#880 「ルドルフ・ブッフビンダー ピアノ・リサイタル」
2016年3月4日(金) すみだトリフォニーホール
Reported by 伏谷佳代 Kayo Fushiya
Photo by三浦興一
ルドルフ・ブッフビンダー Rudolf Buchbinder (ピアノ)
J.S.バッハ:イギリス組曲第3番ト短調BWV808
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番ハ長調op.53「ヴァルトシュタイン」
シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960
アンコール
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」より第3楽章
J.S.バッハ:パルティータ第1番BWV825より「ジーグ」
ヨハン・シュトラウスⅡ世:ワルツop.56「ウィーンの夜会」
ブッフビンダーといえばベートーヴェン、とすぐさま連想されるほどに、その解釈においてひとつの金字塔を打ち立てているブッフビンダーであるが、実際ピアノ・ソナタ全曲演奏はこれまで世界45都市以上で挙行、2014年のザルツブルク音楽祭では史上初となる全7回全曲演奏会が行なわれ、2015〜16年のシーズンには地元ウィーンのムジークフェラインで50回目となるチクルスが組まれている。楽都ウィーンの流れを汲む、オーソドックスな演奏を期待してしまうのは単なる先入観にすぎないということは、その生の演奏に触れればたちどころにわかる。かなりアクの強い演奏だからである(もちろん最上の賛辞として)。
鍵盤の奥底にまで楔(くさび)を打ちこむかのような打鍵は、一音単位でみると非常に篤実・朴訥な味わいすらもっているのであるが、それがフレーズ単位でまとまったときに、得も言われぬやわらかさと香気を発する。楽曲が創られた背後にある時代の気分、作曲家の才気の横溢、そうした次元までをふわりと現出させてしまう。すべての技術はそこまでの境地に至るための奉仕であることが納得される。過不足がなく合理的。音が速い。頭脳から筋肉への指令は電光石火のごとし、肉体と鍵盤との継ぎ目を疑うほどだ。
音色は瞬時に切り替わり、フレーズ間・楽曲間、さまざまな尺度で対比され折り重なる。冒頭のイギリス組曲での暖かな体温を感じさせる音色が、つづく「ヴァルトシュタイン」では一転、ドライにはじけ飛ぶ弾丸となる。この疾風のような爽快感は、単なる速めのテンポ設定を超えたところにある、前述の肉体と楽器との直截性がもたらす相乗効果であろう。ダイナミックな低音部の威力も絶大だ。表現にまつわる装飾はぎりぎりまで削ぎ落とされ、堅牢かつ趣を凝らした楽曲構造が自律的にうかびあがる。ベートーヴェン解釈の巨匠として当代随一である事実を示す出色の出来映え。
シューベルトの遺作ソナタでは、噛みしめるように実直に綴られる一音一音が、リアリティをもってつき刺さる。天上感覚の勝った通常の演奏と比べ、現世感が強い。端正な音楽づくりは響きや残響をうまく統率しつつ、時にはっとするような澄み切った音色で聴き手の意識を無我の一瞬へと連れ去ることを忘れない。一握りの演奏家しかもち得ない生有の俊敏さ、風のように自然に湧きでる斬新な感性に魅了されるとともに、音楽が社会において重要な位置を占め続けてきた都市の、まぎれもない進化形をそこに嗅ぎとらずにはおれない(*文中敬称略。3月5日記)。