#1384 『超ジャズ 杉田誠一著作・写真集』刊行記念ライヴ
Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
2025/9/7(日) hako gallery(代々木上原)
Masayo Koketsu 纐纈之雅代 (sax)
Goku Nonaka のなか悟空 (drums)
2025/9/8(月) 同上
Masayo Koketsu 纐纈之雅代 (guitar, vocal, sax)
Kaori Komura 香村かをり (Korean percussion)
ざっくりいうと杉田誠一にはふたつの顔があった。フォト・ジャーナリスト、そして還暦を迎えて横浜・白楽に開いた「ビッチェズ・ブリュー・フォー・ヒップスターズ・オンリー」の店主である。オブラートに包んでも何にもならないので敢えていえば、後者の杉田は「困った人」だった。そのこともあってあまり近づかないようにしていた筆者は、面罵されることも、また出禁になることもなかった。だが、衝突して離れていった人たちのことは何人も知っている。偏っていても曲げることのない杉田の強烈な美意識ゆえのことである。それがフォト・ジャーナリストとしての分厚い見識に支えられていたことは、『超ジャズ 杉田誠一著作・写真集』(カンパニー社)を紐解いてみればいやでもわかることだ。
『超ジャズ』の刊行記念ライヴに出演したミュージシャンは3人。ビッチェズ・ブリューで定期的な演奏機会を得た纐纈之雅代(サックス、ギター、ヴォーカル)と香村かをり(韓国打楽器)、そして出演時のことを強烈に覚えているのなか悟空(ドラムス)である。梅津和時(リード)と多田葉子(サックス)は、ツアー直前にもかかわらず、写真展に顔を出してくれた。
初日はのなか悟空と纐纈之雅代がそれぞれのソロを披露したあと、デュオを演った。
のなかが語った。かつて杉田に連続公演を誘われ、遠くから通うのが大変だと断ると「店に泊まればよい」。その熱意は演者への攻撃的な扇動にも化け、住宅地なのに「もっとでかい音で演れ!」と怒鳴ったという。豪快なイメージのあるのなかだが、プレイは実に繊細でバスドラムからシンバルまでのバランスが取れており聴き惚れる。トータルサウンドの中で、音の丸さは循環となり、楔のように打ち込まれる打音が次の局面を呼ぶ。
纐纈之雅代は、杉田の遺稿集が出たことについて「肉体はなくなっても死んだことにはならない、それは生きているのと同じこと」だと語った。この日のアルトには躊躇がまるで感じられず、楽器のアクセルとハンドリングとが極めて強靭なレベルで併存している。のなかもまた纐纈の演奏に驚き、綺麗さ、汚さ、太さなどが極みを突いていると口にした。
2日目は香村かをり、そして前日に続いて纐纈之雅代がそれぞれのソロとデュオ。
香村が2019年に即興演奏を開始したとき、「やる場所がないんだったら」と声をかけたのが杉田である。毎月のデュオシリーズを続けたが、初回は「ぼろくそ」に叩かれたという。それでも香村は続けた。この日、さまざまな音がシームレスにつながっていくさまはビッチェズ・ブリューの遺産でもあろうかと感じた。
纐纈の新機軸であるギター弾き語りにはサックスとは別の魅力があり、世界を開拓するプロセスをかいまみるおもしろさがある。香村とのデュオではソプラノサックス2本を使用(C管がめずらしい)。それは和楽器のように揺れ動き、チャンゴの「長短」と相まって聴く者の血流とシンクロする。まだ二度目の共演なのにこの巧みさには驚かされる。ビッチェズ・ブリューという場から得たヴァイタリティもあるのかもしれない。
杉田誠一とビッチェズ・ブリューが姿を消しても熱はいつまでも残る。
(文中敬称略)