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Concerts/Live ShowsNo. 318

#1325 植川縁 2024年夏ツアー

text by  野田光太郎  櫻井一也
photo by  野田光太郎. 櫻井一也

2024年8月、オランダ在住のクラシック・現代音楽系の即興サックス奏者、植川縁(as, ss, suling)が帰省し、日本各地で演奏ツアーを行った。日程全体は以下の通り。*は共演者である。(文中、出演者は敬称略)

8月8日 「阿佐ヶ谷天」(東京・阿佐ヶ谷)*薬師寺典子(voice)
8月10日 『どうぶつおんがくたい』(滋賀)
8月23日 「Bird」(広島)*テルピアノ[照内央晴](p)庄司勝治(sax)
8月28日 「ハートストリングホール」(宮崎) *黒木裕太(dance)香川直美(naomix)川野智博(trombone)
8月30日 「Cool jojo」(千葉・本八幡)*テルピアノ[照内央晴](p)Kagari(dance)森下こうえん(身体)
8月31日 「山猫軒」(埼玉)*テルピアノ[照内央晴](p)庄司勝治(sax)
9月1日 「810 outfit café」(東京・武蔵境)*香村かをり(korean perc)ノブナガケン(drums, perc)
9月3日 「in F」(東京・大泉学園)*中尾勘二(ss, trombone, cl)吉田隆一(bs, fl, bfl, etc)クリストフ・シャルル(electronics)
9月5日~8日 『別所温泉芸術祭-Zero-3』(長野・別所温泉)
9月9日 「ヴィオロン」(東京・阿佐ヶ谷)*しばてつ(p, 鍵盤ハーモニカ)山崎慎一郎(g)山下渉(g)平松カオル(ss)

このうち9月9日の「ヴィオロン」はツアー中に急きょ決まったものである。またテルピアノ[照内央晴]、庄司勝治とのライブは「山猫トリオ」名義として新たに制作されたCDアルバム『闇を駆け抜ける猫たち』(Wildcat House)の発売記念として行われた。さらに付言すると、8月8日の阿佐ヶ谷天は「天voice」と銘打って、9月1日と3日のライブは「And the music continues to evolve vol.31」「同 vol.32」として、それぞれ筆者(野田)の企画で行ったもの。この中から8月8日、9月1日、9月3日のライブについて野田が書き、8月30日については熱心な音楽・ダンスファンである櫻井一也さんに寄稿していただいた。また櫻井さんには写真もお寄せいただいた。この場で深く感謝を述べさせていただく。

まずは8月8日、「阿佐ヶ谷天」。私が「声」をテーマに複数ジャンルの出演者を募っており、サックスを吹きながら声を出す奏法を得意としている植川に出演を打診したところ、折よくベルギーから来日中の薬師寺典子とのデュオを提示されたのが事の成り行き。どちらもベルギーのゲント王立音楽院の現代音楽科で学んだ経験があるという、アカデミックな背景を持つ二人が、東京の最もアンダーグラウンドなライブ・バーに登場するという、面白いシチュエーションになった。ちなみに他の出演はヴォイス・パフォーマーのcixa、弾き語りの栗原優、ヴォイスとポエトリーの「コーラ」とヴォイスとラップとエレクトロニクスの村上裕によるデュオのセッション(弾き語りのアンカライズは都合により欠場)。どの出演者も特筆すべき内容だったが、ここでは植川・薬師寺デュオについて記す。

まず薬師寺のつやと張りのあるソプラノの美声はさすがに専門的な修練を積んできただけのものがある。そこに植川のソプラノ・サックスによる同じく美麗な音が層のように重なりあい、共鳴作用を起こす。また声によるオノマトペ的な手法や幼児の喃語(バブリング)を模した表現なども、これらを駆使する数多くのパフォーマーがある中で、かなりの精度を感じさせるものだ。それにもまして植川の巧みなサックスさばきに驚かされる。オランダに移住する前の演奏を上回る音の密度と滑らかさ。スリン(suling)というインドネシアの笛も使うが、こちらも確実に切れ味と響きの稠密さを増している。

二人の熱演に客席からは思わずアンコールが巻き起こり、次は能の「謡」を思わせる引用から、日本的な音階を用いた演奏へ。和の幽玄な情緒を濃厚に漂わせつつ、一方ではそれがクラシック~現代音楽を経てきた精密なテクニックで構成されているのが新しさを感じさせる。ちょうど大河ドラマでやっている源氏物語に出てくる六条御息所の生霊を思わせる、妖しげなムード。即興の経験はあまり多くないという薬師寺だが、持てる力量を十分にふり絞ってくれた。そして植川の粒だったサックスの音色とめくるめくスピード感、自分の表現を貫く泰然自若とした存在感に圧倒された一夜だった。

   

(撮影:野田)

9月1日「810 outfit café」
植川縁(ss, suling)香村かをり(korean perc)ノブナガケン(drums, perc)

ノブナガと植川のデュオ。無の境地を叩きだそうと一心不乱に努めるがごときノブナガと、いたずらっ子のように好奇心を露にして「ちょっかい」を仕掛けていく植川。対照的な二人だが、コール・アンド・レスポンスで音の対話を積み重ねていくアプローチはわかりやすい。当意即妙に返事を返しつつも自分自身の流れは途切れさせないノブナガはさすがだ。淀みのない連歌のごとき軽やかなやり取り。

それに触発されて植川もギアをあげていく。どことなくアジア風の短いフレーズをぶつ切りに繰り返しながら、それらを変調させ増殖させ、錯綜させていく手並みは理知的だが、サックスの響きはクリーンでありながら決して無機質ではなく、かなりに肉感的であり、作業にのめり込むにつれて次第に激しく熱していく姿は、十分にパッショネイトだ。現代音楽につきまとう頭でっかちの貧弱さというイメージはここにはない。

対するノブナガは「阿・吽」のように聴こえる最もシンプルなリズムを基底にしつつ、自在にタイミングをずらしたり、間を伸び縮みさせたり、音の大小・強弱でアクセントを付けたりするが、それらがまったくトリッキーに聴こえない。おのずから沸き上がってくるリズムの揺らぎは作為的なものを感じさせず、瞑想ならぬ「瞑奏」とでも言いたくなるほど。微弱な音にもしっかりとした芯があり、一方で不意に強打してもむだな濁りを生じない。また打楽器なのに音色にも豊かな表情があり、さながら寂・滅・為・楽の音を叩き分けるごとしだ。達人という言葉は安易に使うべきではないが、彼についてはそう呼びたくなる。

それにしても植川のソプラノの音色は渡欧前よりさらに輝きを増している。オランダでも充実した演奏ができているのだろう。意識の深みへ沈潜するほどに鋭さを増しながら、ふと思い立って和やかなメロディを紡ぎ出すと、爽やかな風が吹きわたるような心地が訪れる。フリージャズのサックスとは大きく異なる発想で組み立てられている演奏だが、現代音楽に特徴的なテクニックを矢継ぎ早に羅列しているわけでもない。一つ一つの音や奏法の可能性を十分に引き出し、場に試し、磨きをかけていく。より強く、滑らかに、純度を高めつつ、音の太さやかすれを微細に、また的確に変位させる。

続いては香村と植川のデュオ。植川はスリンを吹く。先ほどとは打って変わって祭りばやしのようなにぎやかで派手な出だし。金属打楽器から両面太鼓へと、息つく間を与えぬような香村のラッシュだが、植川もひるまず吹き続ける。疾走する連打の合間にふと、音を途切れさせ、相手の呼吸をうかがう香村。植川は一心不乱に走り続け、突っ走るかと思いきや、自らの意思ですばやく方向転換。その消長を見極めて香村が再び激しく煽り立てる。植川がサックスへ持ち替えると、二人はさらなるリズムのアップダウンを交えてダチョウのように加速する。躍動感と祝祭性にあふれたクライマックスから断ち切るような幕切れへ。お互いの力量と存在のありようを身をもって確かめ合った、「手合わせ」といえる鮮やかなセットだ。

次はいよいよトリオでの演奏。シンプルな音のキャッチボールから次第に自己の領域を広げていき、それぞれが自分の道を進みつつ、その背後では無数のやり取りが飛び交うという、きわめて高度でありながら、外観はシンプルな展開。ここでもノブナガの懐の深い、ミュートを巧みに織り交ぜた、川のせせらぎのごとく自然で、しかも緩急自在で千変万化のプレイが大きな存在感を示す。いい意味で「水は方円の器に従う」ということを知る。そこへ香村は朝鮮の伝統の中から学んだ考え方を音に乗せて突き立て、試し、測り、こちらも残響と、逆に響きを殺した音とを使い分けつつ、リズムの解けない謎へと忍び入っていく。ノブナガが一音の中にリズムを感じさせるとしたら、香村は体内に沸き立つ無音のリズムを静寂のはざまへ移し替えようとするかのようだ。

ソプラノ・サックスで東南アジア的な?フレーズを繰り返しつつ、休符を取っては変奏していく植川のアプローチは、二つの打楽器の楕円を描く絡みを活かしている。あたかも寿限無寿限無・後光の擦り切れ・・という風に反復と変奏を伸ばしていく、その輝く音色は大いなる光に包まれるごとく悠然として、だが突如として険しく直角にしぶきを上げる。あれこれの技を繰り出すのではなく、一つの奏法にある可能性を組み尽くそうとするスタンスは、不動の説得力を帯びてくる。

休憩を挟んでのセカンドセットでは、このトリオがさらに融通無碍の演奏を繰り広げる。打楽器は中国のお祭りで使う銅鑼に似たサウンドを基調にした、それ自体はシンプルな展開なのだが、緩急の波のうねりがさらに大きく微細になっており、そこへ演奏を果敢に引っ張る植川の大胆さ、太い音色で素朴に歌い上げる風でいて、精緻に雑味を抑え引き締まったサックスと笛、その開け放たれた精神の囚われのないまっすぐさが、祝祭空間をより大きなスケールで現出させる。特にアルト・サックスは唯一無二の澄みきった境地を極め、共演者に無限の活力を与える。香村の地の底から突き上げるような、髪を振り乱してのシャーマニックなアプローチに触発されてか、ノブナガが珍しく浮き立つようなリズムを叩きだす。お互いの資質の表と裏にあった静けさと激しさが入れ替わり、「照応」と言うべき現象が起きた。型をなぞるのではない、魂の奥底から湧き上がってくるアジア的なリズムの、揺れに揺らぐ遊興なる悠久さ。風が吹き抜け、雷撃がとどろき、天上の鳥が鳴き、雨が降る。幻視が行き過ぎたのち、奉納する対象を何者か知らないままでの奉納、芸能が起こる以前の古の「芸」と「能」の起源を垣間見た気がした。

企画した私の予測をはるかに超えた、この三人でしか起こりえない絶妙なる合一を生じせしめたステージだった。特に香村との共演は植川のたっての望みだったが、ガムランとの共演を長く続けていることからくる興味や嗅覚だろうか、その慧眼には今さらながら感心させられる。

 

 

   

(撮影:櫻井、集合写真除く)

9月3日、大泉学園「in F」
植川縁(as, ss, suling)中尾勘二(ss, trombone, cl)吉田隆一(bs, fl, bfl, etc)クリストフ・シャルル(electronics)

この日の出演者はそれぞれの領分で名の通った実力者ぞろい。だからといって彼らと共演してもらうことでまだ無名な植川に「経験を積んでもらう」とか、ましてや「箔をつける」ということが企画の意図ではない。サックスで高度な即興のアンサンブルができ、それでいて型にはまらない自在さを追求してもらうために、必要なメンバーを選んだものだ。編成はスティーヴ・レイシーらの『サクソフォン・スペシャル』(EMANEM)の一部を参考にした。

ファーストセットは私の発案でクリストフ・シャルルのエレクトロニクスを基調に三人のソロを回してもらい、最後に合奏という形で。こういう段取りがいいのかわからないが、エレクトロニクスを入れた意義を場になじませたいという気がしたのでお願いした。それぐらいシャルルの作り出す音響はすばらしく、ごく限られた機材なのに、まるで狭い店内が「シアター」になったような臨場感がある。なんの変哲もない店内に突如どことも知れない異空間が現出するのだ。沼や排水溝、伐採現場など様々なフィールドを思わせる環境音の上に、比較的シンプルな電子音が乗るのだが、音の遠近法や大小が織りなす「ひだ」、残響成分の配分が熟慮されており、ランドスケープに関するイマジネーションをかき立てられる。ゆえに、それを耳にする者の認知機能が変容するのだ。またそこには一見判別しがたい隠れた「テンポ」が設定されているようで、ひたひたと迫ってくる電子音のなかで時間感覚をも知れず知らずに変調する。

異様な緊張感に包まれながらの植川のサックスソロは尋常でなく、今まで聴いたこともないほど激越なものだった。驚嘆すべき加速度ときりもみ状の求心性、それでいてすばらしい伸びやかさと「歌」を感じさせる、硬質にして優美なソノリティ。両者、音に音で対峙するというよりは、相手のサウンドの暗示するフィーリングや連想が生みだすメンタリティに素直に反応した演奏だった。次いで吉田がバリトン・サックスで出る。ジャズの伝統にどっかりと根を下ろした、たくましくもまろやかな、熟成されたブランデーのごとき滋味に満ちた節回し。かと思えば一転して倍音を複雑に組み合わせた音響兵器のごときすさまじい異音を発生させる。まるでクジラの咆哮のようだ。バリトンという巨大な楽器の内部で空気の震えを縦横無尽に駆使する技は半端ではない。エレクトロニクスを意に介さず朗々と己の歌心を貫く、というようでいて、ノイジーな局面では干渉波のように競りかけたり、覆いかぶせたり、入り乱れたりと、両者の駆け引きは緊密だった。

最後は中尾のクラリネット。これまでの二人とは一転して、クラリネットで電子音を模倣するかのような奇妙奇天烈なアプローチ。ベルを足でミュートして故意に音階をあやふやにしてしまう、息の量をせわしなく変動させて極度に音程を不安定にするなど、普通はまずお目にかかれない特異な奏法を用いて、クラリネット本来の音色とはかけ離れた曖昧模糊とした音を出し、電子音ににじり寄っていく。さすがに自らの演奏を「形態模写」と称するだけある。異なるタイプの楽器に対する自己の「対置」ではなく「同化」。そこへ他の二人が楽器を持ち換えてフルートや笛で入ってきて、ここからどう展開するのか?という余韻を残した感じで休憩へ。

後半はまたしても私の思いつきで、最初に管楽器のトリオから出てもらい、頃合いを見てエレクトロニクスが介入していく構成に。サックス同士のアンサンブルでは吉田がバリトンの低音でリズミックあるいはメロディアスな素地を固め、植川はそこにカウンター・パートや装飾音をぶつけるか重ね合わせていき、中尾のソプラノは狂犬病にかかったニワトリのような異様なサウンドでせわしなく駆けずり回る。まさに「即興=作曲」というべき方法意識が明確だ。エレクトロニクスが金属打楽器にリヴァーブ等のエフェクトをかけたサウンドを提示し、吉田のフルート・笛類と植川のスリンによる密度の濃い絡み合いへ。プリミティブな民俗音楽を模し、それらを現代的な技術で再構成したような印象を受ける。掛け合いが白熱するほどに、次第に神秘的なムードが漂い、「即興=無意識」というべき世界へのめりこんでいく。サウンドの親和性の高い二人に対し、中尾は距離を置いたスタンスでトロンボーンを用い、どこかとぼけたような断片的なフレーズをふりまく、この辺のアプローチもじつに面白かった。共演者がメチエによる構築に没頭しているのを横目に、奇矯な音の佇まいという存在そのものと化して振る舞う中尾のカメレオンのごときスタンスは興味深い。

終盤は再びサックスを中心としたアンサンブルへ。ビバップに由来するギザギザとしたフレーズにはロング・トーンのストリングスのような緩やかなグリッサンドを、現代音楽を思わせる幾何学的な音の散乱にはデューク・エリントン楽団を思わせるようなおおらかな節回しを充てるなど、語法の「両替」が行われる。すさまじい音響の強度と何層もの錯綜がありながら、どこか醒めた静けさを感じさせる、思索的で知的な演奏。個別には目まぐるしく動きながら、全体としてはゆったりとしたテンポと、巨大な地滑りを思わせる「非在の」基調音を予兆させる。とても即興とは思えぬ完成度で、やはりというべきか、ヨーロッパのフリージャズ・アンサンブルを思わせる雰囲気が強いが、その有機的結合は現代的な多面性と機動性を持っており、現象面ではどんなに激しくとも、決して攻撃的でも破壊的でもなく、微光に包まれるような、どことなく温かな手触りが感じられる。質的に傑出しているだけでなく、ヒューマンな懐の広さのある、じつに不思議な演奏だった。

 

(撮影:櫻井)


(撮影:野田)

 

〈特別寄稿〉 櫻井一也

8/30、本八幡 cool jojo。”奇跡のユニット チーム照内” 照内央晴(pf)植川縁(sax,suling)Kagari(dance)森下こうえん(身体)

ミュージシャン2人、ダンス2人のヘンタイユニット。2022年5月の初演からこの日で5回目(たぶん)。

植川さんが台風の影響で宮崎空港で足止めになってしまい、参加できない可能性が濃厚だったのですが、奇跡的にキャンセル待ちで飛行機に乗れた~!との連絡が直前に。しかし、羽田に着いたら、なんと荷物は別の空港に(-_-;)・・・なので、植川さんは楽器なしで途中から参加。

1st、照内さん、弦の上に板状のものを載せて低音部をガンガン叩く!もの凄い響きです。そこに布を被ったKagariさんがゆっくり入ってきて、さらにこうえんさんがズルズルと這いつくばってきて、ゆっくり踊る。こうえんさん、遊行僧のような静かな佇まい。Kagariさん、会場の絵をバックにゆっくり美しく舞う。絵と一体化した美術作品のようです。照内さん、突然演奏をストップし、静かに立ち上がって亡霊のようにフラフラとセンターに。無音の中、亡者3人の不思議な踊り。そこに、音もなく入ってきた植川さんが、あ~~~っ!と大きな声を。さらに床にゆっくり座って坐禅のような祈りのポーズ?

2nd、丸メガネのこうえんさん、半透明のベールを被ったKagariさん、ゆっくりからんだり、ユーモラスだったり、激しく踊ったり。植川さん、マッピのないssを吹いたり、しゃもじを二本持ってカチカチしたり、声を出したり。声楽家のような、しっかりしていて存在感のあるヴォイスです。実は音大で声楽も習ってました~ということです。最後は照内さんがしゃもじを持ってあちこち叩いたり、ダンサーを追いかけたり、「お笑いしゃもじプレイ」全開(笑)最近はちょっと控えていたようですが、久々に拝見しました。

適度な広さで、音の響きもいいし、インテリアや壁の絵画もセンスがいいし、近くにあったらもっと頻繁に行きたい店です。

(撮影:櫻井)

野田光太郎 

野田光太郎 Kohtaro Noda 1976年生まれ。フリーペーパー「勝手にぶんがく新聞」発行人。近年は即興演奏のミュージシャンと朗読家やダンサーの共演、歌手のライブを企画し、youtubeチャンネル「野田文庫」にて動画を公開中。インターネットのメディア・プラットフォーム「note」を利用した批評活動に注力している。文藝別人誌「扉のない鍵」第五号 (2021年)に寄稿。

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