#1372 パット・メセニー「ドリーム・ボックス/ムーン・ダイアル」ツアー」at すみだトリフォニーホール
2025年5月27日・28日 19:00開演 すみだトリフォニーホール
text by Tomoyuki Kubo 久保 智之
Photo by Takuo Sato 佐藤 拓央
Pat Metheny (guitars)
「2025年 パット・メセニー来日ソロ公演!」のニュースは、突然やってきた
昨年の2024年1月から2月にかけて日本各地で開催されたソロ・コンサート「Dream Boxツアー」は、それまでのパットのコンサートとはまったく異なる内容で、とても衝撃的だった。
(JazzTokyoでの2024年の来日コンサートのレポートはこちら)
その強烈なインパクトに加え、札幌から大阪まで各地を巡る長期公演だったことなどもあり、「しばらく来日は無いのかもれない」などとも言われていた。そんな中、前回の公演からまだそれほど日の経っていない2025年2月に、再び来日するというニュースが突然舞い込んできたのである。この思いがけない知らせに、ファンの間では歓喜の声が広がった。
2025年の来日ツアーは、5月9日にハワイで幕を開けた「Dream Box / Moondial」アジア・オセアニア・ツアーの一環として行われた。訪問予定国は、「中国(5月16日〜21日)」→「韓国(5月23日〜25日)」→「日本(5月27日〜28日)」→「シンガポール(5月30日)」→「オーストラリア(6月1日)」というスケジュールだった。しかし、パットに急遽医療処置が必要になったとのことで、中国公演(5月16日〜21日)が急遽中止となってしまった。来日公演はその約10日後に控えていたこともあり、日本のファンは気が気でない日々を過ごすことになったが、幸いにも大事には至らなかったようで、韓国以降のツアーは予定通り開催されることとなった。
コンサート当日
開演前。コンサートホールの舞台奥には、黒い布がかけられた大きな本棚のようなものが置かれ、その手前にはアンプや椅子、アコースティック・ギターが並べられていた。観客たちは次々と舞台近くまで足を運び、スマートフォンで写真を撮っていく。やがて開演時間になると、ホール内にパット・メセニー自身の録音による挨拶の音声が流れ始めた。英語の音声は徐々にフェードアウトし、日本語の音声へと切り替わる。その中では、「ソロ演奏について」「チャーリー・ヘイデンとの関係」「アコースティック・ギターでの演奏」「バリトン・ギターについて」など、公演の構成に関わる話が語られた。そして最後に、「今日はきっと驚いていただける内容になると思います」といった言葉で締めくくられると、会場は大きな拍手に包まれた。
いよいよコンサート開始
下手からゆっくりとパット・メセニーが登場した。中央の席に座るとジャケットを脱ぎ、丁寧にアンプの上に置く。ナイロン弦のアコースティック・ギターで静かに、ファンにお馴染みの曲を次々とメドレーで演奏していった。

前代未聞の展開!
このナイロン弦のアコースティック・ギターによるメドレー演奏は、2024年度のコンサートでもオープニングを飾っていたが、ここで2024年の公演とは大きく異なる展開があった。いや、2024年との違いというだけでなく、これまでにはなかったことが起きたのだ。なんと、英語による長い長いMC(通訳なし)が始まったのである(!)。
「これまで50年間、マイクを使って長々と話すようなことは無かったけれど、今日はたくさん話すよ!」
実際、非常に長い時間をかけて、さまざまな話が語られた。この1曲目の後のMCだけでも、5分以上はあったのではないだろうか。
内容は、「トランペット奏者の家系でギターを始めたこと」や「ビートルズとの出会い」「ジャズとの出会い」など多岐にわたる。最後にはチャーリー・ヘイデンとの思い出が語られ、続く2曲目では、チャーリー・ヘイデンとのデュオ・アルバム『ミズーリの空高く』(1997年リリース)からのメドレーが演奏された。
さまざまなギターがつくり出すパット・メセニー・ワールド
3曲目は、スティール弦のバリトン・ギターに持ち替えての〈ソング・フォーザ・ボーイズ〉。バリトン・ギター特有の低音の効いた響きと、強いハリを感じさせる心地よいストロークがホールを満たしていく。
4曲目は、ステージ上手のスタンドに置かれていたTaylorのスティール弦8弦アコースティック・ギターでの演奏だった。『ゼロ・トレランス・フォー・サイレンス』(1994年リリース)を思わせるアバンギャルドな演奏で、頭を振り回しながらギターのラウンド弦をピックでこするスクラッチ・ノイズも交えつつ、次々と刺激的な音を繰り出す。このスタイルをライブで目の当たりにするのは、非常に衝撃的だ。
ちなみに、このギターもバリトン・ギターの一種のようだ。オリジナルのチューニングはA-D-G-C-E-Aだが、中央の3弦・4弦が二重になっており(中央部分だけ12弦ギターのような構造)、そこに1オクターブ高い弦を張ることが多いらしい。ただ、ある情報によると、パットはこれを全く異なるチューニングに設定することもあり、低い方からF-C-D#-E-C#-A#-A#-Aとする場合もあるという。今回のライブで実際にどのチューニングになっていたのかは、残念ながら定かではない。
この日の各ギターはいずれも、演奏前に彼自身が丁寧にチューニングしていたのが印象的だった。しかし、このギターだけは開演前からステージ上のスタンドに置かれたものを、そのままチューニングもせずに手に取って演奏していた。あのアバンギャルドな演奏においては、細かな調律など必要なかったということなのだろうか…。
5曲目では、42弦のピカソ・ギターが登場。
キラキラとした美しい高音と、太く豊かな低音がホールに響き渡る。このピカソ・ギターは1997年のイマジナリー・デイ・ツアーの頃から演奏されていたと記憶しているが、今回のように特徴的なギターが数多くフィーチャーされるコンサートにおいても、依然としてそのビジュアル、そして音色は圧倒的な存在感を放っていた。
本ツアーを象徴する存在ともいえる2種類のバリトン・ギター
6曲目に入る前に、この日2度目となる長いMCがあり、ここでは「バリトン・ギター」についての説明があった。3・4弦を1オクターブ高くチューニングすることで、1・2弦(低域)、3・4弦(高域)、5・6弦(中域)と、まるで三つのギターが重なり合っているかのような響きになるのだという。
6曲目は、そのバリトン・ギターのスティール弦タイプによる演奏だった。3曲目でもスティール弦のバリトン・ギターが使われていたが、こちらは外見が少し異なり、フレットが斜めに配置されたファン・フレット(扇形フレット)仕様のバリトン・ギターだ。曲は、アルバム『ワン・クワイエット・ナイト』(2003年リリース)、『ホワッツ・イット・オール・アバウト』(2011年リリース)からのメドレー。ずっしりと響く5・6弦のベース音がホールに染み渡り、中高域の音とのハーモニーが非常に美しい。さらに続いては、ナイロン弦のバリトン・ギターが登場し、アルバム『Moondial』(2024年リリース)から3曲が披露された。スティール弦とはまた異なる、とても柔らかで美しい音色がホールいっぱいに広がっていった。
ルーパー、オーケストリオン、そして独創的なギターが築く、異次元の音世界
『Moondial』からの曲が終わると、そのままナイロン弦のバリトン・ギターでベース音を弾き始める。そのベース音はルーパーに録音され、やがてそのベースパートをバックに、エレクトリック・ギターでスタンダードの〈カーニバルの朝〉が演奏された。ここから、ルーパーなどを駆使した後半パートが始まる。
続く曲はブルース進行のナンバー。こちらも同様にベースパートのルーパーへの録音から始まったが、このベースパートはチャーリー・クリスチャン・ピックアップの搭載された、アイバニーズPM-200タイプのエレクトリック・ギターの6弦を使って演奏された。このギターは見た目こそ普通のエレクトリック・ギターだが、6弦だけがベース弦となっていて低い音を出せる仕様になっている(一般的なベースの3弦に相当する太さの0.080 inchのベース弦が張られていたらしい)。まさにルーパーで音を重ねることに特化したギターだ。
さらに、ギター1本で音の厚みを出す狙いなのか、ところどころで音を持続させるための特殊なエフェクトもかけられていたようだ。これは、Gamechanger Audio社の「PLUS Pedal」というエフェクターだと思われる。このエフェクターは、ピアノのサステインペダルのように、最後に弾いた音をそのまま伸ばす効果を生むことができる。今回のコンサートでも、この後半のエレクトリック・ギターによるパートのいくつかで、このペダルを使っていると思われる印象的な音が聴かれた。
その後、同じエレクトリック・ギター1本でスタンダード曲〈アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー〉が、ループ機能を使わずにしっとりと奏でられ、もう一曲、再びルーパーを使った演奏が終わると、客席はコンサートのラスト曲が終わったかのような盛り上がりを見せた。…と、その時、ステージ奥の黒い布が取り除かれ、オーケストリオンの姿が露わになった。
パットはステージ上手側でアイバニーズPM-120を手に取り、オーケストリオンに組み込まれたグロッケンやシンバルなどの音をそのギターで操り始めた。PM-120にはローランドのGKピックアップ相当のものが組み込まれており、そこからMIDI信号を送り出して各音色を鳴らせる仕組みになっているらしい。賑やかなオーケストリオンの楽器群とともに、パットは即興演奏を心から楽しんでいる様子だった。
しばらくすると、中央のミニシンバルがリズムを刻み出し、オーケストリオンをバックに曲がスタート。パットはステージ上に立てかけられたベースやギターへ次々と駆け寄り、それらを弾いて音を重ね、バッキング・パートを作り上げていく。曲は3拍子のブルース系で、半音ずつ上昇しながら3回転して元に戻るような構造を持っていた。上手側に置かれた白いボールが「赤→白→青」と点滅し、視覚的にも3拍子のリズムをモニターできるようになっているようだった。
バッキング・パートをひと通り構築すると、パットはローランドのG303ギターを手に取り、GR300のあのギターシンセの音色を響かせる。半音ずつキーが変わる中で鳴らされる、ギターシンセの泣き咽ぶような音とフレーズに、胸の奥を強く掴まれるような感覚になる。そして、6連符のキレのあるフレーズで鮮やかにエンディングを迎えると、ホール内は大歓声に包まれ、観客は総立ちとなった。
アンコール
アンコールでは、ほのぼのとした空気感をたたえた〈メキシコの夢〉が、オーケストリオンとともに演奏された。この曲は、パットのソロ・アルバム『ニュー・シャトークァ』(1979年リリース)に収録されている、ギターの多重録音による楽曲だ。冒頭からエンディングまで、「レソドミ」と「レソシファ#」という二つのアルペジオ・パターンがギターで繰り返されていくが、そこに重ねられるベース音が変化することで、ハーモニーは多彩に移ろい、色鮮やかな表情を見せる。たとえば「レソドミ」のアルペジオは、冒頭ではベースがDであるため「C/D」として響き、Fに変わると「Fmaj9」に、さらにBbに変わると「C/Bb」のような色合いを帯びていく。その巧妙で繊細な変化が、この曲の美しさを際立たせている。『ニュー・シャトークァ』は、もともとギターの多重録音によって制作されたアルバムだが、約50年前に構想されたそのコンセプトが、現代のルーパーやシーケンサーといった技術を通して、ライブ演奏としていま目の前で再構築されているのだと思うと、胸が熱くなる。
鳴り止まぬ拍手の中、スティール弦のバリトン・ギターによるソロ演奏、ナイロン弦のバリトン・ギターによるソロ演奏が披露され、コンサートは締めくくられた。パットは両手を広げ、ニコニコとしながら深くお辞儀をすると、肘を曲げて両腕を脇に揃え、今年もまた走るようにして舞台袖へと引き上げていった。
休憩なしでおよそ2時間30分に及んだこのコンサート。デビュー間もない1970年代の楽曲から、2024年の最新アルバムの曲まで、パット・メセニーというアーティストの約50年間の歩みがギュッと凝縮された、とても濃密な時間だった。
来日前には緊急の医療処置を受けたというニュースもあったが、そんなことは微塵も感じさせないほど、演奏は非常にエネルギーに満ちていた。演目自体は、2024年に筆者が札幌のホールで観たものと大きな違いはなかったように思う。しかし、演奏の質感は明らかに異なっていた。調べてみると、2024年の来日公演の後、アメリカ国内やヨーロッパなどで84回ものソロ・コンサートを重ね、その上で迎えた今回のステージだったようだ。2024年のコンサートの上質さも驚くべきものだったが、今回の演奏は滑らかさもハーモニーの美しさも、それをはるかに凌ぐクオリティだった。70歳を超えてなお進化を続けるその姿には、ただただ驚かされるばかりである。
頂点に立ちながら、なおもストイックにその先を目指し続けるスーパー・アーティスト。
次に挑むのは一体どのような世界なのだろう。本当に楽しみでならない。これからもずっと追いかけていきたい。

パット・メセニー, Pat Metheny, すみだトリフォニーホール
