樽岡大志 (現音舎)
Sound producer; Msahiko Satoh 佐藤允彦
Produced by Kazue Maeoka 前岡和恵
Executive producer: Kanehiro Sudo 須藤兼弘
オーディオメーカー、ケンウッドの社長だった石坂一義氏の肝入りで(こういう呼び方が許されるなら)第一次 LEZARDレザールが渋谷の宮益坂近くのビルに1階がステーショナリー・グッズのショップ、その地下がバーとして開店したのは40年ほど前のこと。CI(コーポレート・アイデンティティ)活動が成功したケンウッドの本社が渋谷にあったことから、1Fはアンテナ・ショップとして地下のバーはアフターアワーズの社員の社交場として10年ほど存在していた。そのとき一輪の薔薇としてバーに華やぎを与えていたのが前岡和恵さんだった。
その後第一次レザールが閉店となったとき、その名とロゴマークを引き継いだ前岡さんが渋谷と代官山のほぼ中間、猿楽橋の袂のビルの2階に興したのが現 LEZARD (レザール)。そのレザールが開店30周年を迎えたという。
筆者は現レザールには数回足を運んだことがあるが、程良い広さと趣味の良い調度品に居心地の良さを感じさせるインティメットな空間だった。それ故に隠れ家的なジャズ・バーとして当初より多くのジャズファンのみならずアマチュア、プロを問わず楽器を持って来店するミュージシャンが多く、時としてジャム・セッションが始まるという交流の場にもなっていた。
それは店と顧客という関係を越えてレザールの応援団が結成されるほどで今日に至っている。これは前岡ママの個人的魅力であり求心力なのだろう。
そのレザールを発信源として生まれたのが日本ジャズ・ピアノ界の巨匠佐藤允彦と名手の誉れ高いベースの加藤真一という二人の匠によるデュオ。レザールの壁いっぱいに書かれたミュージシャンたちのサインが写る2017年の第1作『An Evening at Lezard』と前岡ママのポートレートがジャケットを飾る2019年の第2作『Coda Tronca』。さらに店の常連たちによるリクエストを採り上げた2021年の第3作『YOUR FAVORITE』と2年おきにレザールでの憩いの時間をアルバム化している2人にとってレザールは言わばホームグラウンドに近い存在なのだろう。
さて今回取り上げる佐藤允彦と加藤真一による第4作は前作に引き続いて常連からのリクエスト曲を演奏しているCD2枚組アルバム。
ここで2人の略歴に触れておくと、佐藤允彦は1941年東京都生まれ。慶応義塾大学在学中に日本を代表する名テナー奏者宮沢昭の代表作となる『山女魚』のピアニストとして大きな注目を集める。オリジナル盤の裏解説で評論家久保田二郎は「新人で、ナンバーワンといわれている佐藤允彦」とたったこれだけの紹介なのが当時の佐藤の立ち位置を示していて興味深い。慶応卒業後の佐藤は1966年~68年ボストンのバークリー音楽院に留学。翌69年4月、再び宮沢昭の『Four Units』の吹込みに参加、その進境著しいピアニズムを披露する。
そしてその時のリズム・セクションである富樫雅彦(ds)とバークリー仲間の荒川康男(b)とのトリオで記録したのがかの『パラジウム』。日本ジャズ史上奇跡の大傑作と信ずる筆者にとっては佐藤允彦と言えば何を置いても『パラジウム』なのだ。ライナーノートの冒頭に、佐藤允彦が綴った『パラジウム』のコンセプトに関する記述がある。
「インプロヴィゼーションのための既存の制約を、一つずつ取去って行って最後に残された空間に我々だけの言葉で詩を創ろう。お互いに、誰かが提示した一つの音を素材にして、次の瞬間に何かを生み出そう。そして、それがまた新しい素材となる――こんな音の世界を作ってみたい。これが三人の理想。その第一歩として、このアルバムが出来た。ここには、いくつかの古い殻と、幾つかの新しい芽とがある。我々は停滞を好まない。精神の、自由な飛翔。より完全なインタープレイ。音の、もっと鮮烈な在り方。etc、etc・・・」
この佐藤の言葉は本盤『Specially Tailored』を鑑賞するに際しても、今なお深い含蓄を持っていることを思わずにはいられない。
加藤真一。1958年 北海道空知郡奈井江町出身。ロック、ブルースを経て本格的にジャズベースに取り組んだのはアン・ミュージックスクールで鈴木淳氏に師事してからのこと。その後1985年ドラムスの猪俣猛トリオに抜擢され上京。1992 年永住権取得を機会にニューヨークに移住。2002年に帰国後は富樫雅彦(ds)の JJ Spirits や佐藤允彦のバンド Tipo CABEZA、saifa に参加する傍ら、スガダイロー(p)との共演アルバム、ミュージカルへの楽曲提供など活躍の場は留まることを知らない。現在は前田憲男、市川秀男、森山威男、嶋津健一、井上ゆかり、スガダイローらとのトリオや自己のバンド B-HOT CREATIONS を率いており、リーダーアルバムはスガダイロー(p)とのDUO『Jazz Samurai』『ベース・オン・シネマ』など16枚。美しい音色と安定感。ジャンルを超えた多様な演奏スタイルは現在の日本ジャズ界に欠くことのできない一人となっている。
さてレザールの開店30周年記念アルバムとして制作された本盤『Specially Tailored』はそのタイトルに佐藤允彦の意図がしっかりと反映されている。30周年という記念すべき時に佐藤のペンによって “特別に誂えた” 常連のリクエスト曲が並ぶからだ。加藤との長年のコラボレーションから生まれた揺るぎない信頼感をベースにしながら80歳を過ぎてなお「停滞を好まない。精神の、自由な飛翔」を目指す佐藤の音楽に対峙する真摯な姿勢こそがオリジナル曲のみならず耳慣れたスタンダードについても新鮮なアレンジを施して自身の世界を描くことに躊躇いを見せないのだ。
【Disc1】
01.<All The Things You Are>。ジャズナンバーとして演奏されるトップ10に入るかとも言うべき定番曲。佐藤はこの曲の演奏には珍しくヴァースから入る。テーマ処理からソロとバロックを思わせる格調の高い演奏でプロローグらしい清々しさ、緊張感をもって語られる。
02. <Stars Fell on Alabama>。ジョニー・スミス(g)とスタン・ゲッツ(ts)によるRoost盤の名演で知られるこの曲、佐藤=加藤のチームは3拍子の優美なバラッドに仕上げている。さりげない転調を用いて新鮮なニュアンスを加味するところなど佐藤の匠としての技が冴える。さらに加藤のピチカートソロには独特の物語性が宿るようだ。
03. <Someday My Prince Will Come>。イントロからテーマに掛けての展開に佐藤のたゆまない進取性が感じられる一方、ソロでは芳醇なピアノの音色を活かした間合いが美しい。加藤のダンピングの効いたベース・サウンドは最高。
04. <On Green Dolphin Street>。映画「大地は怒る」の挿入歌、という説明よりジャズナンバーとして常連のリクエストが多かった曲との説明の方が納得できるだろう。佐藤の解説によればテーマの中でE♭→A→C→E♭と転調させるという手法を用いているというが自然なメロディ展開と加藤の見事なサポートでオリジナルな「グリーン・ドルフィン~」になっている。
05. <Prelude to a Kiss>。D.エリントンにしては珍しい典雅さを秘めた曲だが佐藤はサビから演奏し始めるという手法で曲のエッセンスを表現しているセンスが光る。
06. <The Wind>。ラス・フリーマン(p)作の情感たっぷりのバラッド。ピアノの鳴りを信じて演奏している点が流石プロの技だ。後半、ストリングスを挿入させて美旋律を際立たせている。
07. <You’re My Everything>。ハリー・ウォーレン作の唄物。加藤のウォーキングベースの推進力と呼応する佐藤のソロの切れ味の妙に聴き入るばかりだ。
佐藤=加藤チームの唄物の巧さには常連たちの酒も進むことだろう。
08. <Bye Bye Blackbird>。耳慣れたはずのメロディが佐藤の遊び心によってかくも斬新なメロディとなって迫って来る。その意外性にこそ佐藤のいう“自由な飛翔”が潜んでいるのだと知らされる。その刺激を受けた加藤の張り切りぶりがヴィヴィッドにスピーカーから伝わって来るナンバーだ。
ヴィクター・ヤングの名曲09. <Stella By Starlight>。目まぐるしくコードチェンジすることによりメロディラインが見事なほどに“横ずれ”していく異色の展開がスリリング。つまり常套的な(手癖のついた)フレーズが全く出てこないのだ。こんなアレンジを仕掛ける佐藤に加藤のベースラインはよく付いていっている。
10. <In The Wee Small Hours of The Morning>。 佐藤の裏話によれば「女性ファン増大トラック」と加藤のアルコベースの妙技をイジっているが、唄物スタンダードを弾くならこうやれという程に見事な弓弾きがフィーチャーされる。
Disc1ラストはチック・コリア作の11. <Bud Powell>。曲の冒頭、T.モンクの<In Walked Bud>を引用するという洒落っ気を見せる。バド・パウエルという天才に2人の天才モンクとコリアが曲を捧げるという合作の離れ業をして見せる佐藤のセンスに脱帽。演奏はオーソドックスな4ビートで加藤の強力な推進力と佐藤の鮮烈な閃きとの見事なタッグに終始する。
【Disc2】
2枚目には佐藤のオリジナルが3曲登場するその最初が01. <Ode to Sundown>。ソフトな佇まいを感じさせる佐藤1993年の作品。加藤のベースがオリエンタルな響きを増幅させている佳作。
02. <Osmanthus Fragrance>に佐藤は、この曲の金木犀の香りは人生の残り時間を刻まれているようだと意味深長なコメントを寄せており、聴く方も一瞬身構えてしまうが曲自体はノスタルジックな美しさに包まれている。
03. <You Are There>。 ジョニー・マンデルの書いた美しいバラッド。真に美しい曲は変にいじらずに心の赴くまま、あるがままに演奏するのが曲への親愛に違いない。そのことをこの演奏は正に実感させてくれる。
04. <The Cruel War>。人類の歴史は戦争の歴史。そんな単純なことではないことを音楽という感情装置は的確に伝えてくれる。ジョヴァンニ・ミラバッシの<Avanti!>に優るとも劣らない佐藤=加藤の秀演。
お馴染みのコール・ポーター作05. <Night And Day>。佐藤の投じる変化球をリスナーは打ち返すことができるだろうか。キャッチャー加藤との呼吸は見事に決まっている。
続く06. <試供品-B>は佐藤が70年代に企画した幻のグループ Flash のために書き下ろした曲。力強いハイテンションなナンバーだがデュオともなると佐藤の楽曲の持つ高踏的なフィロソフィーが見えて来るようだ。
07. <Ascenceur Pour L’echafaud>。フランスの映画監督ルイ・マルのジャズ好きは知られるところだが「死刑台のエレベーター」でサントラにマイルスを起用したのはお見事。マルの期待に応えたマイルスの即興的名曲でシンセの効果音を取り入れた佐藤のフィルム・ノアールのムード作りの巧さが光る。
08. <It Was a Very Good Year>。アーヴィン・ドレイクが作詞作曲し1961年フォーク・グループのキングストン・トリオによってリリースされ、1965年にこれを聴いた当時50歳だったフランク・シナトラが唄ってグラミー賞最優秀歌唱賞を受けたバラッドの名品。人生の秋になっての回想というテーマを佐藤=加藤のチームはウエットにならず逆にゴージャズに唄い上げている。
09. <I’ve Grown Accustomed To Her Face>。唄物を弾く佐藤の上手さが出たナンバー。いつの世もスローバラッドに込められた情感に嘘偽りはない。加藤の唄心を感じさせるソロそのものがバラッドになり切っている点も特筆される。
これはまあ何と常連さんの意地悪な事か。10. <Otaru Canal>は弦哲也の書いたド演歌「小樽運河」。加藤のベースも佐藤のピアノも実に楽し気に弾いていて微笑ましい。
ラスト11. <Shall We Dance>は賑やかに弦やら管やら打楽器のオーバーダブで遊びまくったアレンジ。さらにはホイッスル、サイレン、街の喧騒を思わせる効果音が佐藤のピアノと加藤のベースを覆い尽くして行くエンディング。
CDが終わってからの静寂こそが代官山に闇が深まってゆくという憎い演出そのものかも知れない。
全22曲を聴き通して感じるのは冗長感が全くないことだ。佐藤が言う「精神の、自由な飛翔。より完全なインタープレイ。音の、もっと鮮烈な在り方。」を放棄したらもうジャズを単なる生業とする“職人”でしかない。本作で佐藤が示したスタンダード解釈の在り方は単に新規性を狙った技術的な方策ではない。和声やアレンジの技術的なストックからアイデアをひねり出す等という職人的手法を超えて、八十路を過ぎ“人生の秋”を迎えた佐藤にとっては、曲そのものが持つイメージを深化させると共にかつてその曲を弾いた時の記憶の抽斗からアイデアが自然発生的に湧いて来て、それが佐藤自身の言葉となってほとばしる、そんな印象なのだ。それは一にも二にも佐藤のミュージシャンシップの根幹にある“精神の自由な飛翔”がもたらしてくれる精神の解放こそが楽曲に新しい生命を吹き込んでいることに他ならない。そしてその確かなパートナーが加藤真一であることに、常連のみならず本作を耳にした全てのリスナーはこの上ない僥倖を見出すに違いない。
さて堅苦しい分析はここまでにして、そろそろ常連の皆さんも常連ではない皆さんも前岡ママがチョイスした極上のワインを傍らに、吟醸のデュオに夜が更けるまで酔おうではありませんか。
銀漢や嗚呼LEZARDのジャム更けて 白崔