#1352 足立正生監督『逃走』
text by Roppei Iwagami 岩神六平
かつて街角のいたるところで指名手配犯として目にしていた、連続企業爆破事件の被疑者として知られる「東アジア反日武装戦線“さそり”」の元メンバー桐島聡。藤沢の工務店で数十年間偽名で住み込みで働いていたが、昨年1月、末期がんで担ぎ込まれた鎌倉市内の病院で4日後に死亡した。死の間際医師に「桐島聡として死にたい」と訴えたというニュースが報じられ、驚くと同時に非常に考えるところもあったのだが、日本赤軍の元メンバーでスポークスマンでもあった足立正生監督が早くも映画化したという案内があり、「逃走」の完成試写会に行ってきた。新宿ロフトグループの総帥、平野悠がエグゼクティブ・プロデューサーとなって肩入れする映画だが、昨年夏にはクランクイン~クランクアップ~公開(本年3月)というスピードにも驚かされる。
60年代後半から70年代の新左翼活動を扱った映画としては昨年公開された代島治彦監督の「ゲバルトの杜~彼は早稲田で死んだ」が記憶に新しいところだ。映画は普段ほとんど積極的には見ないのだが、この映画は否定的に煽ってこられる方がいて逆に気になって観に行ってしまった。この映画については今初めて触れるのだが、何と言うかやるせないというかつまらん物を見てしまったというのが正直な気持ちだった。うまく言えないのだが、リアルに描こうとして逆に表現が陳腐で恥ずかしく見えてしまうとでも言うか。鴻上尚史まで引っ張り出してなんだよこのリンチシーンは?!何が描きたいか分からない中途半端さが、監督の意図とは関係なく逆に「早稲田の杜」にせよ何にせよ当時の学生運動・新左翼、大学当局と警察、体制側も何もかもの問題点があぶり出されている感じがしたのだった。
足立監督の「逃走」はそういった空虚感の無い吹っ切れた作品だとは思った。桐島聡の何十年もにわたる逃亡生活を本人に聞き取ることもできない中でよくこの脚本が出来たと思うが、関係者にももちろんできる限りの取材はしたのだろう。でもこのスピード感は、「早稲田の杜」の様にリアルに描くというより、監督は自らの思いや体験を主人公と重ね合わせることで、ストーリーを創作していったのではないかと勝手に想像しながら映画を受け入れることが出来た。「革命」とか「闘争」がテーマというよりまさに「逃走」の人間模様を描いているので、いや、それでも自らとの闘争とはいえるのか?足立正生も国際指名手配されレバノンで逮捕抑留され、刑期を終えて日本に強制送還された過去がある。この間、様々な局面や心境を経てきたのだろうと思いを致した次第。
個人的には、デジタル化やマイナンバーカードに代表されるように、世の中が隅から隅まで管理され記録されて、あいまいな部分、闇の部分を認めまじとされてきている現代、自分にとっては隣町の様な藤沢で逃走を貫徹した指名手配犯がいたということはむしろ、天晴れ!と感慨を新たにすることとなった。これは映画とは関係ない話ではあるが、若い時から自分は何かから逃げている意識があって、夢でも今に至っても一番見る夢がとにかく何かに追われて逃げている夢なんだ。足立監督のとあるインタビューにまったく同じような一文を見つけたので、引用しておこうと思う。以下「(帰国後のこと)昔だったら街の中を歩くとここからあそこまで行くのにも途中で幾つも暗闇があったのに、今はすべて光の流れの中で輪になってしまっている。これは危ないのではないか、と。(中略)本質は変わっていないだろうと思っていたら、実はコントロールそのものが進行してしまっていた。(後略)」
桐島聡は僕より4つ下だ。これはあくまで個人的な意見としてだが、学生運動、新左翼運動などと時代の潮流だと言っても69年にはもう行く末は見えていたと言っても良い。少なくとも自分はいくら世の中にたてついていても全て無意味だと、勝ち目は無いとどこかで感じるようになっていた。70年には映画「Easy Rider」が公開され、Steppenwolf のBorn to Be Wild が好きだった自分は主題歌として使われた「ワイルドに行こう」の邦題からもヒッピーや旅するバイカーをヒーローにした映画だろうぐらいの気持ちで見に行ったのだがとんでもなかった。時代の流れでイイカッコしていてもテメエら関係ねぇと銃をぶっ放されて終わってしまった。全否定されたと感じた。同世代(高校の同級生も)が学生運動などに今さらのめり込んでいくのを横目に、白けつつあった自分に最後通告を突きつけられたと言っても良い。同時期に「俺たちに明日は無い」という映画もあったが、どこかイメージが重なっている。それで新宿を離れてしがらみを断って(実際には断ち切れずにいたが)住み込みでラーメン屋で働いて小金をためてチャリンコ(一応ロードサイクル)を手に入れて地方に向かった。結果、途中経過地点だった筈の呉から広島にたどり着いて何年か過ごすことにもなったのだが、世界を目指す気持ちは全くなかったところが小さいな(笑)。
70年も4年も過ぎた時に桐島やこの時代の若者が何でこんなマイナスの流れに巻き込まれなければならかったのか?純というのか初心(うぶ)というのかいいように騙されたのか。足立正生も何で?日本赤軍に??と言いたくなるが、赤軍を追って若松孝二とドキュメンタリー映画を撮ったその前から自分とは違うベクトルに向かっていたのは人それぞれだ。そして、それは自分にとってもそんなに遠くにいた人たちとは思えないし、ゴールデン街あたりでは同じ空気を吸っていたことでもある。足立監督とは直接の面識は無いが、監督の盟友でもある亡くなられた松田政男さんとは何度かお会いしていて、思い出もある。
で、肝心の映画だが、先に書いたように僕なんかにはどう評価していいのか分からない。でも見ていて少なくとも自分にとっては恥ずかしくならない映画だったとは思う。
なお、高橋伴明監督による「桐島です」も公開を控えているらしい。
そうだ、思い出した!もう何年も前になるが、少なくともコロナの前だ。根津や千駄木をよくうろついていた頃、時々のぞく古本屋(チラシなど置いてもらっていた)で特に買う気も無いのだが何を置いているのか物色していた。品揃えは結構気をそそるものが置かれているのだが、何と「腹腹時計」が目に入った。「本物かあ?」と目を疑ったが手には取ったもののパラパラめくったがそのまま棚に戻してしまった。映画なんて見ても見なくても同じ(そう、「Easy Rider」以降、色々なことが無意味と思うようになった)と同様、本なんかも読んでも読まなくても同じとある時から念じていたこともあるが、今考えれば話のネタに買っておいても良かったかな…と。何処か爆破する気など毛頭ないが。
映画「逃走」
企画:足立組
監督・脚本:足立正生
出演:古舘寛治
エグゼクティブ・プロデューサー:平野悠(ロフトプロジェクト)
統括プロデュ―サー:小林三四郎(太秦)
アソシエイト・プロデュ―サー:加藤梅造(ロフトプロジェクト)
ライン・プロデューサー:藤原恵美子
音楽:大友良英
撮影監督:山崎裕
使用楽曲:
「DANCING古事記」(山下洋輔トリオ)
「山谷ブルース」、他
https://kirishima-tousou.com/
そう言えば、「ゲバルトの杜」も音楽は大友良英だったんじゃないか?
桐島聡の自問自答ともいえる座禅会のシーンでは、エキストラと言っていいのか、旧知の伊達政保も座禅を組んでいた。
2人、テキストの画像のようです
注:このテキストは筆者のFacebookに掲載されたものを一部削除の上、筆者の同意を得て転載するものです。(編集部)
岩神六平(いわがみ・ろっぺい)
山下洋輔のマネジメント「ぐがんプロダクション」、同じく「テイク・ワン」のスタッフを経て1977年「JamRice」設立。その後 JamRice を退いてロック系に転身、RIKUO、The Groovers、戸川純、P-Modelのパブリシストと並行して岩神六平事務所として多方面にわたるコンサート制作を行う。