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Concerts/Live ShowsNo. 315

#1311 謝明諺・2024年6月の日本ツアー

Text by Akira Saito 齊藤聡
Photos by m.yoshihisa (6/18) and Akira Saito 齊藤聡 (6/20, 23)

台湾のサックス奏者・謝明諺(シェ・ミンイェン、通称テリー)が再来日した。15日間(2024/6/11-25)で17回ものギグを行う濃密さ、しかもオフ日にもセッションに出かけるという凄まじさ。本稿では筆者が企画した3回の演奏について振り返る。

詩與歌的靈魂夜 2024/6/18(火) 渋谷・公園通りクラシックス

Minyen Hsieh 謝明諺 (tenor saxophone, soprano saxophone)
Shoko Numao 沼尾翔子 (vocal)
Fumi Endo 遠藤ふみ (piano)
Riku Takahashi 高橋陸 (bass)
Mars Lin 林理恵 (vocal, vocorder)

1. improvisation
2. 思君嘆
3. 請問芳名 (poetry 錯的歌)
4. Drizzle
5. improvisation
6. It Was a Rainy Afternoon
7. Observation Deck
8. 船旅

はじまりは、詩人の鴻鴻(ホンホン)が2020年に出版した書籍『爵士詩選 Warm n’ Cool: A Jazz Poetry Anthology』である。中国語圏でジャズ詩をはじめて本格的に紹介する試みだった。出版記念イヴェントへの参加がきっかけとなって、鴻鴻やポップ歌手の林理恵(マーズ・リンことリン・リーフイ)らとともに、テリーはアルバム『爵士詩靈魂夜 A Soulful Night of Jazz Poetry』を吹き込んだ。標準中国語(北京語)、南部の広東語、地元の台湾語によりその響きを提示するというかつてない試みだった。ではここに日本語が入ったらどうなるのだろう―――2023年のライヴ「詩與歌的靈魂夜」には、そのような経緯があった。ジャズ詩(爵士詩)にはこだわらず、掘り下げるべきは詩と歌(詩與歌)。

今般のライヴは再演である。とはいえ丁寧にことばに付き合うのだからただの再演にはならない。テリーの推薦でコントラバスの高橋陸が加わったことで、やわらかな錨が生まれた。遠藤ふみのピアノは錨を持たないのかもしれないが、その点で、高橋との良い相互作用があった。

ことばの響きという点でいえば、たしかに中国語・台湾語と日本語とのコントラストがおもしろさとなって昇華していた。それは、一音節内で高低昇降やストレスがある中国語(*1)(しかも標準語は四声、広東語は九声、台湾語は八声と変化様式の声調がまるで異なる)とそれがない日本語とのちがいにも起因する。林理恵のファニーな個性と中華系のことばとは一体となって魅力を発揮した。いっぽうの沼尾翔子は、日本語の特性に沿って動き、ことばが音声となって世にあらわれるところを手でそっと撫でるかのような独自表現でその特性を際立たせた。昨年のライヴを観た吉久昌樹(ギター)は、沼尾について「なにか他の楽器を演っていた人にちがいない」と話したのだが、それも彼女の表現の方法論と無縁ではないにちがいない。

テリーのサックスはアジア的にやわらかくもあり、また意外な面もある。オブリガートで歌を引き立たせる通常の歌伴だけではなく、沼尾の歌う主旋律を彼女とともに吹くユニゾンはとても効果的だった。

2024/6/20(木) 大塚bar地底

Minyen Hsieh 謝明諺 (tenor saxophone, soprano saxophone)
MIYA (flute modular, 能管)
Risa Takeda 武田理沙 (synthesizer, drums)

派手に絢爛豪華なサウンドを花開かせる武田理沙が隣にいて、しかもかなり近距離からの反響がライヴな独自の音環境である。テリーとも武田ともはじめての手合わせとなるMIYAのみマイクを使ったが、この環境下では武田の音もテリーの音も拾ってしまう。立ち位置のバランスを試したうえでリハーサルが入念に行われた。あとは個々の技量しだい、のるかそるか。本番でも三者は自身の音をいろいろと試す。もちろんそのプロセス自体がフリー・インプロヴィゼーションの醍醐味である。

MIYAの演奏に驚いた者も多かっただろう。モジュラーのもつ「未来」という引き出し、モジュラーによるフルート音の解像度向上、予測不能な船からのフルートへのフィードバック(*2)。音情報は笛からの一次、場の反響やモジュラーを通じた二次、そして共演者とのインタラクションが共存する。さまざまな音がつねに意外なものとしてこちらに届いてくる。

武田は電子音の雲の中から鍵盤という手裏剣を飛ばし、場と自分自身を鼓舞し続ける。セカンドセットの執拗なドラミングの攻撃もしかり。そのコントラストはMIYAのものとはまたちがう。

このような混沌とした場でのテリーのダンスはさすがである。風を起こして雲を動かし、雲を切り開く。ときにコルトレーンの影も射していた。

2024/6/23(日) 水道橋・Ftarri

Minyen Hsieh 謝明諺 (tenor saxophone, soprano saxophone)
Keiko Higuchi ヒグチケイコ (voice, piano)

異色のデュオである。

ファーストセットでは、ヒグチは立ち上がり、多様なヴォイスを放つ。その発声プロセスが口腔中心主義ではないところに驚かされる。彼女は身体全体を動かし、それにより気付きを得たかのように別の音を出す。演奏後に訊いてみたところ、身体におけるなにかの流れと連動して発声しているのだという。なにかとは血かも澱みかも意識かもしれない。いっぽうのテリーは短い撥音のフラグメントを次々と出し、その粘りと勢いとがヴォイスの変化に相対する。

ヒグチはセカンドセットになりピアノの前に座った。響きを使うということは音が発生する場にのみとどまらず流れにも乗るということであり、ときに笑顔を浮かべていたのもそれゆえのことかもしれない。テリーもまた音価を長く取り、ふたりの響きが重なった。

切り詰めたシンプルな表現による大きな刺激があった。

(*1)朱新建「中国語と日本語の音声の比較―中国語学習者の発音とヒヤリングの指導のために―」『語研紀要』(愛知学院大学、1995年 20-1:135-152.)
(*2)拙稿「インプロヴァイザーの立脚地 vol.21 MIYA」(『JazzTokyo』本号)

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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