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Concerts/Live Shows特集『JAZZ ART せんがわ』特集『ピーター・エヴァンス』No. 246

#1031 JazzArt せんがわ:藤原清登ディレクション

text by Masahiko Yuh  悠 雅彦
photo by ⓒ2018 Masaaki Ikeda

 

藤原清登ディレクション
2018年9月16日 19:30~21:00
坂田明 x ピーター・エヴァンス x 藤原清登 x レジー・ニコルソンx 藤山裕子
せんがわ劇場

坂田明  (as,cl,perc)
ピーター・エヴァンス (tp, piccolo tp)
藤原清登 (double-bass)
レジー・ニコルソン (ds)
藤山裕子 (pf)

本誌を始め巷で人気と関心が急上昇中のトランペット奏者、ピーター・エヴァンス。これは何としても自分の耳で聴いておかなければなるまい。第11回を迎えた<Jazz Art せんがわ>への関心の第一はひとえに、このピーター・エヴァンスであった。

<Jazz Art せんがわ>は9月13日~16日、せんがわ劇場で行われた。私が参加できたのは最終日の9月16日、夕方4時半と7時半の2つのコンサートだけだったが、ピーターが登場したのは最後の7時半の部であった。これといったアナウンスもなく、定刻の7時半過ぎに、単身ピッコロ・トランペットを含む2本のトランペットを持ってステージに登場したピーターは、一言でいえばトランペット奏法のありとあらゆる可能性を実地に示すモデルというべきものを示して余りあるプレイを披露した。それは演奏開始からおよそ25分にもわたった。その中で高度な特殊奏法の数々を披瀝し繰りだしながら、しかし決して特殊奏法の陳列棚を単に開陳するだけの手品師風の見世物に堕すのではなく、それらを通して筋書きのないドラマから音楽的なミステリーを紡ぎ出した。えっ、あんな音が出るの? それも唇や口の形や位置をまったく変えずに。手品師みたいだ。しかも知的なニュアンスを失わないというピーターならではのドラマを語り通した、というのが私の率直なピーター評である。

Jazz Tokyo誌第245号にはピーター・エヴァンスのインタビュー記事が掲載されている。それによると彼は1981年10月2日、シカゴ生まれの現在36歳。このJazz Tokyo誌が発刊されているころは37歳になっているはずだ。オハイオのオバーリン音楽大学を出るとすぐ、2003年にニューヨークへ進出し、ブルックリン界隈で活動して今日にいたっているらしい。

吹込の方も『Peter Evans Quartet』(Firehouse 12)を皮切りに、イヴァン・パーカーと共演した1作(2013年)などかなりの数に上るCD盤を世に送り出している。37歳と言えばこの世界ではもはや若手とは言えないが、ジェレマイア・サイマーマンら他の競合者との勝負にも関心を示すことなくひたすら現代を代表するトランペット奏者としての道を歩んでいるところに、もしかすると往年のバック・クレイトン、マイルス・デイヴィス、リー・モーガン、フレディ・ハバード、ウィントン・マルサリスと続いてきたジャズ・トランペットの輝かしい歴史と進化を見据えたピーターの洞察力と心意気が現れているのかもしれない。漏れ聞くところによると、本誌(我がJazzTokyo誌)の副編集長の横井一江氏がいつだったかニューヨークへ行ったのも、ピーター・エヴァンスの演奏をじかに自身の目で確かめるためだったとか。まさに慧眼というべきか。

このあとシカゴ出身で現在はピーター同様ニューヨークで活動するドラマー、レジー・ニコルソンと、ニコルソンとほぼ同じころニューヨークへ移住し、現地のミュージシャンとセッションを繰り返しているという藤山裕子のデュエットがあった。ニコルソンのプレイはアンソニー・ブラクストンだったかホーン奏者との演奏で聴いたことがあるが、藤山裕子の演奏に接するのは初めて。藤山が谷川俊太郎の詩を一くさり読んではピアノで語り合う演奏は、両者のクールなアプローチが好印象を生んだ。

最後がこのJazz Artを文字通り締めくくる熱いセッション。Jazz Artのプロデューサーでもあるベーシスト藤原清登のディレクションによるセッションで、ここに坂田明に加えてピーター・エヴァンスが再登場した。ピアノはむろん藤山裕子で、ドラムスはレジー・ニコルソン。さて注目のピーターだが、ピーターときたらこのセッションではソロで示した特殊奏法をほとんど用いず、ソロのときのようなアヴァンギャルド性からは遠い、いわばオーソドックスなトランペット奏者として力強くも堅実さを秘めたプレイに終始した。別にそれを非難しているのではなく、先のソロ演奏との落差の大きさに、まるでピーターならぬ別のトランペッターの演奏を目の当たりにしているような印象を受けてしまったのだ。それほど先刻のソロ演奏の印象が激烈だったということになるだろう。恐らくは、ピーターは他のプレーヤーとのバランスを考慮に入れたプレイをするために、ソロとは違ったアプローチをとったのだろう。

久しぶりに聴いた坂田明のプレイは、やはり角が取れて丸くなった。ベースの藤原清登が孤軍奮闘するかのようにアグレッシヴな叫びをベースの弦から迸らせ、他の奏者たちのサウンドの圧力に負けない強烈な音を弾き出していたのがすこぶる印象的だった。

その藤原清登がプログラムに書いている。「嬉しいことに海外からの注目度が毎年大きくなってきていますが、」肝心の「日本からはまだまだ………。私たちの日本は文化の重要性に対する認識が低いと認めるべきだと思います」と。そして結びを次の言葉で締めくくっている。「Jazz Art せんがわ、これからの10年」。

つまり「これからの10年」とは、今年の第11回から第20回に向けての、今回は第1回だという意味で、彼は締めくくりに書いたのだ、「これからの10年」と。その「10年」についてだが、「これからの10年」と「これまでの10年」は当然ながら違う。というのも、現地の仙川で関係者の間に「Jazz Art せんがわ」がこの第10回を最後に終わることになるかもしれないとの懸念が取りざたされているのだ。私には詳しいことは分からないが、もし噂が事実なら調布市をはじめこの「Jazz Art せんがわ」の運営に寄与してきた全ての関係者に再考と善処をお願いしたい。助成団体である文化庁文化芸術振興会やアーツカウンシル東京、あるいは協力関係にあるカナダのケベック州政府との関係もあり、むげな決断は許されないだろう。今後に向けて、巻上公一(総合プロデューサー)、藤原清登(プロデューサー)、坂本弘道(同)ら各リーダーの奮闘と善処に期待し、この異色のジャズ音楽祭「Jazz Art せんがわ」が今年を最後に終わるなどという悲しい結末だけは何としても回避していただきたい、と切にお願いする。(2018年9月19日記)

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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