#1317 ザイ・クーニン 2024年の東京
Text by Akira Saito 齊藤聡
Photos by Akira Saito 齊藤聡 (front photo on 6/21, 7/10, 14) and Tatsunori Itako 潮来辰典 (6/21)
2024年6月21日(金) アトリエ第Q藝術(成城学園前)
Zai Kuning (changgoh, dance)
Makoto Kawashima 川島誠 (alto saxophone)
Takashi Seo 瀬尾高志 (contrabass)
2024年7月10日(水) 公園通りクラシックス(渋谷)
Zai Kuning (changgoh, dance)
Otomo Yoshihide 大友良英 (guitar)
Ko Ishikawa 石川高 (笙)
2024年7月14日(日) 公園通りクラシックス(渋谷)
Zai Kuning (changgoh, dance)
Shunichiro Hisada 久田舜一郎 (小鼓, 声)
Takashi Seo 瀬尾高志 (contrabass)
ザイ・クーニンはマレー系のシンガポール人であり、多くのタブローやインスタレーションを創造したアーティストである。代表作のひとつが巨大な船《ダプンタ・ヒャン:知識の伝播》であり、2017年のヴェネチア・ビエンナーレに出展された(現在、金沢21世紀美術館所蔵)。ダプンタ・ヒャンは7-14世紀に存立したマレー系シュリーヴィジャヤ王国の初代王であり、この名前が作品に付けられた背景としてふたつの理由が挙げられる。ひとつは、シュリーヴィジャヤ王国がマラッカ海域を中心として島嶼部の海道の交易を支配したコスモポリスの港市国家であり(*1)、ザイもまた同域の研究を深め、想像力を通じて作品作りをしてきたこと。そのありようは、文化人類学者・鶴見良行のいう「権力の基盤を人間に置く移動分散型社会」(*2)でもあっただろうと筆者は考える。ふたつめは、コントラバス奏者・齋藤徹のことばに触発されたことをきっかけに、「黒潮」(Ombak Hitam)という観点でのコラボレーションを展開してきたことだ(*3)。
船が解体収蔵された際、その骨組を結わえていた紅い紐は集められ、晩年の齋藤との共演時にザイの手によってその場にばら撒かれた(信濃国 原始感覚美術祭2018)。紐はいちどはどこかに消えてしまったものの、ザイはふたたび紐を作り、昨2023年のライヴ(サックスの川島誠とのデュオ)でも、また今般の一連のライヴでも使ってみせた。かれは自身の表現について「音楽」や「踊り」ではなく「儀式」(ritual)ということばを使う。ザイのパフォーマンスの中に広く「儀式」を想起させる要素があるにせよ、すでにこの世を去った齋藤を悼む個人的なものにせよ、アートの表現はつねに個人的なものである以上、そこに本質的なちがいはない。そしてステージ上において、紅い紐が超自然のなにものかをザイだけでなく観客個人の裡にも引き寄せてみせた。畏怖というものは明に理解できないためにあらわれる。
ザイがチャンゴを叩きつつ発するうたも、やはり島嶼部で使われていたものだ。たとえばスマトラ島において陸と海とでコミュニケーションを図るとき、遠い距離ゆえ、かれらは母音だけを用いたという(陸域と海域がインフラでつながったのはせいぜい19世紀以降のことだ(*1))。すなわち、シャーマニックなものを想起させる表現は日常生活の延長でもあり、かつ、やはり明な意味をもつものである必要はない。ザイ自身も、うたは逐語的であるべきものとは限らず、感じずに理解しようとすればそれは逃げてしまうのだと話す。それは、ことばを使うコミュニケーションにおいても、だ。ヴォイス・パフォーマーのローレン・ニュートンは、声の表現においては歌詞や明な意味といった言語作用が本質ではなく、音こそがサウンドへの橋渡しや普遍的な基層なのだと書いている。ローレンとザイとでは表現の方向性が異なるようだが、共通するものをみているにちがいない。
「After doing some deep-listening research into aspects of words that go beyond the familiar purposes as named above, I began to recognize certain musical qualities and phonetic aspects of words that I hadn’t noticed before. Those include rigidity, density, smoothness, degrees of transparency and magnitude of sound vibrations and can be clear-cut or poly-semantic. I began to hear them as little bridges. What I mean is that the tone not attached to or dominated by a word is the bridge or common ground connecting me to the sound of an instrument.」(*4)
チャンゴの奏法については、韓国の伝統的なものではなくマレーの叙事詩ガザルの影響を、そしてザイの父クーニン・スライマンのガザルはパキスタンの宗教歌カッワーリーの影響を受けているという。じっさい、韓国のチャンゴ演奏にあるスピードや「長短」とは明らかに異なるものだ。また、カッワーリーの巨匠ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンは、「ガザルもカッワーリーの手法で歌えばカッワーリーだ」と発言しているが(*5)、少なくともザイのうたとは互換性のある方法論ではない。カッワーリーが心をトランス状態にもってゆき神と一体化する目的をもったもの(*6)であるのに対し、これは彼岸ではなく此岸にある。
そのうえでザイがマレーの伝統的なスタイル(「Asli」や「Zapin」)から敢えて脱し、個人的な方法論に基づく奏法を選んだということは重要だ。ザイのそれが必ずしも「音楽」や「踊り」の文脈に沿ったものではなく、まるでかれの思索や瞑想が進む濃淡に沿ったもののように感じられたのも、個人的な方法論のゆえだろう。そこに生まれるのは通常のグルーヴなどではない。
もちろん、ザイは自分の中に閉じこもっているわけではない。共演者との交感により、それぞれの時間の流れがときに合流し、またときにエネルギーを集めて共に飛翔する。その意味では川島誠(サックス)もまた演奏のたびに自己の内部を手探りするプロセスを音にしながらも共演者とも心を通わせる人であり、ザイとの共演が良い成果を生むのは必然であるように思えた。
瀬尾高志(コントラバス)の共演は、ザイが齋藤徹と同じ世界をみてきた人を望んだゆえのことである。だが、結果として瀬尾が齋藤とはまったく異なる個性をもっていることが明確にあらわれた。力強さはもちろんのこと、邦楽器を思わせる妙なる音色を出したのは嬉しい発見だった。
ザイとは久しぶりとなる大友良英(ギター)の経験値はやはり大きい。音の密度の濃淡をみごとに制御し、たゆたう音空間を作りつつここぞというところで硬い石のような響きによってサウンドを締めた。石川高(笙)は三次元的な音空間を構築し、一方で笙に息をするどく吹き込んで音のくさびを作りあげてみせもした。
能楽の巨匠・久田舜一郎のことを、ザイは親しみをこめて「ポンポン」と呼ぶ。それは久田の小鼓を擬音化したものだが、公演の直前になって久田が転倒して肩を打ち、小鼓の演奏にドクターストップがかかってしまった。もちろん能楽においては多くの役割分担がなされているが、小鼓方とはいえ叩くことに限定はなされていない。久田は「声」で参加すると宣言した(とはいえ我慢できなくなったのか、本番では小鼓も叩いたのだが)。能楽の声には、独特のイントネーションや抑揚がついた詞、声楽の謡、空気を切り裂く掛声などさまざまな貌がある。
久田が選んだ能楽の演目はふたつ、加えて宮沢賢治のテキスト<疾中>も読んだ。<葵上>は『源氏物語』における愛の確執の物語、<鵺>は猿の頭、虎の手足、蛇の尻尾をもつキメラの物語である。前者には生霊、後者もまた鵺が亡霊となる。そのような業を背負った存在のかなしさを、久田が野太い声で朗々と語る。一個の人間にはどうにもできない運命の重さと深さ、それに対してザイもまた「もののけ」をイメージして相反する力の矛盾を表出し、瀬尾が柔軟に別の語り部となった。やはり、「音楽」や「踊り」のグルーヴとはちがう。
もとより韓国であれ東南アジアであれ、アジアの巫(かんなぎ)の儀式における主役は神のような高次の存在ではなく小さいムラの住民たちであった(*7)。能楽もかつては滑稽芸や呪術を含む民衆のものだった。ジャズや即興音楽については言うまでもない。そして、広域移動と異文化の遭遇はいまにはじまったことではない。シャーマニックな表現もまた彼岸ではなく此岸にあるのだ。生霊も亡霊もわれわれのものだ。
(*1)弘末雅士『海の東南アジア史―港市・女性・外来者』(ちくま新書、2022年)
(*2)鶴見良行『海道の社会史』(朝日新聞社、1987年)
(*3)拙著『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』(カンパニー社、2022年)
(*4)Lauren Newton『VOCAL Adventures – Free improvisation in Sound, Space, Spirit and Song』(Wolke Verlag、2022年)
(*5)関谷元子によるインタビュー「ヌスラットがリラックスして語ったカッワーリーの真実」(『季刊ノイズ』第6号、1990年)
(*6)関谷元子「ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンをとことん聞く」(『季刊ノイズ』第5号、1990年)
(*7)野村伸一『巫と芸能者のアジア』(中公新書、1995年)
(文中敬称略)